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【片道切符で異国を旅歩く 〜婚約者の浮気で結婚式が中止になりまして〜】  作者: 恋せよ恋
南インド編 カレーの香りと、パンジャビドレス

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第54話 観光途中のオアシス

 車を降りた瞬間、まるで熱いサウナの扉を開けたかのような熱風が、私たちの全身を包み込んだ。

 外の気温は三十五度。体感気温は四十度を超えているだろう。じっとりとまとわりつくような湿気を含んだ暑さだ。すぐ近くにアラビア海が広がっているからか、時折思い出したように強い潮風が通り抜けるけれど、熱せられたアスファルトの上では気休めにもならず、暑いことに変わりはなかった。


 そんな中、私たちはオアシスを求めるように歩いた。目の前に現れたのは、世界中どこに行っても目立つあの黄色い『M』のマーク。私たちはインド門まで徒歩十分ほどの場所にあるマクドナルドへと逃げ込んだ。


 自動ドアをくぐった瞬間、天国のような冷房の冷気が太陽で火照った肌を心地よく冷やしていく。まずはここで水分補給とトイレ、そしてランチ休憩をすることにした。

 注文カウンターの横にある大きなタッチパネルと向き合った瞬間、ナナちゃんの目がキラリと輝いた。


「すみれさん! 見てくださいこれ、インドならではのメニューがあります! YouTubeの撮れ高的には最高です!」


 ナナちゃんはさっそく嬉々としてGoProを構え、画面に映る見慣れないバーガーの数々を動画に収め始める。

 私は彼女の撮影の邪魔にならないよう、一歩引いた場所から画面を一緒に眺めた。どうせなら別のものを頼もうということになり、私はナナちゃんに声をかける。


「ナナちゃんは何にする? せっかくだから、一番インドっぽいのにしてみたら?」


「じゃあ、私はこの名前からしてインパクトのある『チキン・マハラジャマック』にします! すみれさんはどうしますか?」


「私は……この『マックアルーティッキ』にしてみようかな。ポテトって書いてあるし、食べやすそう」


 タッチパネルを操作していて気づいたのは、メニュー全体が「Veg」と「Non-Veg」の二つに、アイコンではっきりと大きく色分けされていることだった。宗教上の理由で牛肉や豚肉を使わないインドのマクドナルドでは、肉といえばチキンが中心。そして、それ以上にジャガイモやチーズ『パニール』を使ったベジタリアン向けのメニューが充実している。


 受け取ったトレイを手に、私たちは涼しい席へと移動した。大きなコーク・ゼロを一口飲んで生き返ったところで、ナナちゃんの実況が始まる。


「ジャーン! これがインド限定の『マハラジャマック』です! 日本のビッグマックのチキン版なんですけど、厚みがすごいです!」


 ナナちゃんはカメラに向けて器用にバーガーを傾けたあと、大きなお口を開けて思い切りかぶりついた。


「んんー! わあ、レタスとオニオンがいっぱいでシャキシャキしています。ソースは少しスパイシーなマヨネーズ味ですね。ビーフじゃなくてチキンパティだからかな、全然重くなくてすごく食べやすいですよ!」


 美味しそうに頬張る彼女の姿を微笑ましく見ながら、私も自分の『マックアルーティッキ』を包み紙から取り出した。「アルー」はヒンディー語でジャガイモのことらしい。

 一口かじってみると、サクサクとした衣の中から、スパイスで絶妙に味付けされたほくほくのポテトコロッケが現れた。ピリッとしたカレー風味のソースと、フレッシュなトマトの酸味が絶妙にマッチしていて、どこか日本のコロッケバーガーのような懐かしさもある。


「私のほうも、カレー味のポテトコロッケ風味で、すごく食べやすくて美味しいわ。これ、日本にあっても人気が出そう」


 冷たいドリンクで喉を潤しながら、スマートフォンでこの後の観光地の情報を改めて検索する。冷房の効いた空間はあまりにも快適で、一度座ってしまうと立ち上がるのが少し億劫になってしまうほどだった。


「あー、生き返りましたね……。でも、このままマックにいたら根が張っちゃって、本当に外に出たくなくなりそうです」


 贅沢な悩みに二人で顔を見合わせ、あはは、と笑い合う。


「よし、じゃあ今のうちにトイレを済ませたら、いざ出発ね」


「はい! カメラの充電もバッチリです!」

 


 マックの自動ドアから一歩外に出ると、やはり容赦のない熱風が私たちを包んだ。けれど、冷たいコーラで水分補給を済ませ、涼しい店内で体力を回復させた今の私たちなら、この暑さも旅のスパイスとして楽しむ余裕がある。


 人混みをすり抜け、クラクションの嵐をやり過ごしながら歩くこと約十分。視界が一気に開けたかと思うと、目の前に巨大な石造りの建築物がその姿を現した。


 ムンバイの象徴――インド門だ。



「わあ……凄い……!」


 隣でナナちゃんが感嘆の声を漏らす。


 目の前に広がるアラビア海を望むその景観は、日本にいるときに写真や画面越しに見ていたものよりも、遥かに圧倒的なスケール感でそびえ立っていた。玄武岩で作られたという美しくも重厚なアーチ型の門は、かつてイギリス国王が訪れた記念に建てられたものらしい。歴史の重みをそのまま形にしたような佇まいで、ただそこに立っているだけで周囲の空気を支配しているようだった。


 広場は、溢れんばかりの多くの観光客で賑わっている。

 色鮮やかなサリーや、私たちが着ているようなパンジャビドレスを美しく着こなした女性たちがたくさん行き交っていた。その服装からして一見すると現地の人たちのように見えるけれど、実際のところは分からない。インドにルーツを持つ人々は世界中にコミュニティを築いているからだ。


 耳を澄ませば、流暢な英語に混ざって、私にはまったく聞き取ることのできない未知の言語がいくつも飛び交っている。その雑多でエネルギッシュな喧騒のなかに身を置いていると、自分が今、本当に世界を旅しているのだという実感がじわじわと湧いてくる。


「すみれさん、あっちの海の見える角度から撮ってきますね!」


「ええ、気をつけてね」


 ナナちゃんはカメラを構え、人混みのなかへ軽快に飛び込んでいった。

 私は広場の少し落ち着いた場所に腰を落ち着け、眩しい太陽の光を浴びながら生き生きとレンズを動かすナナちゃんの撮影風景を、穏やかな気持ちで眺めていた。彼女のプロとしての真剣な眼差しと、時折見せる無邪気な笑顔は、この異国の風景に不思議なほどよく馴染んでいる。


 そんな風に、すっかりアシスタント兼保護者の気分で彼女を見守っていた。

 私も、「くまのスミレ」を取り出して、インド門と記念撮影をする。大きなインド門を「スミレ」が見上げている構図に満足していた、その時だった。


 

 不意に、すぐ後ろから声をかけられた。


「あの、すいません。――ナナちゃんの、お連れの方ですか?」


 雑音だらけの広場で、あまりにも明瞭に響いたその言葉は、紛れもない『日本語』だった。


「え……?」


 驚いてハッと振り返る。


 そこには、一人の男性が立っていた。

 綺麗に手入れされた髭をたくわえ、全体的にどこか異国に馴染んだラフで洗練された雰囲気を纏っている。顔立ちは明らかにアジア系で、年齢は見たところ、私と同じ二十代後半くらいに見えた。


 インド門の喧騒のど真ん中で、突然呼びかけられた自国語。しかも、彼はまだ知り合って間もないはずの「ナナちゃん」の名前を正確に口にしている。

 驚きに目を見開く私に対して、髭の男性は困ったような、それでいてどこか人懐っこい笑みを浮かべて佇んでいた。


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