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【片道切符で異国を旅歩く 】〜婚約者の浮気で結婚式が中止になりまして〜  作者: 恋せよ恋
マラッカ編 赤い街並みと新たな出会い

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第38話 ドライブと、優しき沈黙

 翌朝、宿泊先のロビーへ向かうと、アブドゥルの運転する車がすでに待機していた。昨日、歴史的建築の修復士としての熱い視線でマラッカを案内してくれた彼と、今日は少し足を延ばして郊外をドライブする約束をしていたのだ。


 助手席には、穏やかな笑みを浮かべた女性が座っていた。


“This is my wife, Fatima.”

「僕の妻のファティマだよ」


 アブドゥルに紹介され、私は少し驚きながらも会釈を返した。独身の彼が親切心で案内してくれているのだと勝手に思い込んでいたが、パートナー同伴という配慮に、かえって安堵する自分もいた。


 車はマラッカの喧騒を離れ、郊外へと滑り出す。窓の外には、都会とは違う、どこか懐かしい風景が広がっていく。


“By the way, Sumire, my husband mentioned you yesterday, and I was wondering—what made you decide to travel abroad on your own? Don’t you ever feel lonely?”

「ところで、スミレ。昨日、夫から話を聞いて気になっていたんだけど、どうして一人で海外旅行をしているの? 寂しくないの?」


 ファティマが、屈託のない様子で問いかけてきた。悪気のない、純粋な好奇心。それに対し、私は少しの沈黙の後、嘘を吐くのをやめた。今の自分にとって、それを隠し続けることの方が重荷に感じられたからだ。


「……婚約者と別れて、一人になってしまったんです」


 車内の空気が、一瞬だけ揺れた。バックミラー越しにアブドゥルと目が合う。


“Oh my, I’m so sorry—that was an inappropriate question. That must have been really difficult for you.”

「まあ。ごめんなさい! 失礼なことを聞いてしまったわね。それは……本当に大変だったわね」


 ファティマが慌てて、心からの同情を込めた声を上げた。彼女の優しさが、かえって私の胸をちくりと刺す。


「あっ、全然、大丈夫なんです。あれから一ヶ月ちょっと経ちましたし、もう気にしないでください」


 私が努めて明るく振る舞おうとすると、ファティマはさらに驚いたように目を見開いた。


“What? That was just recently! That’s awful. Are you really, really okay?”

「えっ! つい最近じゃない! それは大変よ。本当に、本当に大丈夫なの?」


 矢継ぎ早に投げかけられる心配の言葉に、私はただ苦笑いすることしかできなかった。

 気まずい時に慌てるのは万国共通なのだなと、少し可笑しくなる。だが同時に、二人に気を遣わせてしまったことが申し訳なかった。


 少ししんみりした空気を変えようと、アブドゥルが「Let’s go have a special lunch.」(とっておきのランチに行こう)と提案してくれた。

 

 向かったのは、地元の人々で賑わう『サテー・チュロップSatay Celup』の名店だ。

 サテー・チュロップは、肉や魚介、野菜などが刺さった串を、テーブル中央にある濃厚なピーナッツソースの鍋に入れて煮込む「マレーシア風フォンデュ」とも呼ばれるマラッカ名物だ。甘辛くスパイシーなタレの香りが店いっぱいに広がり、食欲をそそる。


“Go ahead—choose whatever you like. Around Malacca, they eat it by dipping it into this rich sauce.”

「ほら、好きな具材を選んで。この濃厚なソースに潜らせて食べるのがマラッカ流だよ」


 アブドゥルに促され、私は色とりどりの串を選んだ。熱々のピーナッツソースをたっぷりと纏わせた海老や野菜を頬張る。コクのある甘さの後に追いかけてくるスパイスの刺激。それは、昨日食べたニョニャ料理とはまた違う、力強くてどこか安心する味わいだった。


 三人で一つの鍋を囲み、串を煮込む時間を共有する。ファティマが「これは美味しいわよ」と手際よく具材を勧めてくれるうちに、先ほどまでの重苦しい空気は、鍋から立ち上る湯気と共に消えていった。


 隣でハンドルを握るアブドゥルが、そっとファティマの言葉を遮るように、進行方向の景色を指差した。


“Sumire, look over there—that’s St. Peter’s Basilica.”

「すみれ、あそこを見て。サン・ペテロ教会だ」


 1710年に建てられたというその教会は、白亜の壁が青い空に映え、長い歴史の重みを感じさせる静謐な佇まいを見せていた。アブドゥルは、あえて私の過去には踏み込まない。ただ、修復士としての視点で、建物の魅力を語り始めた。


“This church was built by people of Portuguese descent during the Dutch colonial period. Different religions and cultures blended together, and it’s still carefully preserved today.”

「この教会は、オランダ統治時代にポルトガル系の人々によって建てられたんだ。宗教も文化も混ざり合いながら、こうして今も大切に守られている」


 彼の淡々とした解説を聞きながら、私は教会の尖塔を見上げた。壊れても、持ち主が変わっても、修復され、形を変えながら残っていく建物。それは今の私にとって、何よりの救いのように思えた。


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