第31話 五月の雨と、リリーの優しさ
クアラルンプール滞在も三日が過ぎ、私はリリーの家族との夕食の席で、これからの予定を切り出した。
「リリー、もしみんなが構わなければ、あと五泊ほどお世話になってもいいかな? 土曜の朝には、マラッカへ向かおうと思っているの」
すると、リリーが少し眉をひそめて首を振った。
「 Hey Sumire, next Monday, May 11th, is Vesak Day. It’s a holiday for the Buddha’s birthday, so everywhere gets pretty packed. Hotels get expensive too, so you might want to chill and move around after Wednesday.
(すみれ、来週の月曜は五月十一日、『ウェサック・デー』という祝日よ。お釈迦様の誕生日をお祝いする日で、街中が混雑するわ。ホテル代も跳ね上がるし、移動するなら水曜日くらいまでゆっくりしたら?)」
リリーのお母さんも「It’s okay, don’t worry about it. No worries at all. (そうよ、気にしないで) 」と笑ってくれる。けれど、私は首を横に振った。
「でも、そんなに長居してしまったら、あまりに申し訳なくて……。それなら、明後日にでも出発しようかな」
「 I won’t stop you if you really need to go, but if you’re just being polite, why don’t you stay? My mom and sisters are really happy you’re here. Okay ?
(先を急ぐ理由があるなら止めないけど、もし遠慮しているだけなら、ここにいなさいよ。ママも妹たちも、すみれがいてくれて本当に楽しそうなの。ね?)」
リリーの真っ直ぐな瞳に見つめられ、私の胸の奥でせき止めていたものが、ふわりと溢れ出した。
「……ありがとう、リリー。本当に、ありがとう」
「Hey, what’s wrong with you? Why did you suddenly get all quiet?
(ちょっと、どうしたのよ! 急にしんみりしちゃって) 」
リリーが冗談めかして肩を叩く。私は俯き、膝の上で拳を握りしめた。
「……実はね、今度の十日の日曜日は……私が、結婚式を挙げるはずだった日なの」
ダイニングの空気が、一瞬で静まり返った。
「だから、その日はきっと精神的に不安定になると思う。急に泣き出したりして、みんなに迷惑をかけたくないの。一人でどこかのホテルにいた方がいいかなって……」
言い終える前に、リリーが私の手を強く握った。
「 What?! Then there’s no way I’m letting you be on your own. You are not going anywhere until that day is over. If you need to cry, do it here—in front of us. Got it?
(なんですって! ますます一人になんてさせられないわ。その日が過ぎるまで、移動は絶対にダメ! 泣きたければここで、私たちの前で泣きなさい。いいわね?)」
リリーの言葉は、熱を帯びた陽だまりのように温かかった。家族という形を失いかけていた私にとって、そのお節介なほどの優しさが、何よりも救いだった。私は子供のように、声を上げて泣いた。
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