第71話 ◇ オレンジ色の街灯と、健一の新居
深夜のジャカルタに到着した健一を乗せた車は、空港から市街地へと向かっていた。深夜ということもあって道は空いており、所要時間は三十五分ほどだという。
「街灯は、まだ、オレンジ色に見えますね。まだ、高圧ナトリウムランプが主流ですか?」
健一が窓の外を眺めながら呟くと、迎えの現地社員である富永がハンドルを握ったまま応じた。
「ああ。そうですね。排気ガスや塵が多い環境でも光が散乱しにくくて、遠くまで見通すことができますからね。消費電力も比較的少なくて済みますし、長寿命で経済的です。でも、まあ、ここも徐々にLEDライトに変わっていくんでしょうね」
夜の闇に流れていくオレンジ色の光を眺めながら、健一の脳裏に、なんとなく大切だった女性の顔が浮かんだ。途端に胸が締め付けられ、慌ててギュッと目を閉じる。
車は滞在先となるコンドミニアムへと滑り込んでいく。途中のコンビニのような店で、とりあえずの水と、翌朝の朝食になりそうなパン、それからポテトチップスとチョコレート菓子を購入した。
富永は、いかにも人の良さそうな笑顔で話しかけてくる。深夜だというのに、疲れを微塵も感じさせないタフな雰囲気に、健一は内心で感心していた。
「お疲れでしょうし、すでに深夜で真っ暗です。周辺の案内は明日あらためて。今晩は、お部屋の案内とセキュリティの説明だけしておきますね」
「はい。お気遣いありがとうございます。助かります」
聞けば、八階建てコンドミニアムのうち健一の部屋は七階で、富永自身は三階に住んでいるとのことだった。
「うちの住宅は、海外からの駐在員が多いんですよ。まあ、家賃もそこそこ高めな分、コンシェルジュもしっかりいますし、セキュリティは安心ですよ」
「へえ。それは、心強いですね。インドネシアには不慣れなもので助かります」
そんな話をしながら、八階建てのコンドミニアムに到着する。周囲にも同じような小綺麗な住宅が多くあり、深夜の暗闇の中では、東京の郊外となんら変わらない景色のように感じられた。
ーーガチャッ
「さあ、こちらが、佐藤さんのお部屋になります。ああっと、前任者がご家族連れだったんで、スリーベッドルームになりますけど……まあ、今晩はこちらの部屋だけベッドメーキングしてあります。そのうち、お好きな部屋にでも移動してください」
富永の説明通り、扉を開けた先には男一人には広すぎる空間が広がっていた。メインベッドルームとおぼしき一番大きな寝室に、ひっそりと寝支度が整えられている。
「ありがとうございます。もう、深夜ですし、細かい説明は明日またお願いします。どうぞおやすみください。遅くまで付き合ってくださり、本当にありがとうございました」
「そうですか。そう言ってもらえると助かります。では、お疲れでしょうから、明日の朝はそうですね、十時頃でいいでしょうか。お迎えに上がりますね」
「はい。十時ですね。わかりました。では、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。今晩はゆっくり休んでください。あと、これ。自分の電話番号と連絡先です。何かあったら遠慮なく連絡してくださいね」
メモを手渡すと、富永は慣れた足取りで三階の自宅へと帰っていった。
初めての国、初めての部屋。
異国の自宅にたどり着いた実感は、まだ何もわかなかった。ただ、シンと静まり返った広すぎる部屋が、自分の孤独を突きつけてくるようだった。
「すみれ、俺、ジャカルタにいるよ……この一ヶ月、もう、わけがわかんないよな」
健一の弱々しい呟きは、虚しく暖色系の間接照明が照らす室内に消えた。
スーツケースを広げて、着替えと洗面道具を取り出す。荷物整理は諦めて、さっさとシャワーを浴びてベッドに入ったのは、すでに深夜の二時過ぎだった。
眠ろうとしても気持ちが昂っているのか、なかなか寝付けない。何度もスマホの画面を点灯させては時刻を確認するが、時間は無情に進み、とうとう五時近くになってしまった。
あまりにも寝付けないので、健一は眠ることを諦めてスマホを手に取り、すみれのInstagramのアカウントを開いた。
画面の中では、すみれお手製だと思われる『小花柄のテディベア』が、マラッカのオランダ広場でサーモンピンクの教会を見上げていた。すみれが投稿した旅の一枚に、無自覚に健一の表情が緩む。
(もしかしたら、すみれと一緒にマレーシアを旅して、このジャカルタの部屋にも、二人で暮らしていたかもしれないのに……)
叶うはずのない「もしも」が頭を巡り、そう思うとますます眠気は遠のいていった。自分が手放してしまったものの大きさに、胸が潰れそうになる。
気づけば時刻は五時少し前。流石に少しでも寝なくては明日の挨拶回りに障ると思い、健一はスマホを伏せ、無理やりに目を閉じた。
時折、窓の外の遠くからクラクションのような大きな音が響いてくるが、部屋の中はただただ静かだった。
「……うわ、最悪だ……」
次に目が覚めたとき、スマートフォンの画面は午前九時を示していた。富永が迎えに来る十時まで、もう一時間しかない。
泥のように重い体をどうにか起こしたが、案の定、猛烈な寝不足感が襲ってきた。前夜、ろくに乾かさずに眠ってしまった髪は、鏡を見るまでもなく酷い寝癖がついているのがわかる。
おまけに、海外特有の強力なクーラーを調整しないまま眠ってしまったせいで、喉の奥に嫌な違和感があり、頭の芯がズキズキと痛んだ。
窓の外からは、すっかり朝を迎えたジャカルタの喧騒が容赦なく響いてくる。健一は重い頭を抑えながら、もう一度シャワーを浴びようと洗面所へと足を向けた。
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




