第114話 楽しい夜、旅の途中の温もり
私が日本を飛び出して、一ヶ月。
(この一ヶ月、私は一体何をしてきたんだろう……)
食べて、眠って、笑えている。それだけで、もう十分なんじゃないだろうか。
そんなことを考えていた私に、勇気君は思いがけず、前を向くきっかけをくれた。
自分の夢を語り、そのために旅をし、二十五歳の彼は帰国した後の未来までしっかりと見据えている。二十九歳で無職、将来への確かな道筋のない私とは、あまりにも違っていた。
もちろん、私にはまだ「帰国しても大丈夫だ」という明確な自信があるわけじゃない。
それでも——いつまでもナナちゃんやコウさんの優しさに甘えて、このまま旅を続けていていいんだろうか。ふと、そんな思いが胸の奥から湧き上がってきた。
この一週間、私は二人にたくさん甘えさせてもらった。
旅の行き先を決めることも、移動のことも、泊まる場所のことも。何より、旅にかかる費用のほとんどまで二人に頼ってしまっている。
おかげで私は何の心配もせず、安心して旅を楽しむことができた。もしかしたら、この二人は、傷ついた私の心を労うために神様がくださったご褒美だったのではないかと思えるほど、かけがえのない時間だった。
だからこそ——二人の優しさを当たり前のものにしてはいけない。
(バラナシを出た後、私たちは一度ムンバイへと戻る予定だ。ナナちゃんはそこから日本へと帰国する。そして私は……ムンバイに着くまでに、次の行き先を決めなければいけない)
私の旅も、もうすぐ二人との別れを迎える。この二人に会えて、心からありがたかった。だからこそ、いつまでも甘えてばかりはいられないのだ。
今すぐ明確な答えを出せなくてもいい。ただ、自分がどこへ向かいたいのか、それくらいは、この旅の中でみつけたい。
私はもう一度、ゆっくりと息を吐き出した。
◇
その日の夜、私たちは夕食の予定が決まっていないという大原君を誘い、みんなで食事をすることにした。コウさんが提案してくれたのは、コンチネンタルレストランだった。
「わあ、嬉しいです! こっちに来てからずっと一人旅だったので、誰かとレストランで食事だなんて初めてですよ! 」
勇気君が少年のように嬉しそうな声をあげる。
さっきまでの凹んでいた姿が嘘のように爽やかな笑顔を浮かべているのを見ると、本来はとても明るく社交的な性格なのだろう。大ファンであるコウさんと一緒に過ごせているのも、彼の心を刺激しているのかもしれなかった。
「僕、デザインが浮かんでこない時には『この人なら何が似合うかな』って誰かをイメージしながらスケッチするんです。だから、実はコウさんには何度も助けられてるんですよ。ははは、僕の頭の中では、勝手に専属モデルになってもらってました!……あの、時々コウさんがうちのブランドの服を着てくれているのも、すごく嬉しかったです! あっ、もう、前の職場ですけど」
「それは光栄だな。俺もAUREL VANTは好きなブランドの一つだから、知らず知らずのうちに自分に似合う服を選んでいたのかもしれないね。俺の方こそラッキーだよ」
コウさんの温かい言葉に、大原君は顔をほころばせて破顔した。憧れの人が自分のデザインした服を着てくれていたことが、心底嬉しかったらしい。
弾む会話を聞きながら、私は穏やかな心地よさに包まれていた。
◇
配車アプリで呼んだ車に乗り込み、十分ほどで到着したその店『Continental Restaurant Varanasi バラナシ・コンチネンタルレストラン』は、開放的な屋上テラス席が魅力的で、私たちはバラナシの夜景の美しい四人席へと案内された。
「わあ! メニューに日本語の説明もありますよ!」
勇気君がメニューを開きながら声を弾ませる。
「『Chow Mein』って、焼きそばでしたっけ?」
「ああ、まあそうかな。あんかけ焼きそばとか、カタ焼きそばっぽい感じのものもあるね」
「炒飯も色々ありますね……うー、どれにしよう、迷うなあ。やっぱり海老かなあ」
「じゃあ、みんなで適当にシェアすればいいんじゃないか? 勇気、ピザも食べたいだろう?」
コウさんがさりげなく『勇気』と呼び捨てにすると、勇気君は嬉しそうに顔をほころばせてニヤニヤしている。本当にコウさんのことが好きなのだなあと、見ていて微笑ましくなってしまう。
「メインはどうしますか? 私、ラーメンにも興味があるんだけど……炒飯と焼きそばもシェアするから、流石に一杯を食べ切る自信はないなあ」
ナナちゃんがメニューを指差しながら悩んでいると、勇気君がすぐに身を乗り出した。
「あっ、それなら半分僕が食べますよ!」
すっかり打ち解けて楽しそうに会話するナナちゃんと勇気君。ほんの二日前には想像もできなかった光景だ。人生とは、本当に不思議な出会いに満ちているのだと深く実感させられる。今日はなんだか、人生の幸運に感謝する出来事が多すぎて、今なら『幸運の壺』でも購入してしまいそうだ。気をつけよう。
私がそんな二人の微笑ましい姿に頬を緩めていると、向かいに座るコウさんが、優しく私を見つめながら同じような表情を浮かべていたことには——私はまだ、気づいていなかった。
やがてテーブルには、香ばしい焼き色のついた三種類のチーズたっぷり使ったピザや、彩り豊かな海老炒飯、五目あんかけ焼きそば、八宝菜に、天ぷら盛り合わせ、お稲荷さん。そしてナナちゃんと勇気君が半分こした醤油ラーメンが運ばれてきた。四人で食べるにはなかなかな量がテーブルいっぱいに並べられた。
「うわ、このピザ生地モチモチでめちゃくちゃ美味しいです!」
「この炒飯もスパイスが効いてて美味しい! ラーメンもちょっと日本の味と違って面白いかも」
どれも想像以上の美味しさで、みんなでシェアしながら食べる食事は賑やかで本当に楽しかった。
あらかた食事も済み、残った料理は勇気君の夜食としてテイクアウトボックスに詰める。締めにマンゴーラッシーを飲んでいると、コウさんがグラスを置いて勇気君に視線を向けた。
「勇気、最後はムンバイに来るんだろう。住所を教えておくから、都合が合えば寄るといい。うちなら宿泊代も浮くだろう?」
「えっ! コウさんの家に泊めてもらえるんですか!? マジですか!? うわ、めちゃくちゃ嬉しいです……!」
思いがけない提案に、勇気君は目を丸くしたあと、跳び上がりそうなほど歓喜していた。本当にどこまでも素直で、愛される人柄なのだと思う。
店を出たあと、配車アプリで呼んだ車で勇気君を彼の泊まるホステルまで送り届け、私たちもホテルへと戻った。楽しい夜はあっという間に過ぎ去っていった。
いよいよ明日、私たちはムンバイへと戻る。
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