第57話 画面の向こうのワイルド系youtuber
冷房の効いた快適な『レオポルド・カフェ』の二階席。冷えたビールで喉を潤し、美味しい軽食を突つきながら楽しい時間を過ごしていると、テーブルの上に置かれていた片山さんのスマートフォンが、ブブッと小刻みなバイブレーションと共にメッセージの着信を告げた。
「おっ? 噂をすれば、なんとやらだな。コウからだ。すごいね、本当に噂をすれば伝わるもんだなぁ」
片山さんは画面を覗き込みながら愉快そうに笑い、慣れた手つきでささっと返信を返す。
「今、レオポルド・カフェでナナちゃんと一緒にいるよって送ったんだ。ついでに、二人のこともコウに伝えておくよ。あいつ、最近はずーっと薄暗い部屋に缶詰になって、死にそうな顔で編集作業してるからさ。こっちの天国みたいな様子を教えたら、絶対に羨ましがるぞ」
片山さんは少年のようないたずらっぽい表情を浮かべながら、大きな手で、もの凄い速さで画面を叩き、メッセージを打ち込んでいく。
その様子を隣で見つめていたナナちゃんは、「あはは! 片山さん、コウさんを虐めないであげてください!」と笑いながらも、どこかソワソワした様子でスマートフォンの画面を凝視していた。
すると、送ってから一分も経たないうちに、片山さんのスマートフォンが再び小気味よく震える。
「おっ! もう返事が来たぞ。早いなぁ、やっぱり相当現実逃避したいらしい。ははは、見てよこれ、スタンプ連打してもの凄く羨ましがってるよ」
画面を見せてくる片山さんの指先の向こうで、コミカルなネコがジタバタと悔しがっているイラストが躍っていた。
「あ、アイツ、二人に挨拶したいみたい。……というわけで、ここからビデオ通話を繋いでもいいかな?」
片山さんが顔を上げて私たちに視線を向けると、ナナちゃんは待ってましたとばかりに両手を合わせて目を輝かせた。
「わあ! 私、コウさんのファンなんです! ぜひ、久しぶりにお話ししたいです、繋げてください!」
弾けるようなナナちゃんの声を聞きながら、私はただ二人の楽しげなやり取りを穏やかな気持ちで眺めていた。
旅系YouTuberの業界のことはよく分からないけれど、ナナちゃんがこれほど興奮する相手だ。それに、気の良さそうな片山さんが信頼している仕事仲間なのだから、特に拒否する理由も、身構える必要もない。
「私は大丈夫よ。お仕事の邪魔にならないなら、ぜひ」
私が微笑みながら頷くと、片山さんは「よし、じゃあ繋ぐね」と言って、通話ボタンをタップした。
呼び出し音が二回、三回と小さくカフェの談笑に紛れて響く。画面の向こうにいるという、あのワイルドなイケメンYouTuberは一体どんな声を響かせるのだろう。
ほんの少しの緊張と、それ以上の好奇心を胸に抱きながら、私は片山さんが手元で掲げたスマートフォンの液晶画面をじっと見つめた。
数回の呼び出し音のあと、画面が切り替わった。
そこに映し出されたのは、大きな口を開けて屈託なく笑う、整った顔立ちの黒髪の男性だった。先ほどスマートフォンで見せてもらったチャンネルアイコンの、あの金髪で髭面を蓄えたワイルド系の印象とは、およそかけ離れている。むしろ、すっきりと爽やかで、どこか優しそうな好青年だった。
「ナナちゃん、久しぶりだね。こっちに来てるんだったら、事前に連絡くれたらよかったのに。片山からのメッセージでいきなり名前が出てきたから、本当に驚いたよ」
画面の向こうから響いてきたのは、優しく、それでいて良く通る心地いい声だった。
「コウさん、お久しぶりです! もちろんご連絡しようかとも思っていたんですが、今回のムンバイは色々と急に変更した行程だったもので。でも、滞在中には一度お会いできたらいいな、とは思ってたんですよ」
ナナちゃんは笑顔を浮かべながらも、どこか少し緊張した様子で、膝の上で手をせわしなく動かしながら会話を続けている。
彼女と出会ってからまだここ数日しか一緒にいないけれど、いつも天真爛漫で物怖じしない彼女が、こんな風にそわそわと緊張した様子を見せるのは初めてのことで、何だかとても新鮮に感じられた。
二人のやり取りを微笑ましく見守っていると、片山さんが私のほうをそっと見つめ、画面越しのコウさんに向かって話しかけた。
「おいコウ、お喋りの途中だけど、ナナちゃんの旅の同行者さんを紹介するよ。――こちらは、『小川すみれ』さんだ」
促されると同時に、片山さんのスマートフォンのレンズがすっと私の方へと向けられた。小さな画面の向こうで、黒髪の綺麗な目を丸くしたコウさんと、バッチリと視線がぶつかる。
「小川すみれです。はじめまして」
私は画面に向かって柔らかく微笑み、名前だけを名乗ってから、ゆっくりとお辞儀をした。
――しかし。
それきり、コウさんからの反応がピタリと途絶えてしまった。
画面の向こうの彼は、口を半開きにしたまま、石像のように完全に静止している。背景の部屋のノイズや光の加減は動いているようだから、画面が映っていること自体は間違いない。それなのに、彼からの返事だけが、一言も返ってこないのだ。
「あれ……?」
私が不思議に思って、隣の片山さんに顔を向けて問いかける。
すると、片山さんはなんとも言えない、いたずらが大成功したかのようなニヤついた表情を浮かべていた。
「いや、電波のせいじゃない。おそらく通信はばっちり大丈夫だと思うよ。あいつ、前に『真面目で優しそうな、清楚系の女性には弱い』って自分で言ってたからさ。しかも、確か、一番好きな髪型がポニーテールなんだよ」
片山さんが話を振ると、ナナちゃんもまた、口元を手で隠しながらクスクスと含み笑いを漏らした。
「ふふふ。はい。すみれさん、電波のことは気にしなくても大丈夫ですよ。コウさんのあの反応を見れば、だいたい察しがつきますから」
ナナちゃんは画面の向こうで固まっているらしい狭山さんを面白そうに覗き込み、それから私を見て、ぽんと手を叩いた。
「そっかあ! なるほどねぇ、すみれさんがねえ……!」
二人の思わせぶりな視線と、画面の向こうで完全に停止したままの青年。
私一人が意味を理解できず、レオポルド・カフェの冷房の中で、ただパチパチと瞬きを繰り返すばかりだった。
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