第69話 快適なインド生活
コウさんが暮らすコンドミニアムは、銃を持った武装セキュリティガードが常駐し、居住者以外の立ち入りが厳しく制限されていた。部外者が自由にフロアへ行けないよう、日本の一般的なオートロックを遥かに凌駕する厳格なチェックを経て、ようやく敷地内へと足を踏み入れる。
コウさんの居住区は、敷地内にそびえ立つ高層タワー群とは少し離れた、低層十階建ての棟の五階にあった。
リビングに入ってまず目を奪われたのは、大きなテラスから見下ろす広大な庭園の景色だった。もはや『庭園』と呼んでいいのかすら疑問なレベルのスケールで、青々とした見事な緑がどこまでも広がっている。
「「お邪魔します……」」
私とナナちゃんは、思わず声を揃えてスニーカーを脱いだ。
この住居敷地内には、先ほどの広大な庭園をはじめ、屋内型の大型プール、最新マシンの揃ったジム、テニスコート、さらには居住者用のスーパーマーケットやカフェ、クリニックまでが併設されているらしい。日本人を含めた外国人のスタッフも常駐しているそうで、私のような海外慣れしていない人間にとっては安心この上ない環境だ。インド特有のインフラ事情を踏まえて、万が一の停電に備えたバックアップ電源や、巨大な浄水設備まで完備されているのだという。
コウさんは室内を簡単に案内してくれた。スリーベッドルームの間取りのうち、一番広いメインベッドルームがコウさんの部屋で、ゲストルームの一つに片山さんが滞在している。もう一つは、撮影機材などの荷物置き場として使っているようだった。
「すごい! 各部屋に専用のシャワールームとトイレがついてるじゃないですか!」
ナナちゃんがキョロキョロと部屋を見回しながら声を上げる。
「ああ、こっちの高級物件だとそれが普通らしいんだよね。その代わりというか、バスタブはないんだけど。あと、ほら、あの上部に設置されたまあるい給湯タンクがあるだろう? あそこで温めた分のお湯を使い切っちゃうと、容赦なく冷水になるんだ。まあ、俺には十分だけど、のんびり長風呂気分でシャワーを浴びるわけにはいかないよ。髪の長い女性とかは、最初は結構大変かもね」
「なるほど……。じゃあ、のんきにヘアトリートメントしていられないですね」
「それにしても本当に広いですね。東京の一般的なマンションよりも、一部屋あたりの大きさが格段に広い印象を受けます」
私が感嘆の声を漏らすと、コウさんは少し困ったように笑った。
「うーん、そうだね。まあ、ここは本来、家族向けのファミリータイプだろうからさ」
「なるほど、確かに。コウさんお一人で暮らすには、ちょっともったいないくらい贅沢な広さかもしれませんね」
「まあ、そのおかげで僕がこうして居候できているわけだけどね」
後ろからついてきていた片山さんが、明るい笑い声を上げて突っ込んできた。
「そうだな……。確かに動画の編集が煮詰まって、通話でめちゃくちゃ愚痴りはしたけどさ。本当に、わざわざ会社を放り出してこっちまで来てくれるとは思わなかったよ。単に、働きすぎの仕事中毒だからって、部下に邪魔者扱いされて追い出されただけだろ? なぁ、片山CEO」
コウさんの小気味いいツッコミに、片山さんは大げさに肩をすくめてみせる。
「まあね。実務のデータさえ日本から送ってくれたら僕の用は済むんだけどさ。お前の顔も久しぶりに見たかったしな。いいじゃないか、広すぎる部屋での一人暮らしも寂しかっただろう?」
そんな二人の、長年の信頼が見える気の置けないやり取りがとても軽快で、見ているこちらまで心が温かくなると同時に、どこか羨ましいなと感じてしまう。
見れば、各シャワールームの壁には、確かに三十リットルほどの大きな給湯タンクが設置されていた。シャワーを浴びる二十分ほど前にあらかじめスイッチを入れて、お湯を沸かしておくシステムなのだそうだ。さらに、シャワーヘッドに専用のフィルターを装着しないと、インド特有の塩素と強い硬水のせいで、一発で髪と肌がガサガサに荒れてしまうという。やはり、どんなに高級な部屋でもここは異国なのだと実感させられる。
女性なら、来客にキッチンを見られることには少し抵抗があるかもしれないが、コウさんは全く気にする風もなく、どうぞと遠慮なく見せてくれた。
ガスのパイプラインが直接キッチンまで引かれていて、ガス栓をひねれば日本と全く同じ感覚で火力が使えるそうだ。大きなオーブンは電気らしい。壁には壁掛け式大型浄水器が設置されており、料理や飲料水にはすべてその水を使用しているという。
「すごく綺麗で、使い勝手が良さそうなキッチンですね。冷蔵庫もこんなに大きいし……コウさん、普段はお料理されるんですか?」
私はすっかり感心して、自然とそう口にしてしまってから、ハッと我に返った。初対面なのに、少し馴れ馴れしくプライベートに踏み込みすぎただろうか、と不安がよぎる。
「……まあ。一人暮らしが長いんで、適当に、だけど。まあ、料理は性に合ってるんだよね」
コウさんは少し視線を泳がせながら、短く、けれどどこか嬉しそうに返してくれた。
「そうですか。でも、お一人暮らしだと、食材をたくさん買って作っても、小分けにして保存するのがなかなか難しいですものね」
「そう、そうなんだよ! まさにそれで、いつも作りすぎて余らせちゃってさ……」
私の何気ない同調に、コウさんは我が意を得たりとばかりに深くこくこくと頷いた。
その様子を、ナナちゃんと片山さんが「なんだこいつ」と言いたげな、不思議そうな顔でじっと眺めていることに、私はまだ気づいていなかった。
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