第117話 あたたかな時間と、美味しいカレー
夕飯は、明日には帰国してしまうナナちゃんの「西インドならではのスパイス香る料理が食べたいです!」という希望で、インド料理に決まった。
コウさんは行ったことがない店だったけれど、片山さんの「デリバリーオーダーしたら美味かったよ」という言葉を聞いてネットで検索してみると、かなりの高評価店だった。
「歩いても二十分くらいか……。じゃあ、夕飯はそこに行ってみようか」
「「はい!」」
私とナナちゃんの声が重なる。夕方に差し掛かる頃、私たちは四人で散歩がてら、湖畔の遊歩道を歩いて予約しておいたレストランへと向かった。
「なんか、すごくいいですね! 映画でこんな場面ありますよね!」
私たちの少し前をスキップしながら進んでいたナナちゃんが、弾んだ声をあげて振り返る。
こうして客観的に見ていると、スタイル抜群で容姿端麗なナナちゃんは本当に絵になる。彼女のYouTube動画を見ていて誰もが幸せな気持ちになるのは、彼女の容姿の美しさはもちろん、天真爛漫な明るさによる部分も大きいのだろうなと改めて納得させられる。
「おいナナちゃん、はしゃぎ過ぎて転ぶなよ。明日帰国なのに、病院に行くのは嫌だろう」
コウさんが苦笑しながら注意する。
「大丈夫ですよ! 私には若さがありますから! ……あっ! すみれさん、ごめんなさい! すみれさんは別ですからね!?」
「ふふ、大丈夫よ」
焦って必死に訂正するナナちゃんがおかしくて、私は思わず声をあげて笑ってしまった。
そんな私を、ナナちゃんがどこか嬉しそうに優しい笑顔で見つめてくれる。その温かい眼差しに、なんだか胸がいっぱいになって泣きそうになってしまった。
私の微妙な空気感を察したのか、片山さんがおどけた調子で割って入ってくれた。
「ちょっとちょっと、僕とコウはおじさん扱いかい? 僕らだって世間じゃ『イケメン』って呼ばれてるんだよ? 特にコウなんか、『
ビジュ最高』って、モテモテなんだから」
片山さんがイタズラっぽい表情で「な!コウ!」と、コウさんに肘鉄を食らわせる。そのコウさんは、心底呆れたような顔でため息をついた。
「ヒロシ、お前、自分で言ってて悲しくならないか?……それに、モテたって良いことばかりじゃないんだよ。まあ、お前もナナちゃんも知ってるだろうけどさ。……それに、好きな人に好かれなきゃ意味ねえんだよ、ブツブツ」
最後の方はボソボソと小声で呟くコウさん。
そんな他愛もない冗談を言い合いながら、橙色に染まり始めた空の下、笑い合いながら二十分ほどの道のりを汗をかきながら歩く。
(ああ、なんて素敵な時間なんだろう……)
この一ヶ月間にあった辛いことも悲しいことも、すべては今のこの瞬間に巡り合うためにあったのではないかと思えるほど、温かい時間に満たされていた。
到着したレストラン『は、外観こそインドの宮殿風で華やかだったが、店内は落ち着いた照明でシックにまとめられていた。
席に案内され、今日は主役であるナナちゃんの希望を聞きながら、食べたいものを次々とオーダーしていく。
「お腹いっぱい食べて、好きなものを飲んで、帰りは車を呼んで帰ろう」
「わあ! 賛成です! 満腹で歩いて帰るのは億劫だなと思ってたんです! さすがコウさん、できる男は違いますね!」
「ははは。お褒めに預かり光栄です、ナナ姫様」
ウェイターさんから「タンドリーチキンにすごく合いますよ」とお勧めされたのは、インドを代表するワイナリー『Sula Vineyards スラ・ヴィンヤーズ』の赤ワイン『Shiraz Cabernet シラーズ・カベルネ』だった。
「みんなで飲みたいので、ボトルで頼んじゃいますか?」
ナナちゃんが嬉しそうに言い、注文してくれたボトルがテーブルに運ばれてくる。
グラスに注がれたのは、美しい深紅色の液体。チェリーのような華やかな果実味と、どこか黒こしょうを思わせるスパイシーな香りが立ち上ってくる。インド中央部 『Nashik ナシク』の陽光を浴びて育った葡萄から作られるこのワインは、アルコール度数13.5%としっかりとした飲みごたえがありながらも、驚くほど滑らかな口当たりだという。
「おっ、スラのシラーズ・カベルネか! ウェイターさん、いいチョイス教えてくれたね」
片山さんが目を細めると、コウさんもグラスを掲げながら頷いた。
「ナシクのワイナリーだね。スパイシーな料理やカレーに合わせるなら、やっぱりこの赤だな」
「ナナちゃん、ナイスチョイス! ナナちゃんの無事な旅路と、みんなのこれからに乾杯!」
片山さんの掛け声で、4つのグラスが軽やかな音を奏でる。
「「「「乾杯!!!!」」」」
ワインをひとくち口に含み、香ばしく焼き上がったタンドリーチキンを頬張る。
ジューシーな肉汁と絶妙なスパイスの辛さを、赤ワインの滑らかな渋みとフルーティーな余韻が優しく包み込んでいく。口の中で旨味が何倍にも膨らみ、思わず感嘆の息が漏れた。
「……すごく合う。スパイスの余韻とワインの香りがぴったりですね!」
ナナちゃんが目を輝かせてグラスを傾ける。
「本当ね。チキンと合わせると、ワインの甘みが引き立ちますね」
「インドには、最高のワインがあるんだよ。みんなでこうして美味しいものを囲めて、本当に幸せだなあ」
照れくさそうに笑うコウさん、美味しそうにグラスを空けるナナちゃん、そして相変わらず賑やかにおしゃべりを続ける片山さん。
グラス越しに見えるみんなの笑顔が、少しだけ滲んで見えたのは、きっとワインのせいだけではないはずだった。
やがてテーブルに並んだのは、ムンバイの名物料理を中心に、南西インド沿岸部や北インドの料理まで揃った、スパイス香る料理の数々だった。
「あの……でもこれ、さすがに多くないですか?」
テーブルに並んだ料理の量を見て、思わず声が出る。
まず目を引いたのは、『Kori Rotti コリ・ロッティ』だった。濃厚でスパイシーなココナッツベースのチキンカレーに、薄くパリパリに焼き上げたロッティを添えた料理だ。
一枚手に取って割ってみると、パリッと小気味よい音が響いた。塩気はほとんどなく、薄いえびせんを思わせるような、軽くてサクサクとした食感だ。
そのロッティをカレーにたっぷり浸し、ほろほろに煮込まれたチキンと一緒に口へ運ぶ。
パリパリとしたロッティに、濃厚なココナッツカレーの旨味とスパイスの香りが絡み、噛むほどにほろほろのチキンが崩れていく。
「……これ、美味しい」
しっかりと辛い。けれど、ココナッツのまろやかな甘みが辛さを包み込み、ついついもう一枚、もう一口と手が伸びてしまう。
その横には、ムンバイ名物の『Misal ミサル』や『Batata Vada バタタ・ワダ』が並び、サクッと揚がった『Chicken Koliwada チキン・コリワダ』からは、香ばしいスパイスの香りが漂ってくる。そこに、午前中まで滞在していた北インドの定番『Chicken Tikka チキンティッカ』も加わり、テーブルの上は実に賑やかだ。
さらに、ムンバイ沿岸部で親しまれているココナッツベースの『Fish Curry フィッシュカレー』や、発芽豆を使ったスパイシーな『Misal ミサル』もある。
「うわあ……! この『Fish Curry フィッシュカレー』、ココナッツの甘みのあとに、スパイスのコクと辛さがガツンと来ますね! めちゃくちゃ美味しい!」
ナナちゃんが目を輝かせながら、カレーをパオですくって頬張る。
「本当ね。魚の旨味もしっかり出ているのに、後味は意外と爽やかね」
「このミサルも、上に乗ってるサクサクの揚げスナックと玉ねぎの食感が良くて、すごく美味しいね」
「うん。スパイシーだけど、これは手が止まらなくなる味だね」
「スパイシーなじゃがいものインド風コロッケ、『Batata Vada バタタ・ワダ』も美味しいですね。揚げたてだから、外はサクサク、中はホクホクです」
冷えたクラフトビール『Maka Di マカディ』と、辛口の赤ワインのグラスを片手に、美味しいカレーを囲む食卓。笑顔と会話が絶えない賑やかな宴は、心地よく続いていった。
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