第133話 友人との別れと、曖昧な約束
翌日、午後二時過ぎにコウさんとマイクさんが帰宅した。マイクさんの祖父母のお宅でランチまでたっぷりとご馳走になり、すっかり長居をしてしまったらしい。
“I’m home, Sumire.”
『ただいま!すみれ』
「お帰りなさい。ご親戚のおうちでごゆっくりできましたか?」
“Yeah! They were so welcoming. They even made me a really nice lunch. It was great seeing my grandparents. I kinda wish I could’ve stayed longer, though.”
『うん!すごく温かく迎えてもらって。お昼までしっかりご馳走になっちゃったよ。大好きな祖父母に会えて嬉しかったなあ。本当はもっとゆっくりしたかったけどね』
マイクさんが嬉しそうに話す姿を横目に、コウさんが荷物を置きながら、どこか晴れやかな顔で微笑む。
「ただいま、すみれさん。こっちは変わりなかった?」
「はい。特に変わりはなかったです。気にかけていただいてありがとうございます」
その後は、リビングで三人でお茶を淹れ、祖父母宅での昨夜の賑やかな夕食の話に花を咲かせた。
マイクさんのフライトは、今夜の十九時五十分発。インドの航空会社『IndiGo インディゴ』の6E 593便で、『Bengaluru ベンガルール』で三時間五分の乗り継ぎ待ちを挟み、バリ島の『Denpasar デンパサール』にある『Ngurah Rai International Airport ングラ・ライ国際空港』には、明日の朝九時二十分頃に到着する予定だという。移動時間は、乗り継ぎを含めて十二時間近くになるそうだ。
“I managed to get a business-class seat, but it’s still a long flight. It’s about twelve hours back to Christchurch too, with a layover in Sydney. The Southern Hemisphere is pretty far from here, huh?”
『ビジネスクラスは取れたんだけど、やっぱり長いよね。クライストチャーチに帰る便もシドニー経由で十二時間だから、ほぼ同じだよ。南半球は遠いね』
「たしかに、移動だけで一苦労だな」
苦笑いするマイクさんにコウさんが頷く。
十九時五十分の便に乗るためには、国際線ということもあり、遅くとも十八時までには空港へ到着しておく必要がある。夕飯は空港でコウさんと二人で済ませる予定らしく、渋滞の多いムンバイの街を考慮して、余裕をもって十六時にはこのコンドミニアムを出発するそうだ。
『出発まであと一時間ちょっとか。すみれさんとも、あんまり話せなかったね。またいつか、コウと一緒にクライストチャーチに遊びにおいでよ。歓迎するよ』
お茶を一口含みながらそう言うと、マイクさんは爽やかな笑顔を浮かべ “Alright, I’d better take a shower and pack my stuff.” 『さて、シャワーを浴びて、荷物をまとめなきゃな』と言って、部屋へと戻って行った。
リビングには、コウさんと私の二人だけが残される。どこか寂しさが漂う中で、私はお茶のカップを手にしてコウさんに話しかけた。
「忙しい滞在ですね。コウさんも、マイクさんともっと一緒に過ごしたかったんじゃないですか?」
「まあね。でも、普段も画面越しに顔を見て話しているしさ。それに、バリ島で彼女が待っているからね。まあ、仕方ないよ」
友人思いの優しい眼差しで微笑むコウさんに、私もふっと胸が温かくなる。
「そうなんですね。友人やかつての同僚たちからも、バリ島は良いところだと聞くので、羨ましいです」
「ああ、そうだね。あのガムランの調べと、特徴的な建物の彫刻とか、伝統的な染物とか……。人も温かいし、海もあって、独特の風情がある良い島だよね」
「やっぱりそうなんですね。お料理も美味しいでしょうし、日本人にも人気の観光地ですもんね」
「うん……いつか、旅に行けたら良いね」
「……はい。そうですね」
『誰と』とも『いつ』とも言わない、どこか曖昧な言葉。
言葉の真意を問いただすことはせず、私もただ静かに頷いて微笑みを返した。
「じゃあ、今晩の夕食は用意しなくて大丈夫ですか?」
「ああ、うん。マイクと空港で済ますから、気にしないで。すみれさんの食材は大丈夫?」
「はい。私は大丈夫ですので気にしないでください」
「そっか。それなら良かった」
そこへ、パッキングを終えたマイクさんが大きなスーツケースを引いてリビングに戻ってきた。
“Sumire, thanks so much for everything. I’ll never forget all the delicious Japanese food you made for me. I hope we get to see each other again somewhere someday! And if you ever come to Christchurch with Ko, you’ve got to stay at my place next time.”
『すみれ、本当にお世話になりました。美味しい日本食も忘れないよ。またどこかで会えるのを楽しみにしてるよ! コウと一緒にクライストチャーチに来ることがあったら、今度はうちに泊まってよ』
「マイクさん、こちらこそ素敵な時間をありがとうございました。どうかお気をつけて。“Bon voyage, Mike!”」
マイクさんは最後までスマートで爽やかな笑顔を残し、コウさんと共に部屋を出て行った。コウさんは彼を空港まで見送り、そのまま夕飯を一緒に済ませてから帰宅する予定だ。
バタン、と静かにドアが閉まる。
再び一人になった静かな部屋で、私はさっきの彼の言葉を心の中でそっと反芻していた。
『いつか、旅に行けたら良いね』
曖昧で、けれど優しいその余韻が、胸の奥に残っていた。
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




