第95話 炎上の真相と、青年の後悔
「あのっ! すいません!」
アグラのマーケット街で突如聞こえた日本語に驚いて振り返ると、そこには二十五歳前後と思われる、日焼けした男性が立っていた。
よほど慌てていたのか肩で息をし、額には汗がにじんでいる。手にはスマホを握りしめ、画面と私の顔を何度も見比べていた。まるで、探していた何かをようやく見つけたかのような表情だった。
「やっぱり……あの時の女性ですよね……っ!?」
「え……? あの、どちら様ですか?」
「申し訳ありません! 僕、大原勇気と言います! あの、突然で本当にすみません! 旅系YouTuberの『コウ』さんと、『ナナ』さんのことで……どうしてもお話ししたくて!」
その口から出た二人の名前に、私は思わず息をのんだ。
昨日から続くSNS騒動。その渦中にいる二人の名前を、この状況で無視することはできなかった。
目の前の青年は顔を青ざめさせ、落ち着かない様子で視線を揺らしていた。その今にも泣き出しそうな表情から、ただ事ではないことだけは伝わってきた。
路上で話し続けるのも落ち着かない。幸い、すぐ近くには人通りの多いカフェがあった。私は店内に視線を向け、少し迷ったあとで言った。
「……場所を変えて、お話を聞かせてもらえますか?」
青年は何度も頷き、私たちは人通りの多いカフェへ移動した。
席につくと、彼はしばらく落ち着かない様子でスマホを握りしめていた。
「何か飲み物、頼みますか?」
そう尋ねると、彼は慌ててメニューを開いた。
「……すみません、コーラだけお願いします」
注文を終えたあと、私はふと気になって尋ねた。
「お昼は、もう食べましたか?」
「あ……いえ、大丈夫です」
「よかったら何か頼んでください。私はもう済ませたので大丈夫です」
すると大原くんは少し困ったように笑い、小さく首を横に振った。
「……すみません。今は、あまり食欲がなくて」
その声は、先ほどまでの焦りとは違う、深い後悔を滲ませていた。
少しずつ話を聞いていくと、大原さんは今年二十五歳になる服飾デザイナーで、この秋から新しいブランドで働くことが決まっているのだという。インスピレーションを得るためにひと月ほどインドを旅しており、元々コウさんの大ファンでメンバーシップにも登録しているとのことだった。
「一昨日の夕方、この通りでコウさんを見かけたんです。でも、お連れの方がいたので声をかけていいか迷っているうちにレストランに入られてしまって……。待ってるのもストーカーっぽくて気持ち悪いよなと思って、その日は諦めたんです。それで、昨日の午前中、タージ・マハルを観光していたら、偶然にも、またコウさんを見かけたんです。よく見たらYouTuberのナナさんもいて、それから……綺麗な女性がもう一人」
大原さんは申し訳なさそうに視線を落とした。
「盗撮なんてつもりは本当に無くて……ファンとしての思い出のつもりで、動画を回していたんです。そうしたら、ナナさんが段差で転びそうになって、コウさんが支えた瞬間が映っていて。声をかけようか迷っているうちに人混みで見失ってしまって、その場はそのまま観光を続けたんです」
話のパズルのピースが、一気にハマっていく。彼があの騒動の元となる画像を撮影した本人だったのだ。
「問題は……その夜なんです」
大原さんの顔がみるみる、泣きそうに蒼白になっていく。
「昨日のお昼過ぎに動画を見返していて……つい、その一瞬をスクショして、ナナさんのファンだった高校生の従弟に『タージ・マハルでナナさん見かけたぞ』って軽い気持ちで送っちゃったんです。そうしたら昨日の夕方頃に、従弟から凄まじい数のメッセージが入ってて……」
WEB通話を繋ぐと、高校生だという従弟は泣きじゃくりながらパニックになっていたそうだ。
『どうしよう、こんな大ごとになるなんて思わなかった! ごめんなさい! SNSに勝手に画像投稿しちゃったんだ! 俺、お金請求されて警察に捕まっちゃうのかな……!?』
「従弟が軽率にもSNSに晒して、拡散されてしまったんです……。昨日の夜は生きた心地がしなくて、一睡もできませんでした。今朝はいてもたってもいられなくて、奇跡を信じて一昨日の夕方にコウさんを見かけたこの通りでずっと座り込んで待っていたんです。そうしたら、写真に写っていたあなたを見かけて……っ」
大原さんは深々と頭を下げた。
「投稿された画像は、昨日の夜のうちに従弟にすぐに削除させました! でも、すでに拡散されていて……。取り返しのつかないことをさせてしまったのは、画像を撮影した僕です。本当に、本当にすみませんでした! ……コウさんとナナさん、ご本人たちに直接謝罪することは難しいでしょうし、僕なんかの顔は見たくもないでしょうから。どうか、謝罪していたとお伝えいただけないでしょうか。従弟も、法律事務所から連絡が来るんじゃないかとか、警察沙汰になるんじゃないかとか……公式のニュースを見て、本当に心配していて……。僕は、メンバーシップに入っているので、インド時間では、午後三時半からライブ配信がある通知も来ています。どうか、二人にお詫びを伝えていただけないでしょうか……!」
震える声で必死に謝罪を重ねる目の前の青年は、本来はオシャレであろう明るい茶髪のシースルーマッシュヘアが乱れ、可愛らしい顔立ちの大きな瞳は寝不足からか充血し、目の下には深いクマができている。
話を聞いた印象では、悪意の晒し行為ではなく、純粋なファンの浮かれた行動と、高校生の軽率な暴走が招いた悲劇だったのだと知り、私は深く息を吐き出した。
「大原さん、落ち着いてください。……事情はわかりました。今のお話を、ナナちゃんに伝えてもいいですか? それ以降の判断は、あの二人次第です。私にできるのは、今、伺ったお話を当事者に伝えることまでです」
配信開始まで、あと二時間。
私は、目の前で項垂れる青年を見つめ、小さく息を吐いた。
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