第79話 居心地のいい空間と、贅沢な夕食
ハワ・マハルの観光を終えた私たちはホテルへと戻った。
昨夜は寝台列車で夜を過ごしたこともあり、まずは各自の部屋でゆっくり休もうということになったのだ。
それぞれ自分の部屋でシャワーを浴びて、一時間後にリビングスペースに集合。そう決めて、一度解散した。
部屋にバスタブはなかったけれど、誰に気兼ねすることもなく、個室でゆっくりと温かいシャワーを浴びられるだけで天国のようだった。シングルベッドとはいえ、一人で過ごすには十分すぎるほど贅沢な空間だ。
思えば、日本を飛び出して旅に出てから三十数日。
カプセルホテルで始まった一人旅は、途中でリリーの家にお世話になった期間も含めて、これまで完全に一人で緊張を解いて過ごせるプライベートな空間がほとんどなかった。
それが、ナナちゃんと出会い、インド旅行に誘ってもらう機会に恵まれた。彼女のおかげで、ムンバイでは綺麗なバスルームとふかふかのベッドがある立派なホテルに滞在させてもらい、それだけでも十分にありがたいことだったのだ。
それなのに、今回のホテルはさらにその上をいく贅沢さだった。
これもすべて、ナナちゃんとコウさんの細やかな心遣いと、圧倒的な財力のおかげだ。今は図々しくもその好意に甘えさせてもらおうと、胸のなかで二人に深く感謝した。
シャワーを浴びてさっぱりした私が身にまとったのは、お気に入りの長袖シャツにジーンズ。これから四つ星ホテルでのディナータイムだというのに、いつもの旅の定番スタイルだ。
ホテルのチェックイン直後、いつものパンジャビドレスをすぐにクリーニングへ出してしまったため、明日の朝まで戻ってこないのだ。これしか選択肢がないのだから仕方ないと自分に言い聞かせつつも、そこは元アパレル職としての意地がある。手持ちの定番のピアスとネックレスを合わせ、ヘアスタイルを工夫することで、なんとかお洒落な雰囲気を演出してみた。
鏡の前に立ち、じっくりとしみじみと自分の顔を見つめる。
日本にいた頃に比べると、さすがに、随分と日焼けしたなあ、と感じた。いつもは日焼け止め目的の化粧下地であるBBクリームだけで簡単に済ませているけれど、この旅に出てから初めて、その肌に軽くメイクアップも施した。
そろそろ夕食の時間になりリビングスペースへ向かうと、そこではすでにソファでコウさんがコーヒーを飲んでいた。
麻素材だろうか、涼しげな仕立てのシャツに、ベージュのショートパンツ姿。足元に革のスリッポンを合わせた彼は、どこからどう見てもハイスペックでリッチなイケメンだった。
バックパックのいったいどこにそんなお洒落な服を忍ばせるスペースがあったのだろう。しかも、シワ一つついていない。旅慣れた達人はやっぱり格が違うなと、妙に感心してしまう。
「ああ、すみれさん。コーヒー、飲む?」
「あっ、いえ。大丈夫です、ありがとうございます」
「そう? 部屋に常備されてるから、好きな時に淹れて飲んでね」
「はい。ふふふ、なんだか慣れていて、まるで狭山さんのお家みたいですね」
「ああ、まあね。ここ、立地もサービスもすごく良いから、前にもジャイプールへ来たときにも宿泊したことがあるんだ。だから、勝手がわかっていてさ」
「ああ、そうだったんですね。それじゃあ安心です。コウさんがいてくれるだけで心強いのに、さらに安心度が増しました」
私がそう言って笑いかけると、狭山さんはどこか嬉しそうに、こくこくと何度も頷きを返してくれた。
そこへ、髪を乾かしたナナちゃんが、涼しげなTシャツにショートパンツ姿で現れた。
「お待たせしてしまいましたか? あれ、すみれさん、長袖シャツにジーンズなんて暑くないですか?」
「ううん、大丈夫よ。でも、私にはこの服しかなくて。それに旅の間は、できるだけ肌の露出を避けた方が安全だって、ネットの防犯情報でもよく目にするしね」
「あー、確かにそれはわかります。でも、今はコウさんが一緒にいてくれますから、ホテル内なら安心して楽な格好ができますよ。ね! コウさん」
「ははは。まあ、そうだね。でも、すみれさんの防犯に対する危機意識はすごく正しいと思うよ。まあ、ホテル内は冷房が強めに効いているから、長袖にジーンズくらいでちょうどいいかもしれないね。ナナちゃんこそ、その格好で寒くない?」
「はい! 私は若さでカバーですから! ……って、あ! すみれさん! ごめんなさい、今の、そういう意味じゃなくて!」
自分の失言に気づいたナナちゃんが、大慌てで両手を振る。
「ふふふ、大丈夫よ。ちっとも気にしてないわ。それに、実際その通りだもの」
年下の可愛い旅仲間の慌てぶりに思わず吹き出しながら、私はリビングを包む穏やかな冷気の心地よさに、そっと目を細めた。
夜八時のレストランの予約時間に合わせて、私たちはホテルのなかを少しぶらぶらしながら、夕食へと向かった。もちろん、ナナちゃんはカメラを片手に撮影に余念がない。
このホテルの館内は、どこに目を向けてもエキゾチックな空間やアイテムに満ちていた。気品ある建築美、見事なモザイク画や壁画、異国情緒あふれる照明とステンドグラスの装飾。それでいて、どこか秘密めいた螺旋階段を降りた先にはプールまで隠されている。さらには神聖な祈りの場まで設けられており、屋上へと続く建物全体が、まるで一つの芸術品のようだった。
そして辿り着いたのは、伝統的な内装が施された、宮殿のように優雅な雰囲気のルーフトップレストランだ。
ここでは心地よい夜風に吹かれ、ジャイプールの美しい夜景を眺めながら、ロマンチックなディナータイムを過ごすことができる。
今夜のディナーは、本格的なインド料理を中心としたバイキング形式だった。ずらりと並ぶ色彩豊かなカレーや各国料理の香ばしいスパイスの香りが、お腹を空かせた私たちの鼻腔をくすぐった。
日中に比べれば幾分か涼しくなった心地よい夜風に吹かれながら、私たちは美味しい食事を味わい、弾むような会話を交わしながら、贅沢なディナータイムを満喫し始めた。
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