不謹慎の国のアリス
セクシーではない
少しだけ過去のこと。
疑似聖女のデータ取得もある程度完了し、邪神装甲の作製に着手しようという時期のこと。
「……やぁ、待たせたね。これの出来上がりまで、思ったより時間が掛かってしまったものでね。それで、相談したいこととは何かな?」
人気のない研究室の奥、鳴海が蒼汰の対面へと着席する。
その手にはデラックス・チョコレートパフェが握られていた。
「……オレたちの戦いは……正しいことなのでしょうか?」
鳴海の飄々した態度には触れず、ずっと心に引っかかっていた逡巡を吐露する。
誰にも言えずにいたこと。親友の咲人にすら。
だが、別に鳴海を信頼しているとかではない。
「ふむ、何を言い出すかと思えば。キミも私も、反政府組織のテロリストなのだから、悪党に決まっているだろう」
こういった風に、歯に衣着せるという概念がないからこそ、余計な倫理・常識などに妨害されることなく、話を進められると思ったからだ。
「なら……何故、鳴海先生は組織に手を貸しているんですか?」
「自らの行いが悪だと自覚しているのに、という意味かな? 答えは簡単だ。悪である、ということは、行動を止める理由たりえないからだ」
チョコレートアイスを食べながら、一切の迷いなく返答する。
「正論を振りかざして悦に入ることを生き甲斐とする者たちにとってみれば、叩きやすいサンドバッグだろう。まぁ、そんな有象無象など、気に留める価値すらない。一心不乱に正義棒をシコる公開オナニーを見せつけられて、気分が悪くなるのは厄介であるがね」
「……悪であるとわかっていて、それでもやるんですね……」
落胆したわけではない。そんな回答が返ってくるであろうことは、おおよそ見当がついていたのだから。
「成程……黒崎くんの迷いの理由、なんとなく察しはついた。とどのつまり、善悪の立ち位置を決めかねているわけか。ならば今度は、私の方から質問するとしよう。キミにとって、『悪性を持たない完全な善人』とはどんな人物であると思う?」
「……それは……まぁ、他人に危害を加えない、とか……」
少しだけ考えて、ぼんやりとした返答をする。
「では次の質問だ。正しい戦いとは何か?」
「……奪うためではなく、大切な何かを守るためにするもの……でしょうか」
あまり深く考えたことはなかった。故になんとなくの、ぼやけた答えしか返せない。
「やはりな。間違っているよ。戦いとは、それ自体が悪だ。善なる戦争などはありえない。侵略戦争を仕掛けられた際の真なる善行とは、簒奪されるままに、蹂躙されるがままに、被害のすべてを受け入れることだよ」
「な……そんなこと……」
「否定するかな? しかし、そうやって事実から目を背けるから、物事はややこしくなっていくものだ」
口内で結ばれたチェリーのヘタを、皿の上に置く。
「一方的に奪われるのは嫌だ。大切なものは守りたい。しかしそのために、自らも悪に手を染めてしまうことは受け入れられない。善人でいたい。なんともワガママ放題だな」
チョコフレークを、ガリガリと噛み砕く音だけが虚しく響く。
「無理を通せば道理が引っ込む。やむを得ない事情があるのなら他者を害そうとも悪行には当たらない、などと自らを騙そうとする。防衛戦争ならセーフだと、悪の帝国を討つためなら何をしても許されると、嘘に嘘を重ねる。実にくだらない屁理屈をこね回す、どうしようもない馬鹿どもだよ」
「でも、生きるためには仕方ないことじゃないですか……」
「そこで1つ目の質問に話を移そう。キミは他人に危害を加えないこと、を善人の定義としたが、何故『人』と限定した? 同じ生命体であるにも関わらず、動植物を殺害し、その血肉を貪ることは悪行に当たらないとする、その根拠はなんだ?」
「……それ、は……」
「紛れもない悪行だよ。生きるためであろうと、残さず食べるためであろうと、殺害される動植物にとってみれば、動機などなんの意味も成さない。『いただきます』などと手を合わせられたところで、バラバラに分解されて無惨な残骸と化した成れの果てに、そんな言葉など届きはしない」
答えられない。言い返すべき反論が浮かんでこない。
それでも、受け入れることは出来そうになかった。
そんな話を続けながら、平然とチョコレートパフェと頬張る鳴海が、同じ人間とは思えなかった。
「完全な善人となりたいのであれば、一刻も早く自害したまえ。他者の生命を奪わなければ、生き続けることさえ不可能なのが人間という生き物だ。ならばそれ以上悪行を重ねる前に、潔くその人生を終わらせるしかないだろう」
「……だから、鳴海先生は、悪行だろうと関係ない。進んで手を染める……ということですか」
「いや、それは違うな。悪性は否定されなければならないのだから」
「……は? え? どういう……? 思いっきり矛盾してるじゃないですか」
「そうやって勘違いしている者の、なんと多いことだろうな。善人を目指すからといって、すべての悪性を排除する必要などないのだよ」
溶けかけのチョコレートアイスの雫が、ぽたりとテーブルに落ちた。
「他者を出し抜き、奪い、喰らうこと。それらはすべて、人間が繁栄していくために、必要不可欠な要素であったのだから。そこを拒絶するということは、人類の歴史そのものの否定に他ならない。実に愚かな行為だよ。この歴史修正主義者めが」
突然、理不尽な罵倒を受ける。
「人類の祖先たちは、強力な身体能力を有する獣たちに対抗するため、道具を作り、人間に有利な環境を整え、敵に不都合を強いることで、勢力を強めていった。実に卑怯で、えげつない行為の数々。紛れもない悪行三昧だろう?」
「人間の本質は悪……ってことですか?」
「だから何故、そうやって極論に走る? キミはあれか、デスゲームなんかの極限的状況下で、普段は優しく真面目な委員長が、利己的で自分勝手な保身に走る姿を目にして、ほれ見たことかと勝ち誇るタイプか? 自身の命すら危ないというのに、他人のことばかり気にかける者など、それこそ精神破綻者だろう」
おそらくどんな精神破綻者も、鳴海にだけは言われたくないであろう。
「善も悪も、人間の中にあって当たり前のものだ。どちらか一方だけに偏らせることこそが異常なのだよ。勧善懲悪など論外だ。仮に聖女戦争が起きなかったとしたら、高度に発達する情報社会の中で、まったく別の弊害が生じていただろうと、私は踏んでいるね」
「ネット環境の発展による、情報共有の高速化ですか? 問題が生まれる要素は、特になさそうな気がしますが……」
「さて、どうかな? 行き過ぎた勧善懲悪思想は、人類の心に根深く刻みつけられていた。特にここ、元日本ではな。そこに高度な情報社会という環境が整えば、些細なミスを犯した人間を、まるで無関係な不特定多数の者たちがネット上で袋叩きにする、集団無意識リンチが始まっていたと見たね。やがて手段と目的が入れ替わり、悪がいるから正義を為すのではなく、正義を為すために悪を探し回り、時には捏造したり祭り上げたりするのさ」
だからもう……早く乱れろよ平和……!
「いや……いくらなんでも、人間はそんな間抜けじゃないでしょう……見ず知らずの他人相手に、そんなことしたってしょうがないじゃないですか」
「あくまで仮定の話だよ。思考実験みたいなものだ。肝心なのは何が正しくて、何をするべきなのか、その判断を他人の価値観に委ねてはいけない、ということだ。無関係な第三者に粘着することは無意味だと、キミもそう思うのだろう?」
「……公約数での善悪でなく、自分がどうしたいかを考えればいい……ってことですか? そのために、他人を傷つけることになるとしても……」
空になったグラスの中で、スプーンがカラカランと音を鳴らす。
「キミは既に、そう決めているはずだがね。あの日、数え切れない命を奪い、憎しみに任せて復讐を遂げた。紛れもない大量殺人者としての罪を背負った。そこには紛れもなく、善悪など超越した、キミだけの真実が存在したはずだよ」
「そう……なんですかね。確かに、もう後戻りなんか出来ないでしょうね……」
「そんなことはないさ。戻りたければいくらでも戻ればいい。第三者の価値観に合わせる必要もなければ、天の裁きを下す有能な髪など実在しないのだから。罪に罰など、くだらない」
「それは……まぁ、そうなのかもしれませんけど……」
「罪を償うことなど出来はしない。どんな罰を受けようと、犠牲者の受けた被害が消えるわけではないのだから。犯した罪に対して人間が取れる術は、目を背けずに受け止め続けること。赤木さんも言っていただろう。責任を取るというのは身投げのような行為でなく、もっとずーっと地味で全うな道なのだと」
(マンガのキャラにはさん付けするんだ……)
「まぁ、今すぐ答えを出す必要はないさ。人間にとって大切なことは、一切迷わずに進み続けることではない。大いに悩み、幾度となく悔やむがいい。それでも覚悟を持って歩み続けることこそが、人の征くべき道なのだから」
「迷いも悩みも肯定して、それ以上の覚悟で進む……」
「話半分に聞いておきたまえよ。今の内容など、唯一の真実などではなく、単なる私の感想だ。このまま邪神装甲の作製を進めるのもいいだろう。すべてを捨てて逃げ出すのもいいだろう。猫を連れて行くのもいいだろう。キミが自分を信じて決めた道ならば、どんな選択であろうと、私はキミを祝福するよ」
「オレが……決める……道」
*
そして、黒崎蒼汰はここにいる。或いは、如月奏詩か。
(結局答えなんて、今になっても糸口すら見つかっていない。そもそも目指すべき未来なんて、最初からない。こんなクソみたいな世界、発展しようが衰退しようが、知ったことか)
目の前には、上半身の大半を喪失し、物言わぬ抜け殻となった田中の死骸。
殺した。
明確な殺意を持って。
「流石ですね、蒼汰さん。技のキレが、更に鋭くなっています。僕が来るまでもなかったみたいですね」
拍手の音。そして闇の中から現れる、1つの人影。
「……八樹か。闇の衣……完成したんだな」
篠森八樹。
LGBT試験部隊の一員。蒼汰や咲人の2つ年下という事情もあって、2人によく懐いていたものだった。
「ええ……まぁ、なんとか。おかげでこうして、聖少女領域にも自由に出入り可能になりました」
(あいつが設計していたのは確か、隠密用の外套型邪神装甲……完全に身体を覆うことで、触覚以外の五感情報を完全に遮断し、外部に伝えさせなくする能力……だったか。見えも聞こえもしないなら、センサー類にさえ注意すれば、関所も素通りできるというわけか)
「聖女タワーに現れた、あのバズーカ使いが、試験部隊に新しく来た奴か?」
「そだよー。アタシがリーダー。名前はオティヌティヌス。どーぞ、よろしくねー」
上空から、能天気な声音と共に舞い降りてくる。
(武装は解除している……ここで更にやるつもりはなし、か)
「河嶋翔子は?」
「さぁねー。聖女タワーの残骸支えるのに忙しいみたいだから、ほっといちった。元々、田中を始末するために来ただけだしねー。顔見せだけで充分っしょ」
(こいつの喋り方……巫山戯ているだけか? それとも……ただのギャル……つまり、本物の聖女……? いやまさか、組織にいるはずがない……)
「ま、田中の方もアタシが出張る必要なかったみたいだけどねー。とりま、夜が開ける前にさー、死体の始末しといてよ」
軽く死体蹴りするオティヌティヌスの指示を受けて、八樹が手早く片付ける。
一般家庭で見ることはめっきりなくなった、古の黒いゴミ袋だ。
「オティヌティヌス……さん。1つ、聞いてもよろしいですか?」
「そんなかしこまらなくてもオッケーだよー。気軽に『オティヌぽ』って呼んでもいいし」
何処から「ぽ」が来たというのか。そして何処へ行くのか。
「田中がここに来たのは、組織の指示ではないんですよね?」
「そだねー。あんなしょぼしょぼの邪神装甲で突っ込んでくとか、ありえなすぎ。超ウケるー」
1つも笑えない。オティヌティヌス自身ですら、まったく笑っていない。
「つまりLGBTを無断で持ち出して、脱走したということになりますよね? 田中の口ぶりから察するに、相当の量を。けれど、そんなに管理が杜撰だとは、到底思えないのですが。聖女側との彼我戦力差を考慮すれば、切り札になり得るかもしれないような薬品の」
(通常兵器と比較すれば、LGBTの性能は間違いなく破格……しかし、その有効性は聖女側に知られていなければ、という前提条件に基づくものだ。その存在を知られれば、当然対策もされるだろう。最悪の場合、反乱される前に徹底的な殲滅が行われる可能性だって考えられる)
「それな。五輪っぽに言っとく言っとくー。ちゃんと管理しろーって」
(……やりづらいな。何処に真意があるのか、まるで読めない。そのための喋り方……か?)
「では、田中の言にあった、今すぐ聖少女領域に直接的な攻撃を行うつもりはない……と解釈してよろしいですか?」
「もちー。邪神装甲なんかで正面からぶつかるとか、超むりぽじゃない? ってことで、アタシたちはそーぽんの任務を手伝う方向で動く感じっぽいかなー」
「そーぽんというのは、私のことでしょうか? 任務を手伝うというのは、具体的には……」
「さぁ? 細かいことは、まだこれからっしょ。まーでも、結構色んな邪神装甲あるっぽいしー。なんか面白いことやれそげじゃね?」
(やはり表向きは、サポートに徹している風を装うのだろうな。こちらが隙を見せれば、容赦なく付け込んでくるつもりだろうが……)
とはいえ建前上は味方サイド。
あからさまなやり方を避けるのであれば、行動にはかなりの制限が掛かることは間違いない。
(……一応警戒はしておくくらいで充分か……本来なら、こんな内ゲバの派閥争いなんかしている場合じゃないはずだけどな……)
全世界共通の敵が現れたくらいでは、残念ながら人類は一致団結などしはしない。半数である男性だけに限ろうとも。
「あーでもその前にー。こっちからも1コ聞いといていーい? 田中のこと、なんで殺したん?」
「……貴方も始末するために来たと……」
「殺すとは言ってないしー。つーか、アタシが来る前に、もう殺ってたっしょ? なんで?」
「……あの男は短慮で直情的で、行動に計画性というものがありません。LGBTを所持したまま、好き勝手に動かれるのは、組織にとってもマイナスと判断しました」
「そだねー。でもさー、一旦捕まえといてー、上の指示仰いでからでも良かったんじゃない? そーぽんたちと違って、まともに防御もしないでアタシの『落寸号令雷』食らった直後なら、すぐに逃げられる状態じゃなかったと思うんだけどなー」
(こいつ……やはり考えなしのギャルじゃない。鳴り物入りでのリーダーは伊達じゃない……か)
「確かに、そうかもしれません。すみません、私の判断ミスです」
(西日本の五輪長官に、付け入る隙を与えてしまったかもしれないな……)
「ん、許す」
「え……? それだけ、ですか? 処罰とかは……」
「いらないっしょ。上の方に指示仰いだって、極刑以外ありえなくない?」
「じゃあなんで聞いてきたんですか……」
「キミのことをちょっぴり試してみたんよ。素直にちゃんと謝れるってのはぁ、大事なことだよねー」
(もし謝罪せずに誤魔化していたら……いや、考えてみても答えの出る段階じゃないか)
「んで、シノモン、片付け終わった?」
「血痕の処理等までは大体。地面に関しての手直しは、ちょっと難しいですね。ただアスファルトのまま放置されているということは、ここら辺りがあまり重要視されてない区域だからなはずで、詳しい捜査まではされないかと」
「ま、聖女タワーぶっ壊れてっしね。取り零した破片の直撃とかにも見えなくはないか」
オティヌティヌスもまた、然程意に介してはいないようだ。
「では、僕たちはこれで失礼します。蒼汰さん、今度時間あるとき、食事でも行きましょう」
そう言い残して、八樹とオティヌティヌスは闇の中に消えた。
(自分以外にまで効果を適用しても、これだけの隠密性か……使い方次第では、かなり有用だろうな)
凹んだ地面へと、視線を落とす。
世界は今日も、何事もなく回っていくのだろう。この程度の破壊の痕跡などは、なんの影響も与えはしない。
男が1人、この世から消えたことなど、誰も気に留めないのと同じように。
(判断ミスだと謝れるのは期待できる、か……そういうのは、ちゃんと改善する意思がある場合に限るだろうけどな)
理屈でなく、明確な殺意を持って、蒼汰は田中俊夫を殺害した。
鳴海ほど割り切れてはいないものの、最低限の線引きは既に出来ていた。
(自分の中の悪性を省みることもなく、躊躇なく他者を害する者。まさに田中のような奴だけは、見過ごすような真似は出来そうにない。おそらくは、これからも……)
正義感だとか、義侠心などでは決してない。
それは私怨であり、拒絶であった。
とどのつまり、八つ当たりだ。




