第92話 世界を見渡すモスクと、突然の炎上
タージ・マハル観光を終えた私たちは、近くのお店で遅めのランチを済ませた。
ターリー料理とは銀の大皿に盛られた定食で、三人ともドリンクはコーラを頼んだ。この暑さで、体が妙に甘い炭酸を欲する。
頼んだのは、銀の大皿に盛られた『Thali ターリー』と呼ばれる定食料理だ。三人ともドリンクはコーラを注文した。この猛暑の中では、身体が妙に甘い炭酸を欲している。
銀の大皿には、小さな器に入った三種類のカレーとおかず、そしてデザートの甘いミルク団子『グラブ・ジャムン』、主食のチャパティが二枚のっている。
メニューによれば、カレーは豆に揚げ玉ねぎが入った『ダルフライ』、インドの熟成チーズを合わせた『パニールカレー』、ひよこ豆を使った『チャナマサラ』の三種。ランチにちょうどいい量で、一度に色々食べられるのが嬉しい。味も文句なしに美味しく、エスニック料理好きにはたまらない満足感だった。
気になってネットで調べてみると、Wikipediaにはこんな解説があった。
『インドには、しっかりとした食事には6つの味覚の料理がバランスよく含まれていなければならないという考え方が根付いており、ターリーはそれを反映したもの。アーユルヴェーダの6つの味覚(甘味・酸味・塩味・辛味・苦味・渋味)に基づき、多様な食材を使って一度の食事で摂取することで、栄養バランスが整うとされている』
なるほどと感心しながらお腹を満たした私たちは、続いてアグラ城塞のほど近くに立つ『Jama Masjid ジャマー・マスジット』へと向かった。
タージ・マハルからは車で十五分ほど。ランチの合間に配車アプリでUberを手配して移動する。
正式名称は『Masjid-i-Jahan Numa マスジデ・ジャハーン・ヌマー』。「世界を見渡すモスク」という意味を持つ壮大な寺院だ。
赤砂岩でできた建物の上には『チャトリ』と呼ばれるイスラム建築特有の赤いドーム状の屋根が立ち並び、どこか可愛らしさも感じさせる。ヒンドゥー教が主流のインドでこうして美しいモスクを見学するのはとても興味深く、この国の多宗教な文化と多様性を肌で実感する体験となった。
一通りの観光を終え、配車アプリで車を手配してホテルへと向かう。時刻は午後四時を回っていた。
車が走り出した途端、コウさんのスマホが鳴り響いた。
「珍しいな……」
ボソリと呟いて電話に出たコウさんだったが、話を聞くうちにその表情がどんどん険しくなっていく。
「ああ。うん。……うん。今ホテルに向かってるから。うん、後で連絡する」
短く告げて電話を切った彼は、後部座席に振り返ってナナちゃんを見つめた。
そのタイミングで、今度はナナちゃんのスマホからメッセージの着信音が鳴る。画面に目を走らせたナナちゃんもまた、コウさんと目を合わせると一気に表情を曇らせた。
ピリッとした緊張感が車内に走り、心配になった私は思わず声を出さずにはいられなかった。
「どうかしたの……? 何か困ったことでも起きちゃった?」
二人は顔を見合わせ、やがてナナちゃんが重い口を開いた。
「はい。ちょっと……SNSに画像が投稿されちゃったみたいなんです」
そう言ってコウさんに視線を送る。コウさんが後を引き継ぐ形で説明してくれた。
「俺の方には事務所から電話で連絡が来たんだけどさ。さっきのタージ・マハルで盗撮されたと思われる画像が、匿名のアカウントからSNSに投稿されたらしいんだ。タグは『#コウナナ熱愛』『#交際ユーチューバー』。すでにYahoo!ニュースにまで取り上げられてるみたいでね」
「えっ……!」
あまりに予想外すぎる事態に、私は驚きのあまり言葉を失ってしまった。
さっきのカップルなのか、それとも陰からこっそり狙っていた誰かなのか――。
「こっちは、またか……って感じですけど。本当にうんざりしますね」
ナナちゃんが深いため息をつく。
「ああ、確かにな。事務所が今晩中にプレスリリースを出す予定だけど、もちろん完全否定でいくよ」
「私も、事務所から同じタイミングでプレスリリースを出す予定です。あと、画像を確認してみましたけど……これ、あの時ですね。私がタージ・マハルの段差を踏み外してよろめいた時に、コウさんが支えてくださったタイミングです。まあ、この角度だと抱きしめているようにも見えますけど……こんな大勢の人だかりでハグしてたら、とんだ付き合いたてのバカップルですよ」
ナナちゃんがうんざりした怒りの表情で頬を膨らませた。
結構シリアスな問題なのに、彼女のコロコロと変わる表情のおかげで深刻さが少し和らぐ。重い空気にならないようにという、彼女なりの気遣いなのかもしれない。
「そうだね。あのアクシデントを斜め後方から撮影したんだな。ナナちゃんの撮影した動画を確認すれば、犯人を特定できるかもしれないね。ナナちゃん、編集前の大事な素材だろうけど、公表はしないからデータをもらえる?」
「あ、はい! もちろんです。ばっちり特定してやりましょう! なんだったら、逆にこっちが顔を晒してやりますよ! もう、スロー再生で顔面拡大して晒してやる!」
鼻息荒く声をあげるナナちゃんに、コウさんが苦笑を漏らす。
「気持ちはわかるけど、それはダメだよ。個人の肖像権侵害は、相手に非があってもこちらが問題視されちゃうからね。……きちんと《《しかるべき》》責任は取らせるけど、YouTubeでの晒し行為はダメだよ」
そう語るコウさんの口元には、なんとも言えない冷ややかな笑みが浮かんでいた。
その静かな迫力に、私の体がピシリと固まる。
この人は、ただ優しいだけの人じゃないんだ――。
スマートな大人の余裕の裏にある彼の鋭い一面を、あらためて見せつけられた気がした。
その後は、静まり返った車内に、ドライバーさんの選曲によるヒンディー語の賑やかな男性ボーカル曲だけが陽気に響いていた。
やがて、車はホテルの前に到着した。
車を降りるなり、二人は厳しい表情を浮かべたまま、足早にそれぞれの部屋へと向かっていく。
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