第40話 インフルエンサーとの出会いと、新たな目標
二十代前半だろうか、ボブヘアの可愛らしい雰囲気の女性は「ナナ」と名乗り、世界を渡り歩く「旅系YouTuber」だという。
「YouTubeは、編集が命なんですよ。撮れ高はもちろんですが、キャプションや効果音、BGM一つで印象がガラッと変わるんです」
世の中にはいろいろな職業があるものだ。まさか、動画配信を生業にする女性とマラッカの片隅で話す機会が訪れようとは。旅は、本当に「出会い」だ。私は、シンガポールの観音堂で引いた、あの不思議と今の状況に重なる「おみくじ」の文字を思い出していた。
「……ごめんなさい。YouTubeはこれまで見る機会がなくて。でも、喜んでチャンネル登録させてもらいますね」
ナナから聞いたチャンネル名を検索して、私は絶句した。登録者数五十万人。彼女は、ただの旅行者ではなく、有名インフルエンサーだったのだ。
「すみれさんは、SNSの活動はしてないんですか?」
「えっと……一ヶ月前くらいからインスタを始めたばかりで。まだ、全然、下手なんだけど」
「そうなんですね。もし良かったら、フォローしますよ?」
見せた画面に、ナナは声を弾ませた。
「わあ、可愛いくまですね! 愛嬌があって、どこか『高そう』な佇まい。どこのですか?」
「実は、私のハンドメイドなの。だから、世界に一つだけの、私の旅の相棒よ」
「わあ、素敵! そういうの、すごく憧れます!」
ナナは手際よく、コーヒーカップに寄りかかる「くまのスミレ」を撮影し、Xへポストした。
「うん、可愛い! お互いに素敵な旅を楽しみましょう! 今日はお話しできて楽しかったです。クアラルンプールの情報もありがとうございました。参考にしてみますね。YouTubeもフォローありがとうございます、たまには見てください!」
彼女は軽やかに立ち上がると、MacBookを片手に「近くのカフェで編集を頑張る」と言い残し、嵐のように去っていった。
「元気な子だなあ。私も、あのくらいの時には、あんなにパワフルだったかしら……いや、彼女は特別よね、ふふふ」
彼女との出会いは三十分ほどだったが、異変は翌朝に起きた。
「……うそ、何これ」
二十人程度だったフォロワーが、一晩でニ千人にまで膨れ上がっていたのだ。ナナの投稿が拡散され、私の「くまのスミレ」が多くの人の目に留まったらしい。
かつての私が「憧れの服」を作りたかったように、今は、私の分身であるこの子との旅を、もっと色鮮やかに表現していきたい。
再び共用スペースで会ったナナは、私のフォロワー急増を自分のことのように喜んでくれた。そして、圧倒的な熱量で「プロの技術」を伝授してくれたのだ。
「いいですか、すみれさん。インスタは『世界観』がすべてです。すみれさんの『手紙のように旅を綴る』という軸は、かなり強い武器になりますよ」
私はコーヒーを置き、アドバイスを聞き逃さないように慌ててスマートフォンのメモを立ち上げた。かつて、健一のネクタイを整えるために使っていた指先が、今は自分の未来のための言葉を刻んでいく。
「プロフィールには『何を発信し、読者がどんな気分になれるか』を。投稿は“いいね”より、見返したくなる“保存”を意識して。そして何より、リール動画で空気感を伝えるんです」
正直、『リール動画』の何たるかさえ理解できていない私には、「馬の耳に念仏」「豚に真珠」という言葉がよぎるほど勿体ない指導だが、それでも私は必死に、せっせとメモを取った。
しかし、ナナの助言は華やかな成功法則だけではなかった。
彼女は私の画面を指差しながら、プロの目線で鋭く、けれど温かくコツを畳み掛けてきた。
「プロフィール欄には、『何を発信している人か』と『どんな気分になれるか』。この二つを意識して、例えば『静かな旅、余白のある暮らし』みたいな一文を入れるだけで、フォロー率は劇的に変わりますよ」
彼女が強調したのは、単なる「映え」ではなく「保存したくなるかどうか」だった。
「今は“いいね”より“保存”が伸びの鍵なんです。旅先の小さな気づきや、後で見返したくなるルート、それに写真に添える短いストーリー。誰かの感情が動く一言があれば、それはもう立派なコンテンツです」
リール動画の重要性や、ハッシュタグの選び方、#travelのような大きなタグに混ぜて、#一人旅女子 や #マレーシア旅記録 のような中~小規模なものを10~20個ほど選ぶという具体的なテクニックまで、彼女は惜しみなく教えてくれた。
もう、『ナナ先生』の言葉に真剣にメモを取る。
「交流も大事。同じジャンルの人に自分からアクションを起こすことで、アルゴリズム的にも見つかりやすくなります。一番もったいないのは、伸びない時期に方向性をコロコロ変えること。同じ軸で少しずつ改善を続けた人が、最後には勝つんです」
そこまで話すと、ナナの表情が少し真剣なものに変わった。
「でも、すみれさん。ここからは注意点。これを守らないと、せっかくのアカウントが台無しになっちゃうから」
ナナは、インスタを運用する上での落とし穴を初心者の私にもわかりやすく説明してくれる。その見返りを求めない潔さに、彼女という人間の器の大きさを教えられた気がした。
しかし、ナナの助言は華やかな成功法則だけではなかった。
「でも、注意点もあります。一番大事なのは、安全。一人旅なら特に、投稿は必ず『その場を離れてから』。これは絶対です! 位置情報の出しすぎは絶対にNGです。それから、アンチコメントや執拗なDMには心を削られないで。躊躇なくブロックして、自分の心を守ってください」
ナナが語る「落とし穴」の数々は、どれも今の私にとってじゃピンとこない次元での鋭い教えだった。
「『ブレない軸+無理しない継続+安全と信頼を守る』。この三つを外さなければ、ちゃんと積み上がっていきますから」
ナナと別れたあと、私は一人、教えてもらったばかりのプロフィール欄を書き直し始めた。
「……旅の思い出作りだと思って、やれるだけやってみよう!」
かつての私が、自分の意志を押し殺して「彼という型紙」に合わせていた日々は、もう遠い過去だ。これからは、この小さな相棒と一緒に、自分だけの物語を編み上げ、誰かに届けていく。
画面の中でちょこんと座る「くまのスミレ」を見つめる。
私は、新しい自分に向かって、静かに、けれど確かな足取りで、また一歩、異国の地を踏み出した。
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