第143話 それぞれの恋、幸せになろう
時計の針が三時を回る頃、混雑するMTRに乗り込んで太古城へと戻る。
約束の四時少し前にマンションのエントランスへ辿り着くと、なんだか少しだけ『我が家』に帰ってきたような安堵感を覚えた。
エントランスのソファでInstagramを更新していると、間も無くしてジュリアが現れて、連れ立って家に帰る。
夕方、仕事を終えたご両親が帰宅し、今夜も近くのレストランへ夕飯を食べに出かけることになった。毎晩、外食続きなのが心苦しく感じていたが、香港では外食率は高いのだという。
今晩は北京料理の『北京樓』。賑やかな店内でジュリアの家族と一緒に、北京ダックをいただく。横浜の中華街で食べたことはあるが、本格的な北京ダックに胸が躍る。
北京ダックは、味付けしたアヒルを丸ごと香ばしく焼き上げ、パリパリの皮を『薄餅 カオヤーピン』と呼ばれる薄い生地で包んで食べる中国の代表的な宮廷料理だ。
運ばれてきたテカテカに焼かれたダックを、給仕の男性が、テーブルでパリパリの皮と、お肉部分に分けてくれる。以前食べた時は、皮しか食べなかったような記憶だったが、身も普通に食べるらしい。
薄餅にタレ、甘みのある『甜麺醤 テンメンジャン』を塗り、キュウリやネギなどの具材とパリパリの北京ダックの皮を並べて綺麗に巻いて食べる。
「パリパリで、美味しいですね!」
思わず、自然と感想が漏れる。
“I’m glad you like it. Don’t be shy. Please, have some.”
『そう。気に入ってもらえて良かったわ。遠慮しないで食べてね』
ジュリアのお母さんがニコニコ笑顔で勧めてくれる。
季節の野菜炒めと、飲茶をつまみながら、私は今日一日で見たものを話した。
「トラムの二階からの景色がすごく綺麗でした。坂道の途中で食べたエッグタルトも本当に美味しかったです」
“Oh, that’s nice. So you went all the way to Sai Ying Pun. It’s a lovely area with so much of old Hong Kong still left.”
『まあ、それは良かったわ。西営盤のほうまで行ったのね。あそこは昔ながらの香港の雰囲気が残っていて素敵な場所でしょう』
ジュリアもご両親も、私が楽しそうに話す様子を目を細めて聞いてくれた。
私に気を遣ってか、広東語は使わずに、英語で会話してくれている。
そして身振り手振りを交えた「わいわい」とした食卓の温かさが、一人歩きで少し緊張していた心を優しくほぐしていく。
“Where are you going tomorrow?”
『明日はどこへ行くの?』と聞かれ、私はにっこりと笑って答えた。
「明日は、『Victoria Peak ヴィクトリア・ピーク』に行ってみようと思っています」
楽しい夕食を終えて、散歩しながら家まで帰る。空には綺麗な月が見える。
(不思議ね。香港で、知り合ったばかりの女性のお宅にお世話になって、彼女のご家族と食事をするなんて。シンガポールのブギスエリアにあった『Kwan Im Thong Hood Cho Temple 観音堂』の占いの通りになっているのかも……)
『A true aim invites both human and divine support
(成し遂げたい事には、まわりの人や神が手助けしてくれる)
Be thankful for each encounter, and go forward without wavering
(出会に感謝し、まっすぐ進むべし)』
今、私の頭の中では、大好きな『アリー my love 』”Ally McBeal”のアリーが自分を鼓舞するように『ヴォンダ・シェパード Vonda Shepard 』の『Searchin' My Soul』が軽快な旋律とともに鳴り響いていた。
◇
リビングでお茶を飲みながらゆっくり過ごしたあと、お休みの挨拶をして、ご両親は先に寝室へと下がった。
私はジュリアと二人、Netflixで彼女の推しであるロックバンドのライブ映像を眺めながら彼女の恋愛話を聞くことにした。
「それで、ジュリアの恋はどんな感じなの?」
“Ugh! I thought we were really hitting it off, so I told him I liked him, and he goes, ‘I have a girlfriend.’ Like, seriously?! He never even mentioned her!”
『え〜。いい感じだと思って告白したら、「彼女がいるから」って断られたの! そんなこと言ってなかったのに!』
ジュリアは、彼への不満を口にしているようで、その表情には失恋のショックが残っているように見えた。
「そうなのね。それで、彼はどんな人なの?」
“…He’s really great. We worked together on a project, and I just fell for him. He’s tall, handsome, and just… so reliable. I really like that about him.”
『……素敵な人よ。プロジェクトで一緒になって惹かれたの。背が高くて、カッコよくて、とにかく頼れる感じの人』
「そう。ジュリアが好きになるんだもの、素敵な人なんだろうなってわかるわ。年齢は?」
“He’s 27, two years older than me. He’s the same age as my brother, but he’s so sweet. He’s nothing like my brother.”
『二歳上の二十七歳。うちの兄と同じ歳だけど、彼はすごく優しくて、兄とは大違いよ』
ジュリアはそう言って笑った。その表情は、彼を思い出しているようだった。
「彼女は知らない人? それとも同僚?」
“Hmm… I’ve never seen his girlfriend. I don’t know her. Ahh, I really liked him, though.”
『うーん。見たこともないから、知らない人かな。あーあ、好きだったのになあ』
「辛いね……。でも、ジュリアは美人だし、いい子だから、絶対にもっと素敵な人が現れるわよ! その彼だって、いつか後悔するはずよ! 見返してやりましょう!」
“Sumire! Yeah! I’m gonna get even prettier! And I’m gonna make him regret dumping me!”
『すみれ〜。うん! 私、もっと綺麗になってやる! そして、彼を後悔させてやるわ!』
「そうよ! 素敵な男性は星の数ほどいるんだもの! もっと素敵な人がいるはずよ!」
“Yeah! You’re right!”
『うん! そうよね!』
私たちは缶ビール片手に、笑い合った。
“By the way, what about you, Sumire? What happened with your ex-fiancé? Have you talked to him since?”
『ところで、すみれは? 別れた婚約者の彼とは、その後は?』
「彼、五月の中旬からジャカルタに赴任してるの。でも、連絡は取ってないわ。一度だけ、InstagramにDMが届いたけど、返信はしてないわ」
“What?! He’s being transferred to Jakarta?! Oh… wow. That must be tough for him.”
『え! ジャカルタ赴任!? まあ、それは……。彼も大変ね』
「……そうね。彼はエスニック料理が苦手だから、苦労してるんじゃないかしら。予想外の時期の海外赴任だったと思うし。でも、まあ、優秀だし、誰とでも仲良くできる人だから大丈夫でしょう」
“Hmm. You seem to have gotten over things a little more than when we met in Singapore. Back then, you looked like you were about to cry at any moment. I’m glad you’re doing better now. And hey, you can drink again!”
『ふうん。すみれ、シンガポールで会った頃よりは、気持ちの整理がついたのね。あの頃は、今にも泣き出しそうだったもの。元気になって安心したわ。お酒も飲めるようになったしね!』
「ふふふ。そうね。「時ぐすり」の効果ね……。こんな風に、少しずつ痛みが薄れていくのかしらね……。こんなにも苦しいのにね」
“Sumire… Do you want to talk to him?”
『すみれ……。彼と話してみたい?』
「……そうね。いつかは、話さなくちゃいけないと思っているわ。あの時は、理由を聞けるような心境じゃなかったから……。なぜ浮気をしたのか、バレなければ結婚する気だったのか、結婚しても浮気を続ける気だったのか、一度は話さなければと思っているわ。冷静に話せる自信がついたら……その時は、会えるのかな」
“I think so. Maybe this is something you need to go through to move forward, Sumire.”
『そうね。すみれが次に進むためには、必要な試練かもしれないわね』
「うん。この旅が終わるのは、彼と会えた時なんじゃないかな。その時に、彼との過去を受け入れられる気がするの。そんな予感がする。ふふふ、ちょっとスピリチュアルな言い方ね」
“No, no! I get it! Sometimes a gut feeling can really tell you something. And sometimes, it’s okay to just leave things to fate. I’m with you, Sumire!”
『ううん! わかるわよ! 予感て、時には本質をつくものよ。運命に身を委ねるのも時にはいいんじゃないかしら。私は、すみれの考えを応援するわよ!』
「ありがとう、ジュリア。すごく嬉しいわ。お互いに幸せになりましょう!」
“Yes! Let’s make sure we’re happy!”
『ええ! 絶対に幸せになりましょう!』
私たちは、缶ビールを掲げて乾杯をして、夜は更けていった。
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