第80話 幻想的な雰囲気と最高のラジャスタン料理
「それにしても、このホテル、めちゃくちゃ可愛くないですか! 色使いとか内装も、まるでお伽話の宮殿みたいですよね! どこを見ても撮れ高の宝庫で、本当に大助かりです!」
幻想的なライトが煌めく屋上レストランで、ナナちゃんが嬉しそうに話し出す。
今夜のビュッフェには、本格的なインド料理だけでなく洋食などのインターナショナルなメニューも並んでいたけれど、私たちの目当てはなんといっても地元の「ラジャスタン料理」だ。
事前の調べによると、乾燥した砂漠気候とマハラジャの歴史が育んだ郷土料理らしく、水不足を補うために牛乳やヨーグルト、ギーと呼ばれる澄ましバターなどの乳製品や豆を多用するのが特徴なのだという。
今夜は頼もしいコウさんが一緒だ。おまけに「食べたらあとは部屋に戻って寝るだけ」という解放感もあって、私たちは安心してワインのボトルを入れた。ゆっくりとお酒を味わえる環境が、とにかく嬉しい。
とはいえ、ビュッフェ台からお皿にとってきた料理の名前だけでは、どれが何だかピンとこない。私たちはスマホの画面と見比べながら、少しずつ料理を味わうことにした。
「うわっ、これ何のお肉だろう。んん? インドだからビーフではないですよね。チキンでもポークでもなさそうだから……んー、マトンかな? でも、クセが全くなくて凄く美味しいですよ! すみれさんも食べてみてください!」
ナナちゃんに勧められて、おそるおそる少量をスプーンですくって味見をしてみる。
真っ赤な見た目とは裏腹に、トマトは一切使われていないらしい。ヨーグルトとたっぷりのスパイスで羊肉の旨味をじっくり煮込んであるせいか、本当に独特の臭みが消えていて、キレのある辛さが後を引く美味しさだった。
「これ、『ラール・マース』っていう辛みの強いカレーみたいだね」
手元のスマホで検索してくれていたコウさんが、画面を見せながら教えてくれる。
「ヒンディー語で『ラール』は赤、『マース』は肉を意味するんだって。現地特有の唐辛子をペーストにして色を出しているらしいよ」
「へえ、なるほど! だからこんなに鮮やかな赤なんですね」
美味しい料理を前にすると、自然とワインも進む。心地よく酔いがまわってきた頃、狭山さんがグラスを傾けながら私たちに問いかけた。
「そういえば、明日はどういうルートで回る予定だったの?」
「明日はですね、マハラジャの宮殿である『シティ・パレス』、それから吸い込まれそうなほど美しい階段井戸で有名な『チャンド・バオリ』なんかを回ろうと思ってました!」
ナナちゃんがすらすらと予定をあげる。
「なるほど。シティ・パレスは市街地の中心だから無理なく回れるね。チャンド・バオリは少し離れた場所にあるけど、車をうまく手配すれば一日でちゃんと回れるよ。どちらも撮れ高は保証されているような場所だしね」
「やったぁ!」
旅の達人であるコウさんからお墨付きをもらい、ナナちゃんの表情が嬉しそうに緩む。
けれど私は、昼間からずっと気になっていたことを、思い切ってコウさんに尋ねてみることにした。
「あの、私たちの観光予定にここまで付き合っていただいて……コウさんご自身の予定や、お仕事のご都合は大丈夫なんですか?」
せっかくのハイスペックな大人の一人旅を、私たちの旅の付き添いで邪魔してしまっているのではないか。そんな私の懸念を察したのか、コウさんは穏やかに首を振った。
「いや、俺のことは気にしないでください。たまにはこういう気楽な旅をすることも、俺にとっては大事なことなんです。普段は仕事柄、ずっと動画を回しながら撮れ高のことばかり気にして、旅をして、食事をして、誰かと話して……っていう生活ですから。そういう義務感から離れて、ただゆったりと流れる旅の時間を誰かと共有できるのが、今はすごく新鮮で楽しいんですよ」
幻想的な照明を背に、優しく微笑むハイスペックイケメン。
そのあまりの破壊力に思わず胸がどきりと跳ねそうになるけれど、私はそっとグラスに視線を落とした。今の自分は、日本での手ひどい婚約破棄で傷心の身。異性の魅力に簡単に呑まれるわけにはいかないし、何より、しばらくは恋なんてする気にはなれないのだから。
素敵な夕食を満喫し、ウェイターの笑顔に見送られて部屋へと戻ることにする。
「私、少しライトアップされたホテルの外観を撮影してから戻りますね! お二人は先に戻っていてください」
その途中で、ナナちゃんが声をあげる。
「えっ、でも、夜だし危なくない? 私も一緒に行くわよ」
「いえ! ホテル内だから大丈夫ですよ。それに、そんなに遅くはなりませんから! 何かあればすぐにスタッフに声をかけますし」
「ええ、でも……」
私がナナちゃんを心配して渋っていると、コウさんが声をかけた。
「たぶん、大丈夫ですよ。このホテルは四つ星ですし、サービスも評価されていますから。三十分以上経っても帰ってこない時は、俺が探しに出ますから」
「はい、大丈夫です。それに、何かあればショートメッセージも送れますから」
そう言うと、ナナちゃんは笑顔で手を振りながら、中庭へと歩き去った。
残された私とコウさんは、二人で部屋へと戻った。
「すみれさん、コーヒーでもどうですか?」
「あ、はい。いただきます」
私たちは、リビングスペースのソファに腰掛け、食後のコーヒータイムをとる。
「どうですか、インドは? 慣れましたか?」
「はい。思っていたより割と平気みたいです。私って、自分で思うよりもタフなようです」
「ははは。それは何よりです。インドは二派に分かれると言われますからね。『また来ようと思う者と、もう二度と来たくないと思う者』に」
「コウさんは、最初から抵抗はなかったのですか?」
「いや、それが、俺は一度目のデリー滞在が悲惨な思い出ばかりで。列車のダイヤは乱れるわ、ホテルはブッキングミスで予約できていないわ、置き引きに遭いそうになるわ、何に当たったのかひどい下痢は治らないわで、もう二度と来るもんかと思いましたよ」
「それなのに、今はムンバイに住んでいらっしゃるんですね。惹かれる何かがあったのかしら?」
「ははは。そうですね。まあ、YouTuberの性で、再度訪れたムンバイが性に合ったんでしょうね。友人ができたのも一因かな」
「お友達ですか?」
「ええ。ボストンの大学で知り合ったインド系の同じ年の男性なんですが、IT関連会社を立ち上げていて、たまたま飲み友達になったんです。その彼が、今はムンバイに住んでいるんですよ」
「まあ。それは心強いですね。困った時に頼れる方が現地にいらっしゃるというのは、本当にありがたいことですよね」
「はい。本当にそうですね」
しばらくするとドアが開き、ナナちゃんが戻ってきた。
「ただいま戻りましたよー。……あれ? なんだかまだ、何の変化もない雰囲気ですか?」
わざと足音を大きくたてるようにして、妙にゆっくりとリビングスペースに現れたナナちゃんが、私たちを見比べて不満そうに口を尖らせる。
「ナナちゃん……。ふふふ、いらぬ気遣いだよ。それより、撮れ高はあったかい?」
「はあー。そうなんですかあ。狭山さん、意外にヘタレですね。はい、バッチリです!」
二人がポンポンと小気味よく会話を交わす。
『また来ようと思う者と、二度と来たくないと思う者』
コウさんの言葉を頭のなかで反芻しながら、私はコーヒーを飲む。異国の心地よい夜は、私の旅を優しく包み込むように更けていった。
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