第37話 混ざり合う味、新しい出会い
昨日、マラッカに到着後に私はリリーから紹介してもらった彼女の友人、アブドゥルにメッセージを送った。すぐに返信があり、今日のランチを一緒に食べることになったのだ。二十九年間生きてきて、自分にこんな社交性があったなんて初めての発見だった。
待ち合わせ場所に現れたアブドゥルは、リリーと同じ二十五歳のマレー系男性だった。屈託のない笑顔が印象的な彼と挨拶を交わす。
“I heard about you from Lily. We were friends at a university in Kuala Lumpur.”
「リリーから聞いてるよ。彼女とはクアラルンプールの大学で友人だったんだ」
彼は懐かしそうに目を細めて続けた。
“Since graduating, I moved back here to Malacca and work as a historic building restoration specialist. Glad I can show you around today!”
「卒業してからは、地元であるこのマラッカに戻って、歴史的建築の修復士として働いているんだよ。今日は案内できて嬉しいな」
マレーシアは、マレー料理、中華料理、インド料理など、各民族が守り抜いてきた本格的な味が楽しめる食文化の宝庫である。その中でもマレーと中華が融合した「ニョニャ料理」は、少し異色の存在だ。
15世紀後半、マレー半島に移住してきた中華系移民の男性『ババ』と、地元のマレー系女性『ニョニャ』が結ばれたことで生まれたこの料理は、ここマラッカが発祥の地といわれている。
食材は主に中華料理のものを使うが、味付けにはココナッツミルクやサンバル、レモングラスといったマレーならではのスパイスがふんだんに使われる。また、イスラム教で禁じられている豚肉を使うことも、この融合料理ならではの特徴だという。
私たちが訪れたのは、オランダ広場から徒歩三分ほどの場所にある有名店『Hoe Kee Chicken Rice Ball 和記鶏飯團 ホーキーチキンライスボール』だ。
運ばれてきたのは、マラッカ名物のチキンライス。驚いたことに、ご飯がおにぎりのように丸く固められている。
“You just shred it like this and eat it with the chicken.”
「こうやってほぐして、チキンと一緒に食べるんだよ」
アブドゥルが手際よく、お皿の上でライスボールをスプーンでほぐし、分厚い鶏肉をのせてくれた。二種類のソースを混ぜて特製のタレまで作ってくれる。チリソースと中国醤油のタレをご飯によく混ぜて食べるのが、現地流のスタイルだ。
この店は注文が二人前からだったため、一人で来ていたら味わうことができなかっただろう。一緒に食べられて本当に助かった、と彼に伝えると、アブドゥルは白い歯を見せて笑った。
支払いは割り勘、電子マネーでスマートに済ませることができた。
ココナッツのまろやかさとスパイスの刺激。そして、慣れない土地で誰かと食卓を囲む温かさ。
複雑で奥行きのあるその味わいは、今の私にとって、まさにこのマラッカという街そのもののように感じられた。
食事の後、アブドゥルは誇らしげにジョンカー・ストリートの古い邸宅を指差した。
“Look at those details. The Peranakan sense of beauty is still alive in these pillars and walls, even after hundreds of years.”
「あの装飾を見て。プラナカンの人々の美意識が、何百年経ってもこの柱や壁の中に生きているんだ」
歴史的建築の修復士としての専門的な知識を交えながら語る彼の言葉は、街の風景に深い陰影を与えていく。ただの「古い建物」だったものが、彼の解説によって、人々の営みが積み重なった「生きた構造物」へと変わっていくのを、私は新鮮な驚きとともに見つめていた。
ジョンカー・ストリートを抜け、私たちは小高い丘の麓に建つ『マラッカ王宮博物館Melaka Sultanate Palace』へと足を運んだ。15世紀のマラッカ王国時代の王宮を再現したというその建物は、釘を一本も使わずに建てられたという巨大な高床式の木造建築だ。
“Take a look at how these pillars are put together. It’s different from modern methods, but it’s based on incredibly precise calculations. The way the timbers support each other—it’s almost like a living organism, isn’t it?”
「この柱の組み方を見て。現代の工法とは違うけれど、驚くほど緻密な計算に基づいているんだ。木材同士が支え合う構造は、まるで一つの生命体のようだろう?」
アブドゥルが誇らしげに語る建物の構造や歴史的背景に耳を傾けながら、私は不意に、遠い日本にいる健一のことを思い出していた。
建築学科を卒業した健一も、デートの最中によく建物の説明をしてくれた。
就職活動の時期、設計事務所へ進んで己の美学を追求するか、それとも大手ゼネコンで大きなプロジェクトに携わるか。夜遅くまで悩み、青臭い理想を語っていた彼の横顔が、鮮明に脳裏をよぎる。
(懐かしいな……。もし、あの頃に戻れたら、私はどうするだろう)
あの頃の私たちは、純粋に未来だけを見ていたはずだった。いつから、私たちの「構造」は歪んでしまったのか。
“……Hey… is everything okay? Getting a bit tired from all the walking?”
「……どうかした? 歩き疲れちゃったかな?」
私の雰囲気が急に変わったのを察したのか、アブドゥルが足を止め、覗き込むようにして気遣ってくれた。せっかく熱心に案内してくれている彼に、申し訳ない気持ちになる。
「ううん。あまりにすごくて、感動していただけ。詳しい説明をありがとう、アブドゥル」
私は努めて明るい声で返し、バッグから『くまのスミレ』を取り出した。
釘を使わず、互いの凹凸を噛み合わせて立ち続けるこの王宮のように、人もまた、正しく組み合わさっていれば、これほど美しくいられたのだろうか。
私は、重厚な木造建築を背にした『くまのスミレ』を、そっとスマホの画面に収めた。その写真は、過去への感傷と、異国の風を同時に切り取ったような、不思議な色合いをしていた。
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