第89話 アグラへ向かう三人旅
朝食もしっかりと美味しくいただき、お気に入りのホテルともお別れだ。人生でもしまたジャイプールに来ることがあったら絶対にここに泊まろう、そう思えるほどに素敵で居心地の良いホテルだった。まあ、狭山さんのおかげで部屋のランクも上がっていたのだけれど。
ジャイプールから、八時二十四分発の列車でアグラへと移動する。
アグラは、北インドの『Uttar Pradesh ウッタル・プラデーシュ州』にある都市だ。これまでの人生で耳にしたこともなければ、自分が訪れることになるとは思いもしなかった場所。雑誌のグラビアで『Taj Mahal タージ・マハル』は見たことがある。あの、白くて美しい建造物がある街だ。
駅のホームには『Jaipur To Agra Fort Shatabdi Express アグラフォート・シャタブディ急行』の長い車両が停車していた。
コウさんがいなければ、きっとナナちゃんと二人で、チケットの購入場所を探して右往左往し、自分たちの乗車する車両を探すだけでも一苦労していただろう。狭山さんに倣ってチケットと電光掲示板を見比べる。数字の意味を説明してもらうけれど、やっぱり慣れないと難しい。
チャイの売り子や、駅弁を販売するおじさんの姿が多く目につく。売店だけでなく二十四時間営業のレストランもあり、あちこちに興味が湧いてしまう。
さっそく車両に乗り込むと、向かい合わせの四人席が、私たちの指定席だった。
車窓の景色を撮影するため、ナナちゃんが窓際。私にも窓際を譲ってくれたコウさんの好意に甘えて席に就く。狭山さんはナナちゃんの隣の通路側だ。間もなくして、私の隣の席にも、民族衣装のサリーを綺麗に着こなした年配のご婦人が着席した。
車内でも、お菓子やチャイの売り子さんがひっきりなしに通路を歩いていく。座席でトランプに興じる現地の人たちの賑やかな声を聞きながら、どこまでも続く乾いた車窓の景色を眺める。
「車内販売は国営らしいから、安心なんだよ。何度も売り子さんが回ってくるから、後で弁当とチャイでも買おう。ナナちゃんの撮れ高にも貢献できるしね」
コウさんが、右目をウインクしながら笑顔で提案する。
やがて巡回してきた売り子さんから、アルミのパッケージに入った温かいお弁当を三つと、やかんで淹れたチャイを購入する。今回のインド旅行の一番の成果は、本場の美味しいミルクティーに出会えたことかもしれない。もちろん、美味しいカレーもだ。
この旅の間中、食事が美味しいということがとても幸せなことに感じる。もし、食事が身体に合わなければ、体力的な問題で、不本意ながらも早々に日本に帰国していたかもしれないのだから。
そんなことを思いながら、静かに車窓の風景を眺める。
『くまのスミレ』を窓枠に座らせて、車窓の景色を撮影する。叶うことならば、隣に座るご婦人の素敵なサリー姿と一緒に撮影したかったけれど、さすがに声をかける勇気は出なかった。
車窓の景色をある程度撮影すると、この移動時間を使ってナナちゃんは動画の編集作業を始めた。コウさんもノートパソコンを開いて仕事の作業をしているようだ。
私もスマートフォンでInstagramを開き、『くまのスミレ』の画像を予約投稿しようと画面を操作する。その時、DMが届いていることに気がついた。
『もしかして』と思い確認すると、予想通り、健一の弟である慎二君のユーザーネームが表示された。
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『すみれさん、ごめん。 俺、約束破って兄貴に教えちゃったんだ。汚部屋で、汚ったない兄貴に同情しちゃった。ちゃんと怒っといたし、もう二度とコメントはしないはずだから❗️ あと、兄貴、一週間前からジャカルタ赴任中です』
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「えっ!?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れた。
(汚部屋? 汚い兄貴? あの、いつも誰よりも身だしなみを気にする健一が? ウソだあ、信じられないわ)
私の漏らした声に、斜め向かいに座るコウさんが「大丈夫? 何かあった?」と心配そうな声をかける。
「あ、いえ、なんでもないんです! 私、声に出てましたか? すみません!」
私は慌てて、熱くなる頬を押さえながら返事を返した。過去の恋愛のゴタゴタなんて、とても説明できることではない。誤魔化すしかなかった。
ジャイプールからアグラまでは約四時間の道のり。
到着予定時刻は十二時四十分だったのだけれど、途中で何かの信号待ちのような待機時間があり、アグラフォート駅に到着したのは、二時間も遅れた午後二時半だった。
インドの電車の遅延は日常茶飯事らしいが、前回は定刻だったので、「これが、噂の!」と、ナナちゃんと笑い合った。
アグラフォート駅は、その名の通りアグラ城側にひらけた出入り口がある。
駅の外に出ると、オートリキシャの呼び込みの声が賑やかで、その熱気と勢いに圧倒されてしまう。私が思わず身を固くしたことに気づいたコウさんが、すっと庇うように体を差し込んでくれた。その背中が本当に心強くて、頼りになる。
「まずは一旦、ホテルに向かう? それとも、荷物を背負ったまま、このままアグラ城に行っちゃう?」
コウさんが、カメラを構えるナナちゃんに尋ねた。
「そうですね。今日の撮れ高がまだ少ないので、コウさんと、すみれさんが疲れてなければ、このままアグラ城に行きたいな」
「私は大丈夫よ」
笑顔で返すと、コウさんも「オーケー、じゃあ行こうか」と頼もしく頷いてくれた。
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