第104話 幸せなランチと、見覚えのある横顔
サールナートの素晴らしい遺跡や博物館に見入っているうちに、いつの間にかお昼近くになっていた。
「そろそろランチにする? このあたりで何か食べていくかい?」
コウさんの問いかけに、ナナちゃんと顔を見合わせる。
「うーん、ランチかあ。……このまま観光を続けて、バラナシに戻ってから遅めのランチでも良くないですか?」
「そうね、私もそっちの方が良いかも。まだこの静かな余韻に浸っていたい気もするし」
「よし、じゃあそうしようか」
そんな相談を経て、夢中で観光を締めくくった私たちがタクシーでバラナシの街へ戻ってきた頃には、すでに午後二時を過ぎていた。
「どうする? ホテルの近くのカフェにでも行ってみようか」
車を降りたところでコウさんがそう声をかけてくれて、私とナナちゃんは「行きたいです!」と、ふたり揃って笑顔で大きく頷いた。
「じゃあ、昨日ちょっと調べておいたんだ。ガートのすぐ近くにあるカフェレストランで食事にしようか」
「はい! ちょっとお腹も空いてきたので嬉しいです!」
すっかり体調も戻ったナナちゃんが嬉しそうに声を弾ませる。昨日の重苦しい雰囲気から一転、車を降りた私たちは、ガート近くのカフェレストランへと徒歩で向かった。
ガート周辺は今日も大混雑だ。大きなバックパックを背負った外国人観光客や旅人風の人たちと、軽装で街を行き交うローカルらしい人たちが入り乱れ、活気溢れる熱気に包まれている。
「あ、ここだ。あの赤い看板が目印らしいよ」
コウさんが指さした先には、どこか可愛らしい佇まいのカフェがあった。
「うわあ、可愛い外観ですね! テラス席もあるんだ……でも、やっぱり涼しい店内の方がいいかも」
「ふふ、私も同感だわ」
ナナちゃんの言葉に、私も深く頷いた。
「うん、そうだね。中でゆっくり食べようか」
店内に入ると、そこはインドの伝統的な装飾と多国籍なインテリアが絶妙に調和した、ボヘミアン調のおしゃれな空間だった。本棚やセンスの良い小物が並び、心地よい音楽が流れている。接客をしてくれるのは、気さくな笑顔を浮かべたインド系の男性スタッフだ。
メニューを開いてみると、本格的なインド料理はもちろん、イタリアンやメキシカン、地中海料理まで揃う多国籍なラインナップだった。
「さあ、何にする? 昨日の夜がピザだったから、遅めのランチは『Thali ターリー』にでもしてみるかい?」
コウさんの提案に、ナナちゃんがメニューの写真を指でなぞりながら小さく呟いた。
「そうですね……それなら、野菜だけのベジタリアン・ターリーにしてみようかな」
「じゃあ、私も同じベジ・ターリーにします。 この写真、すごく美味しそう」
「いいね。じゃあ僕も、たまにはベジ・ターリーにしてみようかな」
三人揃って同じメニューを注文することにした。
「ドリンクはどうする? ペリエあたりにするかい?」
「はい! お願いします」
「私もペリエでお願いします」
運ばれてきた大きな丸い銀色のお盆に、三種類の野菜カレーに、ジャガイモのサブジ、ライスとナン、ヨーグルトやアチャールが並ぶ豪華な定食スタイルで、少しずつ違う味を楽しめるのが嬉しい。どの料理も優しいスパイスの香りが広がる。スパイスで火照った口の中を、ペリエの爽やかな炭酸が心地よくリセットしてくれた。
三人で「美味しいですね」と感想を言い合いながら、私たちは居心地の良い店内で大満足の遅いランチタイムを過ごしたのだった。
◇
「はあ、お腹いっぱい! 美味しかったですね」
「美味しかったわね。毎回感じるけど、一口にカレーと言っても色々な種類があるのね。どれも美味しくて幸せだわ」
「ははは、すみれさんは意外と食いしん坊だったんですね。でも、旅において食事は一番大事ですから。しっかり食べられて良かったですよ」
コウさんが温かい笑顔で話しかけてくれる。
「ええ。それもこれも二人のおかげだと思っています。二人に会えたことが、本当に幸運で……心から感謝しているんです」
私が少ししんみりとした声で呟くと、ナナちゃんがハッとした表情で振り向いた。
「そんな! 私こそ、マラッカですみれさんに出会えたからこそ、こうしてインドまで来られたんですよ! 出会いに感謝するなら、私の方こそありがとうございますです!」
「ははは、二人して感謝し合って、なんだか良い雰囲気じゃないか。それだけ幸せな出会いだったってことだろうね。その結果、二人に会えた俺もラッキーだったってことだ。俺にとっては、特別な出会いだよ……。人生の巡り合わせに感謝しよう。それで十分じゃないかな」
コウさんの熱い視線と温かい言葉に、私たちはガート近くの道端で顔を見合わせて笑い合った。
——その時だった。
人混みの向こうを、見覚えのある横顔がチラリと横切った気がした。
「あれ……? あの横顔、大原さん……?」
「え? 誰ですか? バラナシに知り合いでもいたんですか?」
思わず漏らした私の呟きを聞きつけ、ナナちゃんが首をかしげる。するとコウさんが少し眉間を寄せて、「あの炎上画像を撮影した本人の大原さんだよ」とナナちゃんに耳打ちした。
「ああ! あの人ですか……まさか、また追っかけでもしてるんですか!?」
ナナちゃんが警戒心を露わにして嫌そうな声をあげる。
「うーん、どうだろう。北インド観光はみんな似たようなルートを辿るからね。それに大原さんだっけ? 俺の印象では、彼が追っかけをするような人には見えないけれど」
「はい、私もそう思います。大原さんは本当に精神的に参っているご様子でした。もしご本人だとしたら、本当に偶然だと思います……観光でいらしているんだと思いますが」
「すみれさんは、彼のメンタルが心配なんだね。昨日の君たちのように、この街の空気に影響されているんじゃないかって」
「はい……。弱っている時にここに来てはいけない気がするんです。昨日の私がそうだったように、この街の強いエネルギーに飲み込まれてしまう。だから、もしご本人なら心配で……」
「分かった。おそらくガートへ向かったんだろうから、本当に大原さんなのか確認しよう。あとはホテルに帰るだけだし、散歩のついでと思えばいい。ただ、二人は体調、大丈夫かい?」
私が心配そうにナナちゃんを見つめると、彼女は力強く頷いてくれた。
「私は大丈夫です! すみれさんが気になるなら、ガートを見てから帰りましょう。お腹もいっぱいですし、ちょうど良い腹こなしですよ」
三人で再びガートへと向かう。
今日もオレンジ色の布を纏った聖者サドゥの姿があちこちに見える。無数の人々がガートで祈りを捧げ、洗濯をし、ヨガを楽しみ、あるいはただ佇んでいる。熱気と雑多な混雑の中を進んでいくと——見つけた。
「やっぱり大原さんです! 大原さん! 大原さーん!」
私は大声で彼の名を呼んだ。けれど、周囲の激しい喧騒にかき消され、私の声は彼に届かない。
そうしている間にも、彼は着ていた服を脱ぎ捨て、下着姿になってガンジス川へと足を踏み入れようとしていた。沐浴をするつもりだ。
「まずいな……。あの水質で沐浴するのは危険だ。生活排水や細菌の影響で感染症や激しい腹痛になることもある。見学だけにしておくのが賢明なんだが……」
コウさんが焦りを滲ませて声を張る。
「もちろん何をするのも個人の自由だが、今の彼は精神的に弱っていると思うし、一度話をして止めよう!」
「はい!」
私たちは彼を止めるため、一気にガートの石段を駆け降りた。
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




