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【片道切符で異国を旅歩く 〜婚約者の浮気で結婚式が中止になりまして〜】  作者: 恋せよ恋
ニュージーランド編 懐かしい場所と自分の気持ち

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160/200

第160話 優しい約束と、届いたDM

「私……やっぱり、布や手芸が好きです」


 ミルクティーのカップを両手で包み込みながら、心の底から溢れ出た言葉を口にすると、スーザンはくすくすと楽しそうに笑った。


“Oh dear, I’ve known that for a very long time, Sumire.”

『あらあら。そんなこと、私はとっくに見抜いていたわよ、すみれ』


「ふふ、そうですよね……。でも会社を辞めた時は、もう、服を作ろうという気力も湧かなくて。でも……旅先で色々な布や着こなしに出会うたびに、胸がときめいてしまって。自分の好きなものを、こだわりを持って作れたらどんなに素敵だろうって、最近よく考えるんです」


 スーザンは温かな眼差しで私を見つめ、静かに頷いた。


“Designing clothes for a big organization and crafting something with all your heart from scratch are two completely different things. You wanted to make something that brings happiness to people directly with your own hands, didn’t you?”

『組織で洋服を作るのと、心を込めて一から仕立てるのとは全く別ものよ。あなたは自分の手で「誰かを幸せにするもの」を作りたかったのね』


 スーザンの言葉が、すとんと胸の奥に落ちた。


「そうかもしれません。……でも、組織で働いていたからこそ、売れる服を作ることの必要性や難しさもよく分かるんです。どんなにこだわったものでも、手に取ってもらえなければ届かないから」



“That’s very true. To make a living doing only what you love, you’ll need recognition, skill, and the financial foundation to back it up.”

『そうね。好きなものばかり作っていられるようになるには、知名度と実力、資金力が必要でしょうね』


「はい。甘くない世界だってことも、よく分かっています」



“But you already have the skill, and more importantly, you have passion. Take your time. Step by step, you will find your own path.”

『でもね、あなたには確かな技術があるわ。そして何より、溢れるような情熱がある。焦る必要はないのよ。少しずつ、あなたの道を見つけていけばいいの』


 スーザンの現実的で、けれどどこまでも温かいエールが、胸にじんわりと響いていく。


(ブランドを作る……それとも、自分のペースでパタンナーとして洋服作りに関わっていくのか。私は、どうしたいのかしら)



 これまでは『会社員として働くか、辞めるか』の二択しか見えていなかった。

 けれど今、私の前には幾つかの選択肢が広がっているのだと思えた。自分のブランドを立ち上げて小さなコレクションを作る未来も、フリーランスのパタンナーとしてこだわりのある服作りに寄り添う未来も。


 旅という非日常を送る今の自分に、現実の将来を考えるうっすらと優しい光が灯り始めたような気がした。



“Sumire, do you have any plans while you’re here?”

『すみれ、滞在中の予定はあるの?』


 紅茶のおかわりを注ぎながら、スーザンが尋ねてきた。


「いえ。しっかりした予定は決めていません。当時の思い出を辿りながら、のんびり過ごそうかなと思っています」



“You’re here on a visitor visa, so you can’t work in New Zealand, but you’re more than welcome to play around with the craft supplies in the shop.”

『そう。それならここに遊びにいらっしゃい。観光ビザでしょうから、ここで仕事をすることはできないでしょうけれど、店にある物で手芸を楽しめばいいわ。好きでしょう?』


「えっ!? いいんですか? ぜひ! すごく嬉しいです!」


 思いがけない魅力的な提案に、気持ちが跳ね上がった。



“Hehe, the pleasure is all mine. Having you around makes me happy, too. We can drink tea and enjoy crafting together at our own pace.”

『ふふふ。こちらこそ。すみれがいてくれたら私も嬉しいわ。一緒にお茶でも飲みながら、のんびり手芸を楽しみましょう』


「はい! では、明日も十時くらいに顔を出しますね」


“Yes, I’ll be waiting for you.”

『ええ。待ってるわ』



 お店にある色とりどりの布や糸に囲まれて、大好きな手芸に没頭できる時間。

 ただの観光旅行ではなく、この街で生活しているような時間が明日から始まるのだと思うと、高揚感で心がじんと温かくなった。



 午後二時半。私はスーザンに「また明日!」と笑顔で手を振り、アートセンターを後にした。


 今晩は、アンが仕事の都合で少し帰宅が遅くなると言われている。そのため、私が夕飯を担当することになっていた。


『冷蔵庫にある材料は自由に使ってね』と言われていたので、朝出かける前に中身を確認してある。ベーコン、卵、生クリーム、チーズ、そして野菜。


(カルボナーラと、簡単なサラダでいいかな。あとは……美味しいバゲットだけ買って帰ろう)


 アートセンターから徒歩十五分ほどの距離にある『South City Shopping Centre サウスシティ・モール』へ向かって歩き出す。


 ここも留学時代、アンと一緒に買い出しに来ていた思い出のショッピングモールだ。



 モールの中に一歩足を踏み入れると、どこか懐かしい香りが漂ってきた。


 目指すのは、当時もよく利用していたベーカリーショップ『Bird Bakery バード・ベーカリー』だ。

 焼き上がったばかりのパンの芳しい香りに導かれるように、私は足早にパン屋さんへと向かった。


『バード・ベーカリー』で香ばしい焼きたてのバゲットを受け取った後、サウスシティ内にある大型スーパーマーケット『New World ニューワールド』へ足を伸ばした。


 整然と並ぶ野菜売り場で、手頃な大きさのアボカドを三つほど購入する。カルボナーラに添えるフレッシュサラダの彩りにぴったりだ。


 買い物を終えてバスに乗り込み、アンの家へと戻った。



 まずは自室で着替えを済ませ、さっとシャワーを浴びる。アンが仕事から帰ってくる前に洗濯を済ませておこうと思い立ち、脱衣所の洗濯機を回した。


 衣類が回る静かな音を聞きながら、キッチンへと向かう。


『帰る前にメッセージを入れるわね』と言っていたアンの連絡を待つ間に、夕飯の下ごしらえを進めておくことにした。



 レタスを洗って食べやすい大きさにちぎり、先ほど買ってきたアボカドの皮を剥いてスライスする。ドレッシングを和えるだけの状態にして、冷蔵庫へ納めた。


 やがて洗濯が終わり、衣類を乾燥機へと移す。


 ブォーンという乾燥機の稼働音が響く中、私はリビングのソファに深く腰を下ろした。



 そういえば、ここ二日ほどSNSをほとんど確認していなかった。


 画面を開き、Instagramのアプリをタップする。ホーム画面の右上、メッセージマークの上に小さな赤い通知がついているのが目に入った。


「あれ? もしかして……」


 半信半疑のまま、メッセンジャーのマークをタップする。


「健一、本当にDM送ってきたんだわ……」


 画面に表示されていたのは、健一からのメッセージだった。


 過去のメッセージを遡ると、ひとつめは彼がジャカルタに帰りついた直後のものだった。


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『無事に家に着いたよ。すみれも気をつけてね』

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 そして一昨日の夜。ジャカルタ時間の夜九時。


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『今晩は親子丼を作ったよ。美味かった』

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「へえ……。健一、料理できたんだ。今までやらなかっただけだったんだね。……ううん、私がさせなかったのかな」


 ほぼ一年間の同棲生活の中で、彼がキッチンに立つ姿なんて片手で数えるほどしか見たことがなかった。


 全部自分が抱え込んでやってあげることが、彼の負担を減らす愛情だと信じ切っていたけれど、ただ彼の機会を奪っていただけだったのかもしれない。



 そして昨日の夜。同じくジャカルタ時間の夜八時。


=============

『今日は暑かった。家で飲むビールが美味い』

=============



「ふふふ。これ、なんだか小学生の絵日記みたいね……。でも、本当に、毎日続ける気かしら?」


 クライストチャーチとジャカルタの時差は、こちらの方が五時間早い。

 向こうが夜の八時ということは、こちらでは深夜の一時。私がぐっすり眠りについている時間帯に届いていたことになる。


 かつてなら、彼からのメッセージ一つで胸が締めつけられたり、返信が気になって何度もスマホを確認していたはずだ。


 けれど今、画面を見つめる私の心は驚くほど静かだった。

 怒りも、未練も、激しい揺らぎもない。


 まるで、遠い昔に親しかった人から届いた連絡を読むような、妙に穏やかな気持ちで、私はスマートフォンの画面を静かに閉じた。


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