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【片道切符で異国を旅歩く 〜婚約者の浮気で結婚式が中止になりまして〜】  作者: 恋せよ恋
マラッカ編 赤い街並みと新たな出会い

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第41話 ◇ 異国から届いた絵葉書 

 日本に届いた三枚の絵葉書は、それぞれの場所で、止まっていた時間を静かに動かし始めた。


 千葉県にあるすみれの実家では、居間のテーブルに置かれた一枚の鮮やかなフォトカードを囲み、両親が何度も読み返していた。クアラルンプールの国立モスク、『マスジッド・ネガラ Masjid Negara』が写るそのカードは、日本の日常とはかけ離れた色彩を放っている。


「……マレーシア、だってさ」


 父が絵葉書に押された、十日前の消印を指でなぞり、老眼鏡を押し上げながら短く呟いた。


「『二十九歳の誕生日は、友人家族と名物料理を食べて過ごすつもりです』……ですって。あの子、自分のドレスを型紙から引いて、一針ずつ縫い上げていたのに……」


 母は目元を拭いながら、力なく笑った。


 突然の破談と、娘の失踪。この一ヶ月、両親は健一からの謝罪や、周囲への説明に追われ、心休まる暇もなかった。何より、音信不通となった娘の身に何かが起きたのではないかと、夜も眠れぬ日々を過ごしてきたのだ。


「『勝手に出てきてごめんなさい』、か。あの子らしいわね。でも、自分の足で歩くって言ってるんだから、今は見守るしかないわね」


 母は、すみれが書いてきたインスタのIDを、スマートフォンに入力した。画面に現れたのは、色鮮やかな風景の中にちょこんと座る、小さなくまのぬいぐるみ。


「あら、この生地。あの子がいたブランドの柄じゃない? このくまのマスコットが着ている服、きっとあの子の手作りね……やっぱり上手だわ」


 画面の中では、歴史的な教会の前や、異国のスパイスが並ぶ市場の片隅で、くまのマスコットが誇らしげに座っている。娘の姿はどこにも映っていないが、その構図からは、彼女が確かにそこに立ち、前を向いて画像を撮っている気配が伝わってきた。


「……生きて、笑ってるみたいだな」


 父の言葉に、母は深く頷いた。


「ええ。……安心したわ」


「……ああ。良かったな……」




 都内のアパレルメーカー。昼休みの喧騒の中で、真理子はデスクに届いた絵葉書を眺め、ふっと口角を上げた。


「マレーシアからシンガポール、ね。あんなにおとなしかった すみれが、ずいぶん大胆なことを」


 真理子にとって、すみれは腕の良いパタンナーであり、同時にどこか危ういほど自分を押し殺している後輩でもあった。男前の婚約者の影に隠れ、自分の才能さえも彼の「付属品」のように扱っていた彼女が、一人で国境を越えた。


 真理子もまた、教えられたインスタを検索した。


「……センスいいじゃない。さすがパタンナーね。あら、フォロワーが、五千人……すごいじゃない、すみれ」


 投稿されている写真は、単なる観光写真ではなかった。布の質感、光の当たり方、そして風景の中に絶妙な配置で置かれた「くまのマスコット」。


「このスカーフ、現地で選んだのかしら。色の合わせ方が絶妙ね。これなら、フォロワーも増えるわよ」


 真理子は「ハートマーク」のリプライが数件ついているのを見て、迷わず自分も「いいね」を押した。その数、『500』。


「すみれ、あなたは自分の足で歩き始めたら、どこまでも行ける子よ。いつか、あなたのインスピレーションを形にした服、見せてちょうだいね」




 一人暮らしの部屋で、慎二はすみれからの手紙と、今日届いた絵葉書を並べていた。


『健一さんには教えないでください。彼とは縁を切ったから』


 その一文に、慎二は胸を締め付けられるような思いがした。兄がすみれに何をしたか。そして、彼女がどれほどの決意でその一切を断ち切ったか。兄の自業自得だとはわかっていても、家族として申し訳なさが消えることはない。


 慎二は、さっそく、スマートフォンで彼女のインスタをチェックした。


 そこには、あの日から今日までの、色とりどりの写真がアップされていた。夕日を背負って海に浮かぶ、美しいモスク。その手前には、淡いブルーの小花柄のスカーフを頭に巻いた「くまのマスコット」がいた。


「……『フォロワーが5000』かあ。『いいねが500』。すげえな、エンゲージメントがめちゃくちゃ優秀だな。そっか……すみれ姉さん、海外にいるのか。それでインスタ始めるって、本当に一人で頑張ってるんだな」


 慎二は、彼女のアカウントをフォローした。兄には絶対に教えない。これは自分と、誰よりも幸せになってほしかった『《《義姉であったであろう女性》》』を繋ぐ、細くも確かな糸なのだから。


 ふと、絵葉書の最後にあった言葉を思い出す。


『夢だった美容師として、慎二くんがヘアサロンを開業する日を楽しみにしています』


 慎二は画面の中の小さな「くま」に向かって、静かに誓った。


「俺も、負けてられない。すみれさんが帰ってきたときに、胸を張って『俺のヘアサロンの最初のお客さんになってよ』って言えるように。今は、俺が自分の場所で頑張る番だ」


 慎二はコメント欄に、そっと書き込んだ。


『スカーフすごく似合ってます!体に気をつけて、旅を楽しんでください。応援してます!

@ramen_shinji723』


 日本で、三者三様の思いを乗せた「いいね」が、海を越えてマレーシアの空の下にいるすみれへと届いていく。彼女が撒いた小さな種は、確実に、大切な人たちの心の中で芽吹き始めていた。


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