第123話 稲荷寿司と、男たちの台所
帰宅して、早速簡単なランチの準備に取りかかった。
『Nature’s Basket』で冷凍の讃岐うどんと、味付け済みの稲荷用の油揚げのパックを見つけることができたのだ。顆粒の鰹だしと、醤油とみりんで簡単につゆを作り、お米を炊き、刻んだガリを混ぜ込んで酢飯を作る。今日の昼食は、手軽に温かいうどんと稲荷寿司にした。
「わあ、懐かしい! うどんとお稲荷さんじゃん! 家でこれが食べられるなんて最高だよ!」
食卓に並べると、片山さんが子どもみたいに目を輝かせて大喜びしてくれた。こんなに簡単な料理でこれほど感激してもらえると、なんだかこちらが申し訳なくなってしまう。
「刻みネギだけの素うどんですみません。七味唐辛子も見つけられなくて……」
「いいよいいよ! このシンプルな出汁とさっぱり感が恋しかったんだよね。うどんとお稲荷さんのセットが家で食べられるなんて最高だよ!」
ニコニコとした笑顔で嬉しそうに褒めてくれる片山さん。
「それで、ふたりは午後からも出かけるんだよね? ……うーん、稲荷寿司も最高! これ、中に何か入ってるね」
「気に入っていただけて良かったです。酢飯の中に刻んだガリを混ぜ込んでみたんです」
「へえ、だから後味がさっぱりしてるのか。うまいね、このお稲荷さん!」
パクパクと嬉しそうに稲荷寿司を口へ運ぶ片山さんの姿に、思わず口元がほころぶ。
「ああ、午後は近くのモールのカフェに行ってくるよ。ヒロシ、何か買ってきてほしいものでもあるか?」
「えっ、本当? じゃあロレックスとMacBookかな」
「……ヒロシ。寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ。第一お前、自分で買えるだろ。っていうかもう持ってるじゃん。ボケたのか? 嫌だねえ、老いって怖いな」
「おい! お前と同い年だっつうの! 誕生日がたった二ヶ月早いだけだろうが! 年寄り扱いするなよ!」
ふたりが軽快に軽口を叩き合い、小気味いいテンポでもりもりと食事が進んでいく。
食事を済ませて席を立ち、片付けをしようと食器に手を伸ばすと、「すみれさんは座ってて! 片付けくらい俺たちにやらせて」と、あっけなくキッチンから追い出されてしまった。
ふたりの気遣いに感謝しながら、私は洗面所で歯磨きをし、午後の外出の準備を整えることにした。
◇
その頃、キッチンで洗剤の泡を立てながら、片山が低く小さな声でコウに話しかけていた。
「まあ……あんまりすみれさんを追い詰めんなよ。焦って追いかけすぎると、逃げられるぞ」
「……わかってる。わかってるけどさ。今、つなぎ留めておかないと、どこか遠くへ行っちゃう気がするんだよ」
コウは手に持ったグラスの泡を水で流しながら、重い息を吐き出す。
「気持ちはわかるけどさ。彼女も大人だし、いろいろと事情だってあるんだろ。無理に捕まえようとしても逆効果になるだけだぞ」
「……ああ。ちゃんと彼女の気持ちを聞いてみるよ。焦っちゃダメだって頭では理解してるんだ。でも、お前がいるうちに決着をつけたいんだよ。そうしないと……急にいなくなっちゃう気がして」
「うん。まあ……それは俺も同感かな。すみれさん、男と二人きりでだらだら居座るようなタイプには見えないしな」
「だろ? だから……焦るんだよ」
◇
男ふたりがシンクの前でそんな切実な会話を交わしていたとは知る由もなく、私は身支度を終えてリビングへと戻った。
「準備できました。コウさん、よろしくお願いします」
「うん、じゃあ、行こうか」
コウさんはいつもの柔らかい笑みを浮かべ、片山さんに声をかけてから、二人で家を出た。
日差しの強い道をまた十五分ほど歩き、遊歩道の木陰を選びながら近くのショッピングモールへ向かう。会話はもっぱら旅の話だ。私は、タイと香港についてコウさんに尋ねた。
涼しいモール内にあるカフェへと向かう。店名は『Pantasan Coffee Roasters』。木目を基調にした落ち着いた内装で、壁際には観葉植物が並び、カウンターの奥には大きなエスプレッソマシンが置かれている。
メニューには「Kotanuki Tanutanu Blend」や「Shiromoka0012 Latte」といった、この店オリジナルの名前が並んでいた。少し変わったネーミングに、思わずメニューを覗き込んでしまう。
店内には、Hamuakiというアーティストの『Morning Walk』が小さな音量で流れていた。ボサノバを思わせる軽やかな曲調が、午後の穏やかな空気によく似合っている。
店内に漂うコーヒーの香り。談笑したり、リモートワークをしたり、読書をしたりと、みんな思い思いに時間を過ごしている。
私はアイスアメリカーノを一口飲みながら、向かいに座るコウさんを見つめた。
いよいよ、自分の正直な気持ちを語る時がやってきたのだと、私は覚悟を決めていた。
いよいよ、自分の正直な気持ちを語る時がやってきたのだと、私は覚悟を決めていた。
「あらためて、俺に自己紹介させてくれる? ちゃんと、目の前の『狭山航』を知ってほしいんだ。だから、俺に自分を売り込む時間をください。お願いします」
コウさんが真っ直ぐに私を見つめ、真剣な表情で語りかけてくる。
そのまっすぐな瞳に射抜かれ、私は緊張で喉を鳴らしながら「はい」と頷くことしかできなかった。
「ありがとう。……じゃあ、どこから話そうかな」
コウさんはアイスコーヒーのグラスに少しだけ触れ、落ち着かせるように一息ついた。
「本名は狭山航。今年で二十七歳です。えっと、誕生日は十二月十五日で、身長は百八十三センチ、体重は七十七キロ、血液型はB型で、結婚歴はないし、子供もいません。あと、ここ二年くらいは誰とも付き合ってないかな……。もちろん、今付き合っている相手もいません。あとは……」
「あっ、あの! コウさん。そこまで細かくお話ししてくださらなくても大丈夫ですけど……」
私が、結婚歴や交際歴まで話し始めたコウさんを慌てて止める。しかし、コウさんは「この機会に、俺のことを知って欲しいんだ。続き、いいかな?」と言って話し続けた。
「実家は千代田区番町にある、代々受け継いできた邸宅です。俺は大学生の時に一人暮らしを始めたから、今は港区南麻布の自宅マンションで一人暮らしをしています。すみれさんに出会った時はK大附属高校の三年生でした。その後、K大に進学し、大学在学中から旅系YouTuberを始めました。大学卒業後に自分の会社を立ち上げて、今はYouTuberを本業にしています。ネットで検索すれば、いろいろな情報が出てくると思います。でも、その中にはデマもあれば、事実もあります……あとは」
そこまで一気に説明して、一度、グラスのアイスアメリカーノを口にした。
「実家が弁護士一家で、不動産も所有する資産家だというのは事実です。もし、すみれさんが、YouTuberという職業に将来的な不安を感じるのであれば、会社のほうも配信系のビジネスは順調だし、 YouTuberとしての広告収入と企業案件、プロデュース業務も好調です。あと、俺自身も不動産投資で民泊施設を関東圏に数ヶ所経営しているから、経済的には……まあ、すみれさん一人を養うくらいなら苦労させない自信はある。あと、えっと、家族は、二歳上の姉が一人いて、彼女も旦那さんも弁護士で、両親と一緒に、実家の法律事務所を運営してくれています。だから、まあ、何か問題が起きてもバックアップはバッチリです」
突然、具体的な将来の話までされたことに、私は思わず息を飲んだ。コウさんはまっすぐ私を見つめたまま、言葉を続ける。
「あーっと、ここまでは大丈夫? 何か、質問があればなんでも聞いて。俺のこと、全部、ちゃんと知って欲しいから」
「はい。真剣にお話ししてくれていることが伝わってきますから大丈夫です」
私が答えると、コウさんは「そっか‥‥良かった」と呟いた後、さらに自己紹介を続ける。YouTubeの画面越しに見る姿や、旅先で見せる爽やかな『旅系YouTuberコウ』とは少し違う、どこか素朴な男性の顔だった。
「旅系YouTuberって言っても、ずっと旅をしている訳でもないし、半年前、半ば勢いでインドの一年間有効なマルチプルビザを取得して、現地に知り合いもいたから、ムンバイに滞在し始めたんだ。今のコンドミニアムの大家はインド人の友人なんだ。長いこと、家族ぐるみで親しく付き合っているんだ。彼は、まあ、インドの上流階級で桁違いの金持ちなんだよ」
苦笑いしながらも、コウさんは少しだけ真面目な口調に戻る。
「それと、片山。あいつはK大時代からの友人で、俺にとっては親友なんだ。生成AIのベンチャー企業を立ち上げて、今じゃ業績を伸ばしてる会社のトップなんだ。今回、あいつが『夏休みだから』って理由で一ヶ月もムンバイに来てくれてるけど……たぶん、それだけじゃないと思う。俺のことを気にかけてくれてるんだと思うんだ」
「本当に、大切な親友なんだよ」
そう言って、コウさんは穏やかに目を細めた。
「だから、今回すみれさんと一緒にいることも、あいつには全部話してある。……まあ、余計なことまでいろいろ言われてるけどね」
コウさんは少し照れたように視線を逸らし、再び口を開いた。
「今は一年を通して、海外を中心に不定期で旅をしてるけど、それも別に拘りがあるわけじゃない。もし大切な人が『日本で落ち着いて暮らしたい』って言うなら、いつでも拠点を日本に戻すつもりだし、動画制作だって、裏方に回ることはできる。俺の今の暮らしは、かなり自由に変えられるんだ」
「根無し草みたいに見えるかもしれないけど……俺は至って真面目だし、これでも将来のことはちゃんと考えながら生きてるつもりだ」
コウさんは、テーブルの上に置かれた私の手へ、そっと視線を落とした。
「これが、『狭山航』の素顔。……少しは、俺のこと好きになってもらえそうかな?」
そう言って私を見つめ返す彼の表情は、いつもの堂々とした態度とは裏腹に、どこか不安げで、まるで幼い子供のように揺れていた。
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