第126話 二人の帰り道と、男の友情
私とコウさんは一応の答えを出し、留守番をしてくれている片山さんへドーナツを買って、コンドミニアムへと歩いて帰る。
並んで歩く道中、私はふと思い立ってコウさんに話しかける。
「コウさんは、お好きな食べ物って何ですか?」
「うーん、何だろう……。もともと好き嫌いもないしね。強いて言えば……『カツ』かな?」
「『カツ』ですか。トンカツなら、ヒレ? ロース?」
「どちらかと聞かれたら……ヒレカツかな」
「チキンカツは、鶏むね肉? ササミ?」
「ササミかなあ。好きだから、どっちでもいいんだけど」
「カツ丼や、カツカレーもですか?」
「うん、好きだね。……ああ、でもそう考えると、もしかしたらサクサクの衣と、あの甘辛いとんかつソースの組み合わせが好きなのかもしれない」
「ええ〜、じゃあ、エビフライでもいいんですか?」
「まあ、好きだね。……さっきから『好き』の連発だな、ははは」
「えっ……と?」
「いや、なんでもないよ。でも、本当に毎日ご飯を作ってもらっちゃっていいのかな?」
「はい、ぜひ作らせてください。お口に合うかは分かりませんけど……」
「いや、すみれさんに作ってもらえるなら、きっと何でも美味しいよ。だって、好きな人が作ってくれるご飯でしょ? 最高じゃん」
「……コウさん、サラッと言いますね」
「ああ、まあね。お相手のガードが固いからさ。これくらい攻めてちょうどトントンじゃない?」
「……すみません」
「いやいや、冗談なんだから謝らないでよ。あ、それとさ、片山には俺たちのこと話してもいいかな? あいつは親友だし、俺の片思いをずっと気にしてくれてたからさ」
コウさんはそう言って、お茶目に片目を瞑ってみせる。その自然で眩しい仕草に、私は到底敵う気がしなかった。
コンドミニアムに帰宅後、私はさっそく夕飯の支度に取りかかった。
今夜のメインは、帰り道の会話で決めたチキンカツ。キッチンには電気フライヤーがあったので、揚げ物も苦にならない。
トントンと細く刻んだ山盛りの千切りキャベツに、ポテトサラダ。お味噌汁の具材は、ネギとわかめとお豆腐だ。
炊き上がったご飯は、ベトナム産のジャポニカ米。コウさんが買い置きしていたお米を炊飯器で普通の水量で炊き上げた。
「レモンが手に入らなかったので、今日はインドのライムを使って浅漬けにしてみました」
そう言ってテーブルに並べたのは、きゅうりをライムの爽やかな酸味で和えた浅漬け。
こんがりときつねいろに揚がったチキンカツから、美味しそうな揚げ物の匂いが部屋中に広がる。カツ好きのコウさんらしく、冷蔵庫にはちゃんと日本のとんかつソースが常備されていた。
九年間の過去をすべて消し去る必要はない。ただ、ふとした瞬間に胸が痛む夜も、きっとまだある。それでも、こうして誰かのために料理を作っている今の時間は、間違いなく私の心を少しずつ、解きほぐしてくれていた。
◇
すみれがキッチンで夕飯の支度をしてくれている間。
俺は片山の部屋で、昼間のカフェでの『告白』の顛末を報告していた。
「――で? 『六月末までの期間限定お試し彼氏』ってわけだ」
片山はデスク前の椅子に腰かけ、呆れたように半目で俺を見上げていた。手には、帰りに買ってきたドーナツの箱がある。
「まあ、振られなかっただけ上出来だろ。今の状況のすみれさん相手に、よくそこまで持ち込んだよ。さすがはモテる男は違うな」
「上出来って……俺、めちゃくちゃ必死だったからな!『他人に持っていかれるくらいなら今すぐ攻める!』って、恥ずかしげもなく宣言しちゃったんだぞ?」
「うわあ〜、必死で泣けるわ。人生で初めて自分から告白した男の必死さがうかがえるな。……でも良かったじゃん。すみれさんも、ちゃんとコウに向き合ってくれてさ」
片山はドーナツを一口かじると、少し真面目な顔になって言葉を継いだ。
「ぶっちゃけ、九年付き合って結婚直前に破局とか、普通なら立ち直るのに何年かかるか分からないレベルのトラウマだぞ。それを『逃げずに自分の力で立ち直ろう』って海外に飛び出す勇気って、凄いな。そんな彼女と、このタイミングで出会えたことはデカいな」
「……ああ。本当にすごい人だよ。辛い過去から目を背けずに、でも自分の足で前に進もうとしてる。……最初は『守ってあげたい』とか『救ってあげたい』なんておこがましいこと考えてたけど、甘かった。俺、もっと本気ですみれさんを好きになっちゃったよ」
悶える俺が枕を抱えてベッドに倒れ込むと、片山は「はいはい、ごちそうさま」と鼻で笑った。
「で、今夜の飯は?」
「チキンカツ。俺の好物の衣サクサクのやつ。あとポテサラと、きゅうりの浅漬けだって」
「うわ、最高かよ! お前、絶対に逃すなよ? こんなできた女性、逃したら一生後悔するぞ」
「言われなくても! 今月末までに、絶対に本気で惚れさせてみせる」
リビングから、美味しそうな揚げ物の匂いが漂ってきた。
香ばしい香りに包まれながら、俺は『お試し』ではなく『確定』の彼氏の座を勝ち取るために、静かに拳を握りしめた。
◇
「「いただきます!!」」
「どうぞ、召し上がれ」
食卓に料理が出揃い、三人で手を合わせる。
きつねいろに揚がったチキンカツを口に運んだ片山が、一口目から目を見開いた。
「うっま! 衣サックサクだし、肉がめちゃくちゃジューシー! すみれさん、これ本当にインドのスーパーで買ってきた鶏肉ですか?」
「ふふ、良かったです。下味に少しお酒を揉み込んでおいたのが良かったのかもしれません」
「うわぁ、ポテサラも最高……。このきゅうりの浅漬けも爽やかで、揚げ物の箸休めにぴったりですね。コウ、俺たちこんなうまい飯を毎日食えるのか。最高だろ!……俺、土曜に帰国なのに」
「だろ? すみれさんのご飯、本当に美味しいです。……すみれさん、チキンカツ、サクサクで最高です」
コウさんは嬉しそうに目尻を下げ、ソースのついたチキンカツを美味しそうに頬張っている。自分の作った料理をこんなにも喜んで食べてもらえるのは、胸の奥がじんわりと温かくなる体験だった。日本にいた頃の、毎日健一に作っていた食事が思い浮かんで、慌てて思いを打ち消した。
他愛もない雑談を交えながらの夕飯はあっという間に終わり、二人とも綺麗に平らげてしまった。
「「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです!!」」
「お粗末様でした。お口に合って良かったです。……あ、お皿下げますね」
私が立ち上がり、空になったお皿をまとめようと手を伸ばすと、コウさんと片山さんが同時にスッと立ち上がった。
「あ、すみれさんは座ってて! ご飯を作ってもらったんだから、後片付けは俺たちの仕事」
「そうですよ、すみれさん。美味しいご飯をごちそうになったんですから、食後くらいゆっくりしてください。ほら、コウ、お前は食器を持って」
「了解。すみれさん、リビングのソファでくつろいでてくださいね」
手際よく皿をまとめ、二人並んでキッチンへと向かっていく。
「でも、お邪魔している身ですし、私だけ何もしないなんて……」
「いいの! これくらいしないと、俺の気が済まないから」
キッチンからコウさんが振り向き、悪戯っぽく笑ってウインクしてみせる。
大きな背中を並べ、楽しそうに談笑しながら食器を水洗いして食洗機へセットしていく二人。勧められるままソファに腰かけ、その微笑ましい背中を眺めながら、私は温かいお茶を一口含んだ。
(……私、本当に大事にされているんだな)
一ヶ月前には想像もしていなかった穏やかな時間が、そこには流れていた。
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