第131話 クライストチャーチの思い出と、人恋しい夜
朝食後のテーブルを片付け終えたところで、マイクさんが、“Hang on a second.”『ちょっと待っててね』と自分の部屋へ向かい、綺麗にラッピングされた箱を取り出してきた。
“Sumire, if I’d known you’d studied abroad in Christchurch, I would’ve brought you something special.”
『すみれがクライストチャーチに留学してたって知ってたら、何か特別なお土産を持ってきたのに』
マイクさんはそう言いながら、お土産の包みをテーブルの上に置いた。
“I didn’t have much time to prepare, but I brought some New Zealand treats for you guys. You can share them.”
『大したものは用意できてないけど、ニュージーランドのお土産、二人で食べてね』
包みを開けると、そこにはクライストチャーチでお馴染みの赤い人気キャラクター、『Cookie Muncher クッキー・マンチャー』が描かれた、人気ブランド『Cookie Time クッキー・タイム』のチョコレートチップクッキーと、瓶入りの『Pic’s ピックスのピーナッツバター』が入っていた。
「わあ、Cookie Time! それにPic’sのピーナッツバターまで……こんなに重いものを、わざわざありがとうございます」
「おっ、マイク、お前気が利くなあ。すみれさん、良かったね」
コウさんが横から嬉しそうに覗き込み、Cookie Timeの可愛らしいパッケージを興味深そうに眺めている。
「ふふ、本当ですね。マイクさん、お心遣い本当にありがとうございます。Cookie Timeのクッキーは留学中によく食べていたので懐かしいです。今日のお茶菓子で、みんなで一緒にいただきましょう」
“That sounds perfect. I’m glad you like them!”
『それなら良かった。喜んでもらえて嬉しいよ!』
マイクさんは満足そうに爽やかな笑顔を浮かべた。
“Did you stay with a host family during your time in Christchurch?”
『すみれは、ホームステイをしてたの?』
「はい、シングルマザーのお宅で、私と同じ学校に通う男の子がいて、とても親切にしてもらいました」
“That's great! If you don't get along with your host family, studying abroad isn't as much fun, right?”
『そう、それは良かった。ホストファミリーと相性が悪いと、留学も楽しめないもんね』
「はい、本当にその通りですね。表現は悪いですけど、当たり外れがあるようですね。その点では、私は大当たりでした」
“How did you commute to school? By bus?”
『通学は、バス?』
「はい、バス通学でした。いつも大聖堂広場のあたりでバスを乗り換えていました。私がいた二〇一三年は、大聖堂は二〇一一年の地震で壊れたままでしたが……ちょうど『紙の大聖堂』が完成した頃でした。
“Oh, Shigeru Ban's Cardboard Cathedral! It became a new symbol of hope for us.”
『ああ、坂茂の紙の大聖堂ね! あれは僕たちにとっても新しい希望のシンボルになったよ』
「はい。日本の建築家の方があんなに素晴らしい仮設大聖堂を作られたことが、すごく誇らしくて印象に残っています」
“Yeah... The rebuild plan for the original cathedral hit a lot of financial problems along the way, so it even got put on hold at one point. But now, they're aiming to complete the restoration by 2030.”
『そうだよね……。本物の大聖堂の再建計画は途中で資金不足になって中止になったりもしたんだけど、今は二〇三〇年の完成を目指してまた動き出しているよ』
「二〇三年……動き出していると知って嬉しいです。やっぱり、大聖堂はクライストチャーチのシンボルですから」
“That's right. You definitely have to come see it when it's finished!”
『その通りだよ。完成したら、すみれさんも絶対に見に来なくちゃね』
十二年前――私が十七歳で留学した頃、大聖堂広場の中央には、あの日から時が止まったように痛々しく残された大聖堂の姿があった。
マイクさんの言葉を聞きながら、いつかあの美しいシンボルが蘇った街を、もう一度歩いてみたいと思った。
「なんか、二人の話を聞いてるとクライストチャーチに行ってみたくなるね。いいところなんだろ?」
二人の会話をニコニコしながら聞いていたコウさんが、どこかうらやましそうに呟いた。
「はい。静かで、落ち着いていて、少し郊外に出かけたら大自然が広がっていて、美しい湖もある、すごく素敵な街ですよ。ねえ、マイクさん」
私が思い出しながらそう答えると、マイクさんは自分の故郷を褒められたのが本当に嬉しかったようで、誇らしげに深く頷いた。
“Thank you, Sumire. I'm so happy and proud to hear you praise my hometown like that.”
『ありがとう、すみれ。僕の故郷をそんな風に褒めてもらえて、とっても嬉しいし、誇らしいよ』
「ふふ、本当のことですから」
“Ko, you’ve gotta come, too! With Sumire showing you around, it’ll be the perfect trip.”
『コウ、お前も絶対来なよ! すみれさんに案内してもらえば完璧な旅になるよ』
「いいね、それ。いつか一緒に行けたら最高だな」
コウさんが私の方を見て優しく微笑む。
マイクさんの気さくで温かい人柄のおかげで、初対面のはずなのに、まるで昔からの友人と過ごしているかのような穏やかな空気で満たされていた。
◇
「じゃあ、行ってくるね。マイクの祖父母の家を訪ねてから、街をぶらぶらしてから戻って来る予定だから」
「はい、いってらっしゃい。気をつけて」
二人が、ムンバイの市街地に住むマイクさんの祖父母の家を訪ねるということで、昼食と夕飯は私一人となった。
二人が出かけた後の部屋は、急にシーンと静まり返る。
久しぶりに訪れた完全な一人きりの時間。私はお気に入りの紅茶を淹れ、ソファで読書をしたり、溜まっていた手芸を進めたりと、のんびりと自分のペースで過ごした。
静かで落ち着くはずの日常。
けれど、ふとした瞬間にリビングのドアが開く音がしないか耳を澄ませてしまったり、テーブルに二人分のマグカップがないことに違和感を覚えたりしている自分に気づく。
なんとなくスマホを手に取り、これからの旅について調べるともなく、気になる場所を検索していく。おすすめの観光地、ホテル、現地のカフェ。次から次へと表示される情報を、特に目的もなく眺めていた。
これまでなら、一人の時間にも随分と慣れたはずだったのに……。
(私、振り出しに戻っちゃってるのかな? ちょっと人恋しくなってる……かも)
夕方六時頃。スマートフォンが震え、画面を覗くとコウさんからのメッセージが届いていた。
『マイクのおじいちゃん宅に泊めてもらうことになったので、明日の朝帰ります。戸締りには気をつけて。何かあったら連絡ください。おやすみなさい』
「泊まりになっちゃったんだ……」
画面の文字を見つめながら、ポツリと呟く。
気遣いのできるマメなコウさんらしく『戸締りに気をつけて』『何かあったら連絡を』と書かれた文面に、思わず胸の奥が温かくなった。
『ご連絡ありがとうございます。マイクさんのご親戚のみなさんとごゆっくり過ごしてくださいね。戸締りもしっかりしておきます。おやすみなさい』
返信を送り、画面を閉じると、静かな部屋の中で小さな溜息がこぼれた。
軽い夕食を済ませ、早めにベッドに入る。一人で過ごす夜が、こんなにも長く感じられるなんて。
(……私、一人の時間がなかったから、人恋しくなっちゃうんだな)
暗闇の中、ベッドに横になったすみれは、しばらく天井を見つめたあと、静かに目を閉じた。
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