第27話 中華街プタリン・ストリートで待ち合わせ
午後の三時を過ぎた頃、ムルデカ広場のベンチで、マレーシアの午後のまどろみを眺めていた私のポケットが、短く震えた。
画面を確認すると、そこには『リリー』の名前。
「Having fun? Have you decided on dinner yet?
(楽しんでる? 夕飯はもう決めた?)」
仕事中だというのに、知り合って間もない私を気にかけてくれる人がいる。
九年間、私は健一からの「今どこ?」「飯は?」という、確認事項のような連絡に追われてきた。けれど、リリーのメッセージから伝わってくるのは、義務感ではなく、純粋な「親愛」だ。それだけで、異国の強い日差しに晒されていた心が、ふわりと温かくなってくる。
「最高に楽しんでるよ。クアラルンプールはどこも素敵で、みんな親切だわ。夕飯は、まだ決めてない」
送信してすぐ、次の着信が届いた。
「If you don’t mind, Sumire, let’s have dinner with my friends. I’d like to meet around six, so I’ll send you the location.
(すみれが嫌じゃなかったら、私の友達と夕飯を食べましょう。六時頃に待ち合わせしたいから、マップを送るわ)」
――友達。
正直に言えば、少しだけ、いや、かなり億劫な気持ちが頭をもたげた。私は元々、社交的なタイプではない。パタンナーという、黙々と布と向き合う仕事を選んだのも、その性質ゆえだ。リリー以外の、それも現地の人の輪に飛び込むのは、今の私にはハードルが高すぎる気がした。
けれど、ふとシンガポールの観音堂で引いた、《《あの》》おみくじの言葉が脳裏をよぎる。
『出会に感謝し、まっすぐ進むべし
(Be thankful for each encounter, and go forward without wavering)』
神様はあの日、こうなることを見越してあの札を引かせてくれたのかもしれない。せっかく世界を歩くと決めたのだ。自分の殻に閉じこもるために、日本を飛び出したわけじゃない。
「わかった、楽しみにしてる!」
そう返すと、まもなくピロンと軽快な音と共にマップが送られてきた。
指定された場所は、クアラルンプールの観光地の一つ、『チャイナタウン・プタリン・ストリートPetaling Street』だった。
道に迷って迷惑をかけることが不安なので、早めに待ち合わせ場所へ移動する。LRTパサール・セニ駅で下車し、改札を抜ける。案内表示板に従って歩くこと約五分。熱気と喧騒が一段と濃くなるエリアへ足を踏み入れる。
リリーが指定したのは、ジャラン・スルタンJalan Sultan側にある、一際派手な装飾のゲートの前だった。
どうやらゲートは二箇所あるようだが、マップの赤いピンが正確な場所を指し示している。
目の前に広がるのは、ひしめき合う屋台、ぶら下がる赤い提灯、そしてお土産品や雑貨を威勢よく売る店主たちの声。
シンガポールの整然とした美しさとはまた違う、マレーシアの「混沌とした生命力」がそこにはあった。
約束の六時まで、あと十五分。
私は、くまのスミレがぶら下がるリュックを背負い、人混みの中に立つ。
(大丈夫。今の私は、もう昨日の私じゃない)
頭に巻いた、新しいスカーフの端をそっと指でなぞる。
その感触は、これから始まる新しい出会いへの、ささやかな勇気のお守りのようだった。
「呢附近有冇賣布同手工材料嘅舖頭啊?
(この近くに、手芸店はあるかしら?)」
突然、中華系の年配の女性から勢いよく話しかけられた。何を言われたのか分からず、あたふたしながら翻訳アプリを起動しようとする私。けれど、私の反応から「言葉が通じない相手」だと察したのか、彼女はそれ以上追及することなく、関心を失った様子ですぐに別の女性へと向き直り、また熱心に語りかけ始めた。
その一瞬の、淡々とした切り替えの早さに圧倒される。
ここでは言葉が通じないことも、自分が「部外者」であることも、ごく当たり前の日常なのだ。拒絶された悲しみよりも、その潔いほどの無関心さが、今の私にはむしろ心地よく感じられた。
中華街の雑踏には、活気に満ちた言葉が飛び交っている。テレビ番組で耳にするような、独特の抑揚を持った響き。
世界中から人が集まり、移動し続けるこの時代。中国語を話していても、その人がどこの国の出身なのかは、私には見当もつかない。母語に加え、英語やマレー語までも操るトリリンガルは珍しくないと聞くけれど、シンガポールと同様にここマレーシアも、中華系の人たちの放つエネルギーは圧倒的だ。
「世界は、本当に広いのね……」
思わず独り言が漏れる。
それもそのはず。つい先日まで東京の片隅で型紙を引いていた日本人の私が、今こうして異国の喧騒に身を置き、マレー系の友人を待っているのだから。
人生の脚本が、自分の予想もしなかった方向へ書き換えられていく不思議を、私は噛み締めていた。一月前までの私が知っていた「世界」がいかに小さな箱庭だったかを、肌を刺すような熱気と多言語の渦が、改めて教えてくれている気がした。
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