第82話 近郊観光と映えるシティ・パレス
翌朝は、ホテルの朝食バイキングで軽くエネルギーをチャージしてから、ジャイプール近郊のアバネル村にある、幾何学的な美しさで世界的に有名な巨大階段井戸『チャンド・バオリ』へと向かった。
ジャイプールとアグラのちょうど中間に位置する遺跡のため、時間を有効に使うなら車をチャーターするのが一番安全で確実らしい。ホテルのフロントで手配してもらった車に乗り込み、片道約一時間半のドライブへと出発した。
助手席にコウさん、後部座席にナナちゃんと私が並んで座る。コウさんはさっそく、ドライバーさんと笑いながら英語と少しのヒンディー語を交えて雑談を楽しんでいる。
一方、ナナちゃんは窓の外に広がるインドの田舎風景をカメラに収めながら、楽しそうに実況解説を始めていた。
「あ!すみれさん、見てください!畑の中に孔雀がいますよ!……え、何あれ、誰かが飼ってるんですかね?」
「えっ、本当?」
ナナちゃんが指差す方を慌てて見ると、確かに車窓の外、のどかな畑の真ん中に美しい飾り羽を持った孔雀の姿が普通に目に入った。しかも一羽だけじゃない。日本なら動物園でしか見られないような鳥が、そこかしこに点在しているのだ。
「野生の孔雀なのかな……」
私が不思議に思って呟くと、後ろの楽しげな空気が伝わったのだろう、助手席の狭山さんが振り返ってシートの背に肘をかけながら答えてくれた。
「ドライバーさん曰く、あれは全部野生なんだって。孔雀はインドの国鳥らしいよ。ヒンドゥー教でもすごく神聖な鳥とされていて、昔から大切に守られてきたから、あんな風に普通に暮らしてるんだね。ちなみに古代インドの伝承だと、毒蛇や毒虫を食べるから『災いを取り除く強い霊力がある』って信じられていて、それが仏教に伝わって日本でも有名な『孔雀明王』になったんだよ。……あ、ちなみに二人は、日本の国鳥って知ってる?」
「あ、知ってますよ!キジですよね。でも、実物は見たことないかも」
ナナちゃんが胸を張ると、私も小さく頷いた。
「そうね。私も実物は見たことがないわ。それにしても、孔雀が国の鳥だなんて、なんだかすごく豪華ね」
「確かに。でも、このカラフルでエネルギッシュなインドの街並みを見てると、すごく『インドっぽい』気もしますね!」
ナナちゃんがカメラのレンズを再び窓の外へ向け、嬉しそうに写真を撮る。コウさんの説明のおかげで、目的地に着く前から私たちの旅情はすっかり高まっていた。
朝八時にホテルを出発した私たちは、十時ぴったりに無事目的地へと到着した。
車を降りて一歩足を踏み入れると、圧倒的なスケールの空間が目に飛び込んできた。
インド最大級にして最も深いとされるその井戸は、かつての雨季の貯水槽としてはもちろん、神聖な儀式の場でもあったという。
ふと中を覗き込むと、吸い込まれてしまいそうな錯覚に囚われる。
深さ約三十メートルにも及ぶすり鉢状の壁面は、十三の階層に整然と分かれていた。壁一面を埋め尽くすのは、ジグザグに交差する無数の階段。過度な装飾こそないものの、規則正しく繰り返される幾何学模様が太陽の光を浴びて、美しい陰影のコントラストを描き出している。その階段の数は、なんと三千五百段にもなるそうだ。
現在は安全のために下まで降りることは禁止されており、上からその絶景をじっくりと見下ろす形になる。
『くまのスミレ』が身を乗り出し、ほとんど逆さまの状態で井戸を覗き込む画像を撮影する。
井戸の周囲をぐるりと一周して動画を撮影し、すぐ隣にある八〜九世紀建立の『Harshat Mata Temple ハーシャット・マタ寺院』も参拝する。幸福と喜びの女神が祀られた厳かな空気感を味わい、一時間半ほどの充実した見学を終えた。
ジャイプールへと戻る途中の街で、ドライバーさんおすすめのレストランに立ち寄り昼食をとることにした。席につく際、遠慮して離れようとするドライバーさんを、狭山さんが「一緒に食べましょう」と笑顔で促し、四人でひとつのテーブルを囲む。
「これって、なんですか? ずっと気になってたんですけど、美味しいんですけど何かわからなくて」
ナナちゃんの質問にドライバーさんが、笑顔で答えてくれる。
人気Youtuberの彼女は、ご本人の了承を得て動画もしっかり撮影していた。
彼に本場の食べ方や本当においしいメニューを教わりながら、賑やかで楽しい食事の時間を共にし、午後一時に現地を出発した車は、午後三時前に賑やかなジャイプール市街へと戻ってきた。
続いて向かったのは、今もマハラジャの末裔が暮らすという豪華絢爛な宮殿『The City Palace シティ・パレス』。
入り口では、鮮やかな赤いターバンを頭に巻いた、いかにも宮殿の守護者といった佇まいの衛兵さんが、和やかな微笑みで私たちを出迎えてくれた。その非日常的な歓迎に背筋を伸ばしながら、私たちは宮殿の中へと足を踏み入れた。
『シティ・パレス』はジャイプール旧市街の中心に佇む、一七二六年に建てられた壮麗な宮殿だ。驚くべきことに、現在もマハラジャの末裔が実際に暮らす住居として使されているという。
基本のチケットで見学できるのは敷地内の博物館や中庭が中心だが、私たちが購入したプライベートツアーのチケットがあれば、今もマハラジャが使用している特別な居住エリアまで足を踏み入れることができる。
「そういえば、マハラジャって具体的にどういう意味なんですか? 昔、映画のタイトルとかで流行りましたよね。……『踊るマハラジャ』でしたっけ?」
素朴な疑問を口にしたナナちゃんに、コウさんが歩きながら優しく教えてくれた。
「ざっくり言うと、インドがイギリスの植民地だった頃に、一定の自治権を認められていた現地の『藩王国』の君主、つまり王様のことだよ。インドが独立した後の法改正で正式な王位そのものは廃止されたんだけど、ここラジャスタン州では今でも政治や経済のトップとして、ものすごい影響力と敬意を持たれ続けているんだ。もっと詳しく知りたかったら、あそこで音声ガイドも借りられるよ?」
「いえ! 大丈夫です! 見どころがありすぎて、一箇所で立ち止まっていられません!」
首を横に振ったナナちゃんは、すでにGoProを構えて次のスポットへと視線を走らせている。どうやら、撮れ高が多すぎるパレスの美しさに完全に心を奪われているようだ。
本当にどこまでも広い宮殿だ。
中庭を進むと、ひときわ多くの観光客が集まり、熱心にスマホを向けている見事な装飾の扉が見えてきた。マハラジャの、想像を絶する莫大な富と歴史の重みに、私はただただ圧倒されるばかりだった。
中庭で多くの観光客が集まっていたのは、見事な彫刻と絵画で彩られた四つの美しい扉の前だった。
ただの出入り口ではなく、それぞれの扉が異なる「季節」と「ヒンドゥー教の神様」を象徴しているらしい。案内板を読み込みながら立ち止まってじっくり眺めると、その細やかなディテールに言葉を失う。
季節を司る扉には鮮やかな色彩が躍り、夏、秋、冬と、季節の移り変わりがテーマカラーやシンボルで見事に表現されていた。そのあまりの美しさに、私の胸に眠るパタンナーとしての職人気質が、心地よく刺激されていく。
「こんなプリントのブラウス、素敵だろうな……」
思わず、ぽつりと呟きが漏れていた。
例えば、あの夏の扉をモチーフにした、大胆なテキスタイル。リゾートで風にたなびく、とびきり華やかな夏のワンピースに仕立てても、きっと息を呑むほど素敵に違いない。旅の情景が、私の中で新しい服のデザインへと形を変えていくのが分かった。
妄想を膨らませてうっとりしていると、ナナちゃんから「すみれさん、次はいよいよお目当ての場所ですよ!楽しみですね、行きましょう!」と声をかけられて我に返る。
一般エリアとは別料金になる『ロイヤル・パレス・ツアー』のチケットは一人三千五百ルピー。日本円で五千円強と少しお高めだったけれど、せっかくここまで来たのだからと、私たちは迷わず購入していた。
そこは、チケット購入者だけが立ち入ることを許された、特別なプライベートエリア。その最奥に佇む、今回どうしてもこの目で見たかった念願の場所――あの鮮やかな『Sukh Niwas Blue Room 青い部屋』へと、いよいよ私たちは足を踏み入れた。
扉をくぐった瞬間、息を呑んだ。
視界のすべてを埋め尽くしたのは、吸い込まれそうなほどに深く、瑞々しいコバルトブルーの世界だ。白く繊細なアラベスク模様の縁取りが、鮮烈な青い壁面を美しく引き締め、まるで贅沢な宝石箱の内側に迷い込んでしまったかのような錯覚に囚われる。窓から差し込むインドの強い太陽の光が、青い空間の中で柔らかく乱反射し、部屋全体が神秘的な輝きを放っていた。
どこを切り取っても絵画のように美しい、鮮烈なブルーの世界。私は、動画を撮る手が止まらないナナちゃんの画面を覗き込みながら、くすっと笑って囁いた。
「すごい映えスポットね。 でも……うちのホテルと雰囲気が似てるわよね」
「そうなんですよ! うちのホテル、すごいかもしれませんね!」
楽しそうにはしゃぐ私たちをコウさんが優しい眼差しで見つめていた。
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




