第106話 思いやりと、新たな友人
急激に押し寄せてきた焦りと不安に胸をギュッと締め付けられ、私の表情は思わずこわばってしまっていた。
そんな私の変化に気づいたのか、コウさんが優しく声をかけてくれた。
「すみれさん、大丈夫? やっぱりガートに行った影響が出ちゃったかな」
「あっ、いいえ! なんでもないんです。すみません、なんだか少しボーッとしちゃって……」
私は慌ててその場を誤魔化すように愛想笑いを浮かべた。
けれど、コウさんは急に立ち上がると、私を気遣うような笑顔を浮かべて提案した。
「何か飲み物でも買いに出ようか。ごめんねナナちゃん、俺たちちょっと買い出しに行ってくるよ」
「はーい、いってらっしゃい!」
コウさんに促され、戸惑いながらも部屋を出ようとした私は、ふと不安になって彼を呼び止めた。
「あ、あの! ナナちゃんを大原さんと二人きりにして大丈夫でしょうか……? 一応、被害者と加害者のような関係性ですし……」
私の心配をよそに、コウさんは余裕のある笑顔を浮かべ、いたずらっぽくウインクしてみせた。
「ああ、問題ないと思うよ。大原さんはナナちゃんの追っかけなんかじゃないし、何より彼はちゃんと反省しているように見える。それにさ、俺のメンバーシップ会員に悪いやつはいないからね。彼なら大丈夫だと思う」
そう言って、もう一度ウインクをする。その軽やかさに、私の緊張も少しほぐれた。
こうして私たちは、二人でホテルの外へと買い出しに向かうことになったのだった。
ホテルの前に出てすぐの小店に向かおうとした私を、コウさんが呼び止める。
「すみれさん、せっかくだから通りの先にある大きなスーパーまで行こうよ。あっちの方が品揃えも多いからさ」
「えっ? はい、分かりました」
コウさんに促されるまま、賑やかな大通りを目指して歩き出す。
午後の熱い風が頬を掠める中、少し歩いたところでコウさんがぽつりと口を開いた。
「……それで? 何かあったの?」
「え……?」
驚いて慌てて隣を歩くコウさんを見上げると、彼は前方の遠くを見つめたまま言葉を続けた。
「大原さんの話を聞いているうちに、すみれさんの表情が徐々に強張っていったからさ……。何かあったのかなと思って」
彼の口から語られたのは、私に対する純粋で深い心配だった。自分でも気づかないくらいの小さな変化だったはずなのに、ちゃんと見ていてくれる人がいる。心配してくれる人がいる——その事実が、胸の奥をじんわりと温かく満たしていく。
「……いや、無理に話さなくてもいいんだよ。ただ、どうしたのかなって心配になっただけだからさ。……俺の好きな人だからさ、気になるじゃない。素直にね」
そう言ったコウさんの瞳が、今度はまっすぐに私へ向けられた。
不意に向けられたその言葉の威力に、息が止まりそうになる。
灼熱の太陽に照らされた彼の真摯な眼差しから、逃げることはできなかった。
胸の中の焦りや不安、そしてコウさんからの真っ直ぐな想い。さまざまな感情が渦巻くなかで、私は深呼吸をし、彼の目をしっかり見返した。
「ありがとう……ございます。でも、たぶん大丈夫です。自分の迷いには、自分で向き合わなくちゃいけないと思いますので。……自分で答えを出してみせます」
迷いを振り払うようにまっすぐ見つめて返した私の言葉に、コウさんは少し目を見張り、それから嬉しそうに優しく目を細めたのだった。
「それでこそ、俺が好きになった女性だね。やっぱり、素敵な人だね」
◇
すみれさんとコウさんが買い出しに出かけ、部屋には私と大原さんだけが残った。
扉が閉まった瞬間、なんとも言えない微妙な空気が流れる。大原さんはソファの上で正座でもしそうなほど緊張しており、見ていて少しおかしくなってしまうほどだった。
「あの……ナナさん。改めまして、この度は本当に申し訳ありませんでした」
大原さんはコーヒーのカップをテーブルに置き、私に向かって深々と頭を下げた。
「ふふ、もういいですよ。そういえば大原さんって、コウさんのファンなんですよね?」
「はい。実は……五年前からのメンバーシップ会員なんです」
「わあ、ガチの初期ファンじゃないですか! それなら熱くなって写真くらい撮っちゃうのも、まあ分からなくはないです。……まあ、それをSNSに投稿したのは絶対に許せませんけどね」
「……はい。本当にすみませんでした。写真を拡散してしまった従弟も、今回の件を深く反省しています。コウさんと直接お話しさせていただいたあと、学校へ行くよう励ましていただいて……二人で心から反省しています」
「本当に、しっかり反省してもらわないと困りますよ! 今回は両方の事務所が頑張って、穏便におさめてくれましたけど、事と次第によっては多額の損害賠償を請求されたって文句は言えないんですから。高校生の従弟君にとっても、すごく良い社会勉強になりましたね」
「はい。本当に、仰る通りです……」
恐縮しきりで小さくなっている大原さんを見て、ナナはくすりと笑った。
「あのさ、大原さん。さっきから使ってるその堅苦しい敬語なんですけど……大原さんって私より二歳年上なんですよね? 普通に話しませんか? せっかくこうして旅先で出会ってお友達になったんですから」
「えっ!? と、友達……? 僕なんかと、友達になってくれるんですか……?」
大原さんは思いがけない言葉を聞いたように目を丸くし、ポカンと口を開けた。
「そりゃそうでしょう! まさか『コウさん以外には興味ない』なんて冷たいこと言わないですよね? 私のYouTubeチャンネルも見てくださいよ、たまーにでいいですからね!」
大原さんの緊張を解きほぐすように茶目っ気たっぷりに微笑むと、彼は一瞬驚いたあと、どこか憑き物が落ちたようなホッとした笑顔を浮かべたのだった。
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