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【片道切符で異国を旅歩く 〜婚約者の浮気で結婚式が中止になりまして〜】  作者: 恋せよ恋
北インド編 心強い三人旅と、波乱の予感

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第88話 ◇ 初めての日本食レストランと、二つの指輪

 市内中心地に建つホテルに隣接する日本食レストラン『FURUSATO JAKARTA ふるさと ジャカルタ』店内は木目調で障子が設えられており、完全に和風の佇まいだった。店員も和装にエプロン姿で立ち働いている。


「ここは、よく来るんですか?」


 俺が尋ねると、富永さんは笑顔で顔の前で手を振った。


「いえ、たまにですよ。ただ、佐藤さんにとっては、ジャカルタに赴任されてから初めての日本食レストランになりますよね。それなら、ここが一番いいかなと思いまして」


 予想外の、細やかで優しい気遣いだった。張り詰めていた心が少しだけ軽くなる。


「ありがとうございます。食事が楽しみです」


「はい。美味しいものを食べて、体調不良を吹き飛ばしましょう!」


 二人で笑い合い、メニューを開いた。

 まだクリニックの薬を飲み続けているので、俺はアルコールを遠慮しておく。富永さんもそれに合わせようとしてくれたが、「気にしないでください」と伝えると、「じゃあ、ビールを一杯だけ」と笑顔で注文していた。さっぱりとした性格のようで、付き合いやすくてありがたい。



 刺身も魅力的だったが、今は病み上がりだ。大事をとって、焼き鳥、サイコロステーキ、チキン南蛮、それにおにぎりセットを注文する。


「早めに体調が戻って良かったですね。赴任早々って、どうしても心細くなりますよね」


「ええ。本当に富永さんがいてくださって助かりました」


「いやいや。そう言っていただけると嬉しいです」


 一週間ぶりの日本食。たった一週間離れていただけなのに、これほど美味いのかと思うほど五臓六腑にしみわたる。特に『鮭のおにぎり』が美味い。身体とメンタルが弱っている時はなおさらだ。



 まだプライベートなことを深く尋ねるには早いかとも思ったが、ふと、富永さんの左手薬指に輝く指輪が目に留まった。


 俺はなんの気なしに、言葉を口にしていた。


「それ、ご結婚されてるんですか?」


 富永さんは自分の指輪に目を落とし、それから嬉しそうに微笑んだ。


「ああ、実は婚約中なんです。来年の春頃に結婚しようかとパートナーと話し合っていて」


 そのあまりにも幸せそうな表情に、俺の心臓がズキンと音を立てて痛んだ。

『それはおめでとうございます』――すぐにそう言わなくちゃいけないと分かっているのに、どうしても言葉が喉に引っかかって出てこない。


 俺の突然の変化に、富永さんは戸惑うような様子を見せた。しかし、すぐに俺の左手薬指に残る指輪――その、いまだ外せずにいる婚約指輪に目を留め、そっと尋ねてきた。



「佐藤さんは……ご結婚されてるんですか?」


「あっ、いや。……実は、最近、別れました。日本で別れてまだ二ヶ月なんです。でも、なんだか外せなくて」


 富永さんの表情が、一気に気まずそうなものへと変わった。


「えっ、あ……すいません、無神経なことを聞きました!」


「ああ、いや。俺が先に尋ねたんですから、富永さんは悪くないですよ。本当に気にしないでください」


 慌てて手を振る。この重苦しい空気をどうにかしたくて、俺は思い切って提案してみた。


「それと、もし良かったら、プライベートでは敬語をやめませんか? 同い年ですし、これから気楽に付き合っていけたらなと思うんですが」


「ああ、そうですね。佐藤さんが構わないのであれば、僕は大歓迎ですよ」


「うん、じゃあ、これからよろしく。富永さん……、いや、富永さんのことも、徐々に呼び捨てにさせてよ」


「ふふふ、そうだね。佐藤さん、焦らずにいこう」


 それから、運ばれてきた美味いものをつまみながら、俺は富永さんの婚約者さんとの出会いの話を静かに聴いた。



 富永さんは大学三年の時、一年間だけジャカルタの『Universitas Darma Persada ダルマ・プルサダ大学』へ留学していたらしい。その時に知り合ったのが、婚約者の『ナビラさん』で、当時は日本語学科の一年生だったそうだ。


 それからはずっと遠距離で交際を続け、彼女が四年生の頃には、半年間だけ東京への留学も果たしたという。


 とても楽しそうに思い出を語る富永さんの姿を見ていると、勝手ながら、胸の奥の寂しさが余計に増していくのが分かった。


 彼女との結婚を本気で考えて、富永さんは三年前、二十六歳の時にジャカルタへ渡ったのだという。愛のために海を越えたのか。その覚悟の重さを思うと、今の自分には到底できないことだと痛感させられた。


 新しい友人が話す幸せな恋バナに耳を傾けている俺は、一体どういう心境なんだろう。

『部屋に帰ったら、またすみれのInstagramを眺めよう』、そんな惨めな思考を抱きながら、俺は顔に笑顔を貼り付けたまま、ただ頷き続けた。



 一時間ほどで食事を終え、送迎車で自宅へと帰り着いた。

 自宅のソファへどさりと腰を落とす。着替えもせず、だらっと深く身を沈める。しばらく目を瞑り、深呼吸をした。


 自業自得、ただ、それだけだ。何も考えるな、そう自分に言い聞かせて、シャワーを浴びようと思い腰を上げた。


 今日も早めにベッドに入ろう。夢の中で君に会えるかもしれないから。


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