第61話 男二人の掛け合いと、必死のアピール
小さな画面の向こうで石像のように固まったままのコウさんをなかば放置した状態で、片山さんは楽しそうに最近の近況を話し始めた。
「実はさ、僕は二週間くらい前から、ここムンバイにある狭山の家に滞在しているんだよね。来る前は、インドでの暮らしって色々と不便なんじゃないかって心配してたんだけど。まあ、実際に住んでみたら、東京のマンションで暮らしているのと大した違いはないよ」
片山さんの持つ独特の穏やかな雰囲気が、冷房のよく効いたレオポルド・カフェの室内の空気を、よりいっそう心地よく、リラックスしたものに感じさせてくれる。
そんな片山さんの言葉に、ナナちゃんが興味深そうに身を乗り出して尋ねた。
「へえ、そうなんですか。じゃあ、普段の食事はどうしてるんですか? もしかして片山さんが作ってるとか? 失礼ですけど、コウさんってあんまり自炊をするタイプには見えませんし……」
ナナちゃんがクスクスと笑いながら問いかけた、その瞬間だった。
どうやら接続だけはずっと生きていたらしいスマートフォンから、男の声が響いた。
『おーい! ちょっと待て、そこの二人! 俺のことを完全に蚊帳の外に置いて忘れてないか!? それからナナちゃん、俺は料理がめちゃくちゃ好きだし得意だからな! まさに「好きこそ物の上手なれ」ってやつで、自分が食べたいと思ったものは何でも本格的に作るタイプなんだよ!』
画面の向こうで急に大声を張り上げ始めた男に、片山さんは「あ、思い出した」とばかりにスマホの画面を覗き込み、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「おいおいコウ、珍しいな、お前がここまで取り乱すなんて。お前のアピールがいちいち必死すぎて、横で見てるこっちが恥ずかしくなってくるよ。そこまでして、お前は一体どうしたいんだよ」
『あ!? そりゃあ決まってんだろ、その可愛い女性たちを、今すぐうちにご招待したいに決まってるだろ! 言葉の裏をしっかり汲み取れよ、ヒロシ!』
名前を呼ばれた片山さんは、やれやれと大袈裟に肩をすくめてみせる。
「はいはい、ご招待ね。……それで? 動画の編集作業が全然追いつかなくて、半泣きで僕に泣きついた挙句、今も部屋に缶詰状態の狭山さんに、そんなゲストをもてなす余裕が本当にあるのかな?」
『はあ!? おいヒロシ、お前、普段は優しそうな無害な顔のくせに、サラッと容赦ないことを! ケンカ売ってんのか?』
ヒートアップしていくコウさんを前に、片山さんは視線を私のほうへ送り、さらに口元をニヤつかせた。
「コウ。……このみっともない会話を、初対面のすみれさんもしっかり聞いてるってこと、お前、完全に忘れてないか?」
『あっ……!』
画面の向こうで、狭山さんが短い悲鳴を上げて再びフリーズした。
『いや、あの! その……小川さん、これは! 今のは単にヒロシとのいつものノリというか、決して俺が短気な人間とかそういうわけじゃなくてですね――!』
「ふっ、はっ、はっ! コウ、お前慌てすぎだろ。本当に大丈夫か?」
片山さんがついにこらえきれずに爆笑する。
『……ああ、もうっ! なんでこんな時に限って編集が終わんねえんだよ、もうチクショウッ!』
画面の向こうで、黒髪をがしがしとかきむしるワイルドなイケメンの姿に、ナナちゃんも私も思わず顔を見合わせてクスッと笑ってしまった。
「わっはっは、お前、本当に笑わせるなよ。わかった、わかったから。そこまで頑張ってる狭山君のために、僕がちゃんと二人に話をつけておくからさ。まずは明日の投稿分の動画を死ぬ気で終わらせてくれ。話はそれからだ。今日はお預けだよ、コウ」
『……チッ、わかったよ。大人しく編集作業に戻る。でも! マジで頼んだぞ、ヒロシ! 絶対だからな!』
「はいはい、わかったから。じゃあな、また後で」
片山さんがそう言って通話ボタンをタップすると、騒がしかった画面はぷつりと暗くなった。
「YouTuberさんって、本当に表舞台の華やかさとは裏腹に、お忙しいお仕事なんですね」
画面が消えたスマートフォンを見つめながら、私が何気なく口にした素直な感想に、片山さんは一瞬だけキョトンとした表情を浮かべた。
すると、私の隣に座っていたナナちゃんが、なぜか自分のことのように妙に得意げな顔をして片山さんを見つめ、ニヤリと笑った。
「ね? 片山さん。すみれさんって、こういうところ、本当にイイでしょう?」
「ああ……なるほどね。見たものをまっすぐに捉えるタイプなんだね。今のやり取りを見て、そういう感想が最初に出てくる人は、なかなかいないよ」
二人が顔を見合わせて深く頷き合っているのを見て、今度は私の方が完全にキョトンとする番だった。
「ええ? 何がでしょうか? ここ数日、隣でナナちゃんの様子をずっと見ていて、いつも一生懸命に編集作業をしているのを知っていましたから。狭山さんも、やっぱり同じように苦労されているんだなぁと思っただけなんですけど……」
「そうだね。すみれさんの言う通りだよ」
片山さんは優しく微笑みながら、大きく頷いた。
「確かに、彼らにとっては撮影以上に、その後の地道な編集作業にかかる時間と労力の方が大きな負担になっていると思う。でも、動画を少しでも面白いものにするためには、絶対に妥協できない必要な作業だからね。その努力の結果が、そのまま再生数というシビアな数字に反映されてしまう世界だから」
「本当にそうなんですよね」
それまでニコニコしていたナナちゃんが、急にプロの真剣な顔つきになって話し出す。
「せっかく現地で面白い映像が撮れたとしても、編集の仕方が悪いと全然つまらないものになってしまうし、かと言って過剰に演出しすぎると今度はネットで批判を受けることもある。本当に、その加減がすごく難しいんです」
ナナちゃんの言葉を受け、片山さんも「まさにその通りだ」と同意するように、手元のグラスを揺らした。
「それにさ……コウは今、かなりの人気者だからね。有名になればなるほど、色々と派手な噂も周囲に立てられる訳だよ。自業自得な女遊びの噂もあれば、中にはまったくの事実無根の言われなき誹謗中傷もある。あいつは元々タフな奴だから、普段はそんなこと一ミリも気にしていないように振る舞っているし、実際に笑い飛ばしている風でもある。でもさ、やっぱり良くも悪くも、いろいろな下心を持った人間が近寄ってくる立場でもある訳だ」
片山さんの言葉に、ナナちゃんが今度は深く、どこか痛みを分かち合うような複雑な表情で大きく頷いた。彼女自身、四十万人もの登録者を抱える配信者として、同じような身の上に思い当たることが何度もあるのだろう。
「コウはあの派手な見た目だろう? なかなかに容姿が整っているせいで、最近はメディアへの露出も増えている。これはナナちゃんもきっと同じだと思うけど、近づいてくる人間の誰もが、みんな良い奴ばかりとは限らないんだよね」
「そうですね……」
ナナちゃんは少し声を落とし、寂しそうに視線を落とした。
「ファンですって言って近づいてきて、一緒に撮ってって頼まれた写真を、後からネットで変な風に悪用されたり、付き合ってるとかデマを流されたりしますしね」
「ああ。だからこそ、コウはあえて拠点を日本じゃなく、この海外に置いてみたんじゃないかな。僕はそういう面もあるんじゃないかと思ってるんだ」
片山さんは窓の外のムンバイの街並みに目を向けた。
「もちろん旅系YouTuberだから、海外にいた方が色々と動きやすくて便利だという実利的な面もあるとは思う。だけどそれ以上に、日本での煩わしくなった人間関係から距離を置きたかったんじゃないかな……。まあ、本人からちゃんとした理由を聞いたわけじゃないから、あくまで僕の勝手な推測だけどね。だから、コウについてエゴサしても、全部を鵜呑みにしないでもらいたいんだ」
そう言って、片山さんは私を安心させるように、いつもの穏やかな笑みをにっこりと浮かべた。
画面の向こうでフリーズしていた、あの整った顔立ちの男性。
彼がまとっている空気の理由が少しだけ分かった気がして、私は異国の冷たい冷房の音を聞きながら、そっと自分の胸に手を当てていた。
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