第50話 初めてのわくわく旅気分、極上シルエットの朝
翌朝、午前七時。私は驚くほどスッキリと目を覚ました。
日本を飛び出し、一人でアジアを歩き始めてから、早いものでもう三週間が経とうとしている。シンガポールから始まった今回の旅は、クアラルンプールでリリーのお宅にお世話になった数日間を除けば、ずっとカプセルホテルでの滞在だった。常に他人の気配を感じる緊張感と、狭いキャビンでの夜は、神経がどこか張り詰めていたのだと思う。
けれど、今回はナナちゃんのおかげで、この「インターコンチネンタル・マリーン・ドライブ」という高級ホテルに滞在している。
今朝の目覚めは、まさにこの旅一番、最高と言えるものだった。昨夜は、海外の安宿では望むべくもない広々としたバスタブに浸かり、お湯をたっぷりと使って入浴ができた。そのおかげか、広いセミダブルのベッドに手足を大の字に伸ばして熟睡できたのだ。もしかしたら、鼾をかいていたのではないかと心配になるほどの爆睡だった。
こんなにぐっすりと、心の底から安心して眠れたのは、旅に出てから初めてのことだった。
同じ部屋に、信頼できる誰かがいてくれるという絶対的な安心感。そして、何より安全な環境に守られているという事実が、私の心と体に極上のリラックスをくれた。
もちろん、それだけではない。昨晩、ベランダの夜風に吹かれながら、ナナちゃんに健一との過去の出来事をすべて聞いてもらえたことも大きかったのだと思う。あんなに堰を切ったように泣いたのは、会社を辞めた日に真理子さんの前で涙を流して以来だった。
夜中に途中で目を覚ますこともなく、嫌な夢さえ見ずに泥のように眠れた。体の疲れが完全にリセットされただけでなく、胸に詰まっていた重い塊が消えて、心まで軽くなった気がした。
「おはようございます! すみれさん。もしかして、物音で起こしちゃいましたか?」
バスルームのドアが開き、シャワーを終えたらしいナナちゃんが姿を現した。頭に白い大判のタオルを巻いたまま、湯気と一緒にフレッシュな笑顔を覗かせる。
「おはよう、ナナちゃん。ううん、もう起きてたの? 全然気が付かなかったわ、びっくりするくらい熟睡しちゃって……」
「ふふふ、良かったです! すみれさん、本当に気持ちよさそうに眠ってましたもんね。旅において睡眠は命ですから!」
「ありがとう、ナナちゃん。あなたのおかげで、体だけじゃなく、心まで信じられないくらい軽くなった気がするわ」
私がベッドの上に体を起こして微笑むと、ナナちゃんは丸い目をさらに丸くして驚いた。
「えっ、本当ですか!? それだったら、あのときマラッカで、インドに誘っちゃったことは正解だったってことですよね」
「ええ、もちろん。大正解よ。私をここに連れてきてくれて、本当にありがとう」
「わあ、よかったです……!」
ナナちゃんは本当に安心したように、胸に手を当ててニッコリと笑った。
「インドって、どうしても好き嫌いがはっきり分かれる特別な旅先じゃないですか。だから、もしすみれさんに楽しんでもらえなかったら、無理に連れ回して申し訳ないなって、実はちょっとだけ心配だったんです」
「まあ。わざわざ誘ってもらえて、こちらは感謝こそすれ、不満なんて言える義理じゃないわよ。至れり尽くせりで、本当にありがたいと思っているわ。ご心配なく」
「ふふふ。すみれさんらしい、相変わらずしっかりした丁寧なご挨拶ですね。でも、私の方こそ、すみれさんに一緒に来てもらえてめちゃくちゃ心強いですよ。ありがとうございます!」
ホテルの贅沢な朝の光の中で、二人でお礼を言い合い、笑顔を交わす。部屋を満たす心地よく温かい空気に、これまでの傷がどんどん癒やされていくのを感じた。
贅沢な朝食バイキングでお腹を満たしたあと、私たちは部屋に戻り、いよいよ昨日購入したドレスに袖を通した。
私の手によって、ウエストの余分なだぶつきをミリ単位で詰め、彼女の体型に完璧にフィットさせたダスティローズのパンジャビドレス。鏡の前に立ったナナちゃんは、彼女が持つ本来の健康的な明るさと、二十三歳のみずみずしい美しさがすっきりとマッチしていて、お世辞抜きに美しかった。
「完璧です、すみれさん! 私、自分の体にこんなに綺麗に合う服、生まれて初めて着ました!」
はしゃいでくるりと回る彼女を見て、パタンナーとしての誇りが胸をくすぐる。
そして、姿見に映る自分自身の姿にも視線を向ける。
私の選んだスモーキーブルーのパンジャビドレス。青みがかった白い肌と黒髪に、その涼やかな色が驚くほど自然に馴染んでいる。自分でも「よく似合っているな」と思える程度には、洗練されたシルエットで着こなせているように感じられた。これまでの地味な裏方としての私ではなく、私自身が主役として輝くための「旅の鎧」が、ここにある。
二人でお互いの服装を確認し、仕上がりを絶賛し合ったあと、私たちはカメラを携えてムンバイの観光へと出発した。
昨夜の作戦会議で、移動手段については慎重に決めてあった。現地の三輪タクシー「オートリキシャ」は映像としての映えはあるけれど、私たちには価格交渉が難しそうだし、ローカルな「路線バス」は行き先の確認と、目的地での降車が難しく、初心者にはハードルが高すぎる。
だから私たちは、単純明快なメトロと、会話最小限で安全なUberを駆使して、目的地を回ることに決めたのだ。
ホテルのロビーを出ると、昨日と同じ、ムンバイの圧倒的な熱気とクラクションの音が私たちを迎えた。けれど、私の心持ちは昨日までとはまるで違っていた。
さあ、今日はどんな一日が待っているのだろう。
日本を飛び出して、『傷心旅行』を続けてきた中で、初めて。逃避ではない、胸の奥から湧き上がるような純粋な「ワクワク感」が、私の心を激しく突き動かしていた。
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