第65話 男二人の秘密と、キャンキャン騒ぐイケメン
ナナちゃんたちと別れた俺――片山大志は、近くのローカルなスーパーマーケットに立ち寄り、冷たい飲み物といくつかのスナックを買い込んでから、市街地にある滞在先であるコウのコンドミニアムへと帰宅した。
「ただいま。はあー……生き返る」
重いセキュリティ扉を開けて一歩中に入ると、太陽に灼かれた凶悪な外気から、冷房の効いた屋内の冷気へと一瞬で世界が切り替わり、思わずホッと息が漏れた。
六月初旬のムンバイの気温は、優に三十五度前後。中旬以降になればモンスーンが本格的に到来し、すべてを押し流すような激しい雨が降るらしく、その時期はとにかく湿気を含んだ熱風が酷いという。
『汗が流れる』とはよく言ったもので、ただ街を数分歩くだけで滝のような汗が文字通り肌を流れていく。それなのに、現地の人たちは涼しい顔で笑顔で立ち話をしていて、その小麦色の肌で汗がキラキラと光っているのだから、やはりタフさの次元が違う。
「あっ! おかえり! で!? ちゃんと約束は取り付けてくれたんだろうな? おい、どうなんだよ、ヒロシ!」
俺がリビングに入るや否や、パソコンの編集画面と睨み合ったままのコウが、矢継ぎ早にまくしたててきた。驚くべきは、顔はモニターのタイムラインを睨みつけたまま、手元では神業のような速度でキーボードを叩き、ショートカットキーを駆使して動画を切り貼りし続けていることだ。いつもは余裕をかましているくせに、こういう時の集中力は、流石はトップYouTuberだと妙に感心させられる。
俺がわざとすぐに返事をせず、買ってきた荷物をテーブルに置いていると、不審に思ったコウがタイピングの手を一瞬だけ止めて振り返った。
「おい! 無視すんなよヒロシ! どうなんだよ。明日の約束は、一体どうなったんだよ!」
わざわざ編集の手を止めてまで詰め寄ってくるその姿に、こいつの本気度が透けて見えて、俺の口元は自然と緩んでしまう。
「はあー……。コウ、お前なぁ、ちょっと落ち着けよ。動画の編集がキツすぎて頭がおかしくなってんじゃないのか? 日本じゃあんなにモテモテの『狭山航』君が、何をそんなにがっついてんだよ。中坊の初恋かよ」
俺の冷やかしに対して、コウは思いっきり眉間に皺を寄せ、あからさまに不機嫌そうな顔をしてメンチを切ってきた。
だが、俺の内心は冷やかしとは裏腹に、この親友の見たこともない取り乱し方に、ものすごい興味が湧いていた。
コウ――狭山航と俺は、大学時代の同期で、同い年の二十七歳だ。
あいつの実家は高名な弁護士一家で、親族経営で様々な事業を展開している。要するに、絵に描いたような大金持ちのボンボンだった。しかも天はコウに、圧倒的な経済力だけでなく、そこらのモデルが裸足で逃げ出すレベルの容姿まで授けた。大学当時から『旅系YouTuber』として動画を投稿していて、気さくでフットワークの軽いイケメンの有名人として、キャンパス内では知らない者がいない存在だった。
そんな住む世界の違うあいつと俺が親しくなったのは、本当に偶然だった。
当時はまだ動画の高度な編集作業や機材トラブルで苦戦していた法学部法律学科のコウに対し、見かねた俺が色々と技術的なアドバイスをしたのが始まりだ。俺は理工学部の情報工学科だったから、その手の分野は専門だった。
その後、大学を卒業するに際して、俺は友人と共に、生成AIを用いた高度な業務自動化SaaSのベンチャー企業を立ち上げた。
両親が共に公務員という、超絶一般家庭出身の俺には当然、起業するためのまとまった資本金なんてものはなかった。それを知ったコウは、自分の個人資産から「これ、使えよ」と、驚くような大金をポンと援助してくれたのだ。当時から、本当に同い年とは思えないほどスケールの大きな、器の大きな男だった。
時代の波に乗ったことと、まあ、俺自身の血の滲むような実力もあって、立ち上げた会社は現在、非常に順調に成長している。そして今年、創業五年目にして、ようやくコウが出資してくれた大切な資本金を、利息も含めて全額返済し終えたばかりだった。
当のあいつは、大金を振り込まれた口座を見て「えー、別にいつでも良かったのに」と、ビールを片手に軽く笑っていた。まったく、色んな意味で恐ろしい男だ。
そういう深い歴史があるからこそ、俺はコウからの突然の『動画編集のSOS』を断れる立場にない。自分ができることなら、このインドの地まで飛んできてでも、可能な限り力になってやりたいと思っている。それが、あのとき俺の未来を信じてくれた親友への、俺なりの唯一の恩返しだと思うからだ。まあ、こんなことでもないと休暇も取らずに働いてしまうから丁度いい。
ふと、パソコンの前に座るコウを見る。
今のコウの見た目は、ここ数年に比べれば、これでも一番『普通』の格好をしている。一般ウケする超絶イケメンだ。まあ、デザイナーズブランドのタンクトップから覗く右腕いっぱいのタトゥーと、両耳に並んだピアスの圧が強すぎて、一般人が見たらビビるかもしれないが。
「おい! 聞いてんのかヒロシ! どうなったんだよ! 小川さん……彼女とのアポはちゃんと取り付けたんだろうな。なあ!?」
無駄に整った美しい顔で凄んでみせるコウ。だが、その耳の裏がほんのりと赤いのが、可笑しくてたまらない。見たことのない親友の純情な様子に、俺のニヤけ顔が完全に止まらなくなった。
「安心しろよ。明日のランチにばっちり招待しといた。正午に、ここに来てくれるってさ」
「……は!? ここに!? おい、お前はバカかヒロシ!?」
コウはガタッと椅子を鳴らして立ち上がると、今度は大パニックを起こして頭を抱えた。
「なんでここに呼ぶんだよ! こんな男二人が引きこもって編集してる汚い場所に、あの綺麗な人を招待できるかよ! どうすんだよこれ! あと半日しかねえんだぞ!? これ、全部片付けられる訳ねえだろ!」
床に散らばった機材やコード、脱ぎ散らかしたシャツの山を見て、小型犬のようにキャンキャンと騒ぎ立てるコウ。
その様子があまりにも面白すぎて、俺はソファーに倒れ込み、お腹が痛くなるほど大声で笑った。
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