第127話 帰国前夜の片山さんと、カフェにて
それからの五日間は、驚くほど穏やかでのんびりとした日常が過ぎていった。
朝昼晩の三食を作り、三人でムンバイの賑やかな市街地へ観光に出かけたり、片山さんが会社の社員の皆さんへ渡すお土産選びに付き合ったり。合間には、コウさんの動画の感想を求められたり、私のInstagramに登場する『くまのスミレ』のために、小さなパンジャビドレスを手作りしたりして過ごした。
そして、片山さんの帰国を明日に控えた金曜の夜。
「すみれさん、夕食後にちょっと近くのカフェに行かない?」と、片山さんに声をかけられた。
友達思いの片山さんのことだから、きっとコウさんのことだろうなと察し、私は少し緊張しながら「はい」と返事をした。
夕飯の親子丼の片付けはコウさんが引き受けてくれたため、私と片山さんは食後に少し休んでから、家から徒歩五分ほどの場所にある近所のカフェへと散歩がてら出かけた。
明るく清潔感がある店内には、クラシック音楽が静かに流れている。落ち着いた雰囲気で、カップル客が多い印象を受ける。
「ごめんね、急に誘っちゃって。でも、まあ、なんとなく察してくれてはいると思うんだけど……」
「……はい。コウさんとのことでしょうか?」
「うん、そうなんだ。あいつから聞いてさ。あっ、でも、すみれさんの許可を得て俺に話すって言ってたから、勝手に聞いたわけじゃないんだけど……大丈夫だったかな?」
「はい。コウさんから事前に伺っていますので、全く気にしていませんよ」
「そう、良かった。これですみれさんを怒らせたなんてことになったら、僕、帰国前にコウに殴られそうだもんね。ははは」
片山さんは場の雰囲気を和らげるように、明るく笑った。さすがは会社のトップだ。いつも周囲の空気を読んでくれる。
「さっそくだけど……。僕は明日帰国するわけだけど、すみれさんは、コウと二人きりになって大丈夫? あっ、変な意味じゃないよ。あいつはあの通り『モテモテ人生』を送ってきた奴だし、間違っても強引に迫ったりしないって信じてる。そんなことはあり得ないから安心していいんだけど……あいつも、片思いを拗らせてるからね」
「拗らせてる……ですか?」
「ああ。何しろ『無自覚な初恋のお姉さん』に九年ぶりに再会したわけでしょ? そりゃあ『運命』を感じちゃうでしょ、やっぱさ」
「あ、ええと……でも、そこまでじゃ……」
「いや、そこまででしょ。だって、ムンバイでの再会だよ? これが日本ならまだしも、インドなんだよ?」
「はあ……。でも、そこまででしょうか?」
片山さんが、私の返答を受けて、大きく息を吐いて肩を落とした。
「……なんか、分かったことがある」
「はい?」
「すみれさんとコウの気持ちには、かなり大きな温度差があるね。そこをコウ自身も自覚してるんだろうな」
「差……ですか?」
「うん。あいつはすみれさんのことが『ラブ』で好きでさ、すみれさんは『ライク』の好き……って感じかな。違う?」
「……どうでしょうか。コウさんにもお伝えしたんですが、コウさんのことはすごく素敵な方だと思っています。ただ……片山さんもお聞きになったかもしれませんが、私、つい一ヶ月前まで、九年間付き合った彼と結婚する予定だったんです。
……だから、破談になってたった一ヶ月で『はい、次』なんて、自分の中で簡単に割り切ってしまっていいのか、という思いが強いんです。婚約者との関係は終わっています。でも……彼ときちんと話して終わりを告げるべきだったんじゃないかって、今でもその思いが燻っていて。もちろん、そんな必要なんてない、もう終わったことだとも思うんですけど……まだ、吹っ切れてはいないんです」
「うん、分かるよ。辛いことを話させてしまってごめんね。そうだよね、すぐ『はい、次の恋』とはいけないよね」
「はい……すみません」
「いやいや、謝らないでよ。すみれさんの気持ちはすみれさんのものなんだから、コウに合わせる必要なんてないんだよ。だからプレッシャーを感じずに、今はコウのことも愛だの恋だのって考えなくていい。友人として自然に接してやってほしいんだ。あいつ、案外『待て』ができる奴だからさ」
「はい。お気遣いありがとうございます。コウさんは、本当にいいお友達がいて幸せですね」
「ははは、そうだよね。でも、当のあいつはそう思ってないかもな。何しろ、余裕がないからね」
それから私たちはコーヒーを飲みながら、片山さんの会社の話や、昨日投稿されたナナちゃんのYouTube動画の感想を話したりして、しばらく穏やかな時間を過ごした。
そして、ふと会話が途切れたタイミングで、片山さんが静かにカップを置いた。
「俺が帰ってから、コウと二人きりって、やっぱり気が重い? 今月末にはビザの期限で出国する予定だったはずだから、あと三週間くらいかな」
「はい。その期間で、きちんと告白のお返事をするつもりでいます」
「そう……。でもね、僕には、すみれさんが『断ることありき』で、コウの気持ちを考えて三週間の時間を置いたようにも見えるんだ。たぶん、コウもそれは感じてるんじゃないかな」
「……そんなことは」
「まあ、コウは親友だし、すみれさんも友達になったわけだからね。うまくいってくれたら嬉しいけど、それは二人が望んでこそだからさ」
「……あの、片山さん。実は私、ずっと考えていることがあって。ちょっと相談に乗ってもらってもいいですか?」
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