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【片道切符で異国を旅歩く 〜婚約者の浮気で結婚式が中止になりまして〜】  作者: 恋せよ恋
ムンバイ編 コウさん宅と、旅の友との別れ

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132/200

第132話 マイクの祖父母と、温かい時間

 マイクの祖父母が暮らしているのは、高級住宅街として知られる『Bandra West バンドラ・ウエスト』の市街地中心部にある四階建てのビルだった。


 周辺は賑やかな通りから一歩路地へ入った場所にあり、樹齢を重ねた大きな木々の緑に囲まれた静かな環境が広がっている。もともとはかつての古い一戸建て(バンガロー)だった土地を建て替えたもので、一族でビルを丸ごと所有し、フロアごとに家族が暮らしているのだという。


 都市の利便性を享受しながらも、一歩足を踏み入れればプライベートがしっかりと守られた贅沢なつくり。伝統的なインドの雰囲気を残しながらも、現代風に改築されたその邸宅は、マイクの家族の歴史と豊かさをそのまま映し出しているようだった。



 一階は香ばしいスパイスの香りが漂う人気のレストランに貸し出されており、二階に祖父母、三階には叔父夫婦、四階には従兄夫婦が暮らしているという。このエリアでビルディングを所有できているのだから、裕福な階級なのだろうことがわかる。


 最初は、マイクに付き合って祖父母宅を訪ね、数時間お邪魔してご挨拶だけのつもりだったのだが、二人はとびきりの笑顔で俺を迎え入れ、「今夜は絶対に泊まっていきなさい」と熱心に誘ってくれた。



 室内に足を踏み入れると、落ち着いた色調の家具や調度品が品よく並び、長い年月をかけて家族に大切にされてきた場所なのだと感じられた。


 迎えてくれた祖母は、淡い色合いの普段着のサリーを身にまとい、髪をきちんとまとめて、柔らかな笑顔を浮かべていた。幾重にも重ねられたバングルと、ノーズピンと呼ばれる鼻飾り。額には小さな『Bindi ビンディ』が鮮やかに映えている。


 ビンディは、眉間にある「第三の目」とされるアジナ・チャクラの位置につける印で、知恵や精神的な集中を象徴するものだと、以前どこかで聞いたことがある。伝統的には既婚女性が身につけるものとされ、夫の無事や家族の繁栄を願う意味も込められているという。


 こうして実際に目の前で見ると、単なる装飾品というより、この土地に根づいた文化そのものを身につけているように感じられた。上質な生地と涼しげな着こなしからは、育ちの良さが自然と伝わってくる。


 隣に立つ祖父は、風通しのよさそうな白い麻のシャツに、ゆったりとした麻のパンツという涼しげな装いだった。こちらも気取ったところはなく、それでいてどこか品がある。


 二人とも上品で落ち着いた雰囲気を漂わせながらも、少しも気取ったところがない。初対面の俺にも、まるで昔からの家族を迎えるような温かな笑顔を向けてくれた。


 二人の心からの歓迎に、マイクにも誘われた俺は、心地よさを感じながらお言葉に甘えることにした。



“Ko, my grandma’s Indian cooking is the best in Mumbai. You’d better be ready for it!”

『コウ、うちの祖母のスパイス料理はムンバイ一なんだ。覚悟して食べなよ!』


 マイクが誇らしげに言う通り、夕食の時間になると食卓には美味しそうなインドのローカル料理がずらりと並んだ。



 ムンバイ名物の、スパイスの効いたジャガイモ炒めを包んで揚げた『Samosa サモサ』。柔らかいラム肉を濃厚なスパイスでじっくり煮込んだ『Lamb Curry 羊肉のカレー』に、香ばしく焼き上げられた温かい『Chapati チャパティ』。


 そして、港町ムンバイならではの新鮮な白身魚を使った『Fish Tawa Fry フィッシュ・タワ・フライ』。“Pomfret”『マナガツオ』に特製のスパイスペーストを直接塗り込み、硬質小麦を粗く挽いたセモリナ粉を薄くまぶして鉄板で香ばしく焼き上げた一品だ。外はカリッと香ばしく、中の身は驚くほどふっくらとジューシーだった。



“How do you like it, Ko?”

『お味はどうですか、コウ?』


 祖母が優しい目で覗き込んでくる。


「本当に美味しいです。こんなに奥深くてまろやかなカレーは食べたことがありません」


 俺がチャパティにカレーをつけて頬張ると、祖父も “You’re young, so eat up!” 『若いんだから、たくさん食べなさい』と目尻を下げて喜んで、次々とお皿に料理を盛ってくれた。


 マイクと祖父母が賑やかに笑い合い、俺もそこに混ざって美味しい家庭料理を囲む。国籍も文化も超えた温かい家庭の空気は、長らく忘れていた日本の家族を思い出させるものだった。


 食事がひと段落した頃、ふとスマートフォンの画面を見る。

 急遽泊まりになったことを伝えていなかったすみれさんのことが気になり、俺は手元で短くメッセージを打ち込んだ。


『マイクのおじいちゃん宅に泊めてもらうことになったので、明日の朝帰ります。戸締りには気をつけて。何かあったら連絡ください。おやすみなさい』


 送信ボタンを押す。


 賑やかな食卓の熱気の中で、頭の片隅にすみれさんの穏やかな笑顔が浮かび、早くあの静かな部屋へ帰りたいような、不思議な愛おしさが胸に広がるのを感じていた。



 だが、マイクの鋭い視線だけは誤魔化しきれなかった。


“Ko, are you and Sumire dating yet?”

『……ところでコウ。聞きたかったんだが、君とすみれはもう、付き合ってるのか?』


 マイクがニヤリと口元を緩め、探るような目で俺を見る。


 彼からすれば『コウの家に旅行者の女性が滞在している』『しかもコウが彼女に一目惚れどころか本気で惚れ込んでいるようだ』という状況だ。気にならないはずがない。


「いや……まだ、そういう関係じゃないんだ」


 俺が苦笑いを浮かべながらグラスに視線を落とすと、マイクは心底驚いたように眉を跳ね上げた。


“Seriously? I mean, she’s so beautiful and amazing. And since you’re even letting her stay at your place, I just assumed you two were already a couple…”

『マジかよ? だって、あんなに綺麗で素敵な人じゃないか。お前が家にまで泊めてるから、てっきりもう恋人同士かと……』


「俺が勝手に告白して、滞在してもらってるだけだよ。彼女はただの旅行者だし……何より、すごく慎重で誠実な人なんだ。俺の気持ちは伝えてあるけど、今は返事待ちの段階さ」


“Waiting for her answer?”

『返事待ち?』


 マイクは思わず身を乗り出した。


“Come on, man. There’s no way any woman would turn you down. Even back in college in Boston, you were insanely popular, even though you’re Asian. How many girls do you think you’ve made cry over the years?”

『おいおい、お前を断る女性なんかいないだろ。ボストンの大学時代だって、アジア系なのにめちゃくちゃモテてただろ。何人の女の子がお前に泣かされてきたと思ってんだ?』


「泣かせてないだろ、人聞きの悪いことを言うな」


 呆れたように肩をすくめたが、マイクの言うことも一理あった。ボストン留学時代、確かにそれなりのアプローチは受けてきたし、恋愛で苦労した記憶はない。


 けれど――すみれさんだけは、全く別なのだ。



「彼女は……俺が高校生の時、体調が悪かった俺を助けてくれた人なんだ」


「……え?」


 マイクのからかうような表情が消え、静かに俺の言葉に耳を傾ける。


「ずっと忘れられなくて、まさかムンバイで再会できるなんて思ってもみなかった。……ただの気まぐれな恋じゃない。俺にとって彼女は、それくらい特別な存在なんだよ」


 真剣な俺の瞳を見て、マイクは一瞬呆気にとられたあと、深く息を吐いてフッと微笑んだ。


“I see… No wonder you’re trying so hard this time.”

『なるほどな……。通りで、お前がいつになく必死なわけだ』


 マイクは手元のグラスを軽く俺のグラスに打ち付け、ニッと笑った。


“I think it’s a good thing. It’s nice to see you seriously pursuing one woman for once, instead of just fooling around. …Well, I’m leaving for Bali tomorrow, but I’ll be rooting for you from the sidelines.”

『いいんじゃないか? 遊びの恋じゃなく、本気で一人の女性に向き合ってるお前を見るのは悪くないよ。……まあ、僕は明日にはバリ島へ旅立つけど、陰ながら応援させてもらうとするよ』


 マイクの祖母の手料理から漂うスパイスの香りに包まれながら、俺は友人の温かい言葉に感謝した。


“In New Zealand, we don’t really care whether a flatmate is a guy or a girl, or whether we already know them. How about in Japan?”

『ニュージーランドじゃ、フラットメイトを探すときに、相手が男か女かとか、知り合いかどうかなんて、あまり気にしないけど、日本はどう?』


「ああ、まあ、まだ稀じゃないかな。ドラマとかだと、シェアハウスで暮らす男女の話もあるけど、実際には少数派だろうな。少なくとも、俺の周りにはいない」


“Huh. So I guess you and Sumire are a pretty unusual case, then.”

『へえ。じゃあ、コウとすみれは結構珍しいケースなんだな』


「……まあ、そうなるな」


“And you two aren’t even dating, right?”

『しかも、付き合ってないんだろ?』


「……そこを強調するなよ」



 彼女は今頃、俺の告白について真剣に考えてくれているのかもしれない。焦らず、ゆっくりと彼女の心に寄り添っていこうと、俺は静かに決意を新たにする。


「なあ、マイク。……もしかして、お前ん家、大金持ちだったりする?」


“Hmm? I don’t know. I’d say it’s about the same size as your place, Ko.”

『ん? さあ、どうだろうね。コウん家と同じくらいじゃない?』


「そうか……。じゃあ、普通に金持ちだな」


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