第107話 旅先で描くスケッチと、未来
コウさんの気遣いを受けて、私たちは大通りにある大きなスーパーまで足を延ばした。ペリエにオレンジジュース、見慣れた世界ブランドのポテトチップスと、一口サイズのチョコ入りクロワッサンを購入してホテルへと戻る。
「おかえりなさーい! あれ? 正面のお店じゃなくて、大通りのスーパーまで行ってたんですか?」
「ああ。急に甘い菓子パンが食べたくなってさ。すぐそこだし、ついでに行ってきたんだ」
コウさんが私にチラリと視線を向けながら、優しく微笑む。
「……あ、そうだったんですね。確かに、コーヒーと菓子パンの組み合わせは最強ですけど」
買ってきたものをテーブルの上に広げていると、ナナちゃんが楽しそうに大原さんを指さした。
「ねえねえ、すみれさん! 勇気君って、昔サッカー部だったんですって! しかも全国レベルの強豪校出身なんですよ」
「えっ……勇気……くん?」
ナナちゃんが自然な口調で彼を『勇気君』と呼んでいることに気づき、私は思わず聞き返してしまった。
「はい! もうすっかりお友達になりましたし、年齢もふたつしか違わないですしね。旅先でいつまでも『〜さん』付けなのも、なんだか固い気がしません?」
「まあ、確かにね。じゃあ俺も、これからは『勇気君』って呼ぼうかな」
コウさんが大原さんに笑いかけると、大原さんは「はい! 光栄です! 呼び捨てでお願いします!」と嬉しそうに大きく頷いた。
そして、大原さんはまっすぐ私を見つめて言った。
「小川さんも、僕のこと『勇気』って呼んでください。……もしよければ、僕も『すみれさん』ってお呼びしてもいいですか?」
「ふふ、じゃあ……勇気……君?」
照れくささに少し語尾が疑問形になってしまったけれど、私がそう呼びかけると、大原さんはパッと表情を輝かせて嬉しそうに笑った。
「……なんか、ムカつくな」
「え?」
ふと横を見ると、カウンターの端でコーヒーマシンにカプセルをセットし、レバーをカチリと下ろしていたコウさんが、機器の低い抽出音に紛れ込ませるようにぼそりと呟いていた。
聞き取れなくて首をかしげる私を余所に、鋭く察したナナちゃんがニヤニヤしながらコウさんを突っついている。
「コウさん、しっかりしないと勇気君に盗られちゃいますよ! モテ男なんですから、もっとしっかりアピールしてくださいね!」
ニヤニヤしながら突っ込んでくるナナちゃんに対し、コウさんはセットし終えたコーヒーカップを手にとると、苦笑いを浮かべながら軽やかに肩をすくめた。
「やだな、ナナちゃん。俺はいつだって真剣にアピールしてるつもりなんだけどな……まだ伝わってないのかな?」
そう言って、コウさんは私の方へと優しく視線を滑らせ、いたずらっぽく片目を細めて見せた。
「な、ナナちゃん、ちょっと……! 何言ってるの……!?」
ナナちゃんの爆弾発言とコウさんの不意打ちすぎる追撃に、私は顔を一瞬で真っ赤にして慌てふためくのだった。
「勇気君は、バラナシではどのあたりに泊まってるの?」
私が尋ねると、勇気君は「あ、はい!」と爽やかに頷いた。
「ここから歩いてすぐのところにあるホステルです。大部屋のドミトリーなんですけど、結構日本人旅行者も多くて安心ですよ」
「そうなのね。……なんだか三日前にお会いした時より、少し痩せたように見えるけど……体調は大丈夫?」
あの騒動のライブ配信があった日よりも、彼の頬のラインが削げているような気がして、私は心配になって声をかけた。
「あ、まあ。ちょっと食欲が湧かなくて、少し体重が減ったかもしれません。まあ、でも、ダイエットできたと思えば全然大丈夫です!」
「全然大丈夫じゃないでしょ……それ、絶対に体調を崩しかけてるやつじゃん。インドの旅はちゃんと食べて、ぐっすり眠らなきゃバテちゃうよ!」
苦笑いしながら強がる勇気君に、ナナちゃんが呆れたようにツッコミを入れる。
「あはは、だからさっきチョコ入りのクロワッサン買ってきたんだよ。一口サイズで食べやすいと思うから、無理のない範囲で食べてね」
「コウさん……! ありがとうございます!」
コウさんの優しい気遣いに、勇気君はパッと表情を明るくした。
「それで、これからインドのどこを周る予定なの?」
コウさんが温かいコーヒーを一口含み、興味深そうに次の行き先を尋ねる。
「えっと、『Blue City ブルーシティ』が見てみたくて、まずは『Jodhpur ジョードブル』へ行こうと思ってます。そのあとは、そこら辺を観光しながらゴアに寄って、最後はムンバイから日本に帰国する予定なんですけど……。ビザなしで行けるタイとかにも寄って帰りたいかなって。まあ、刺激を受けた土地があれば、そこにしばらく滞在しようと思います。人生でこんなに自由な時間って、そんなにはないでしょうから」
「3ヶ月も自由に旅ができるなんて、本当に贅沢な時間だよね」
コウさんが感心したように頷くのを聞きながら、私はずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「勇気君は……やっぱり旅をしている最中も、服のデザインとか、新しいアイデアが浮かんできたりするの?」
「あ、はい! 街ゆく人の布の巻き方とか、市場に並ぶ染料の色彩とか、毎日スケッチブックに描き溜めてるんです。日本にいたら絶対に出会えなかった配色ばかりで、すごく刺激になりますよ」
そう言って、少年のように目を輝かせながら鞄から一冊のスケッチブックを取り出す勇気君。
自分の意志で未来を見つめ、前向きに表現力を磨く彼の姿に、私の胸の奥は再びキュッと締め付けられるのだった。
「帰国したらすぐ、『KAZE』の立ち上げに向けて本格的に動き出すんです」
「そっか……新ブランドの立ち上げだなんてすごいわね。じゃあ、一緒に始めるのは、この前話してくれた営業部長の先輩ご夫妻と勇気君なの?」
「はい。僕を誘ってくれた先輩が社長で、その奥様がPRやクリエイティブ全般を担当します。『VERUS』でデザイナーとして培ったセンスを活かして、ブランドロゴやルックブック、SNS、展示会までトータルで手掛けてくれる予定なんです。それに、デザインは僕と、社長と親交のあるメンズデザイナーさんとの二人体制なんです」
「まあ……! デザインも二人で分担するのね」
「はい。あとは、奥様と長年チームを組んできたベテランの女性パタンナーさんと、社長の同期で一緒に独立してくれた信頼できる生産管理の方。僕を入れてこの6人が『KAZE』の創業メンバーなんです」
「すごい……! 各分野のプロが勢揃いしてるんだね」
「そうなんです。だからこそ、すごく現実的なスタートが切れると思っていて。その分、僕自身もデザインでしっかり結果を出さないといけないんです。この旅でどれだけインスピレーションを得て、自分の引き出しを増やせるかが勝負なんですよね」
期待に胸を膨らませながら、『KAZE』の未来を語る勇気君。
自分の足でしっかりと立ち、未来を見据えて前へと進む彼の姿に、私はまぶしさを覚えると同時に、胸の奥がチクリと痛むのを隠せなかった。
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




