第101話 ガンジス川を見下ろすティータイム
バラナシ駅から車で二十分ほど。
私たちが到着したのは、ガンジス川のメインガートに面してそびえ立つ『Hotel Varanasi Palace バラナシ・パレスホテル』だった。十八世紀に建てられた歴史ある宮殿をそのまま改装したという五つ星のヘリテージホテルで、重厚なインド・マラーター建築の意匠が至る所に施されている。
「ここ……一泊いくらくらいなのかしら? あとでこっそり検索してみなくちゃ……」
ロビーの圧倒的な気品に呑まれ、私が小声で呟くと、ナナちゃんもぶんぶんと大きく頷いた。
「はい……動画の撮れ高としては最高に助かりますけど、立地も内装もすごすぎますよね。テラスからはガンジス川が一望できるみたいですし……。もう、ここはコウさんにおんぶに抱っこで行きましょう。お金のことは、今は考えないことにします!」
私たちはフロントで手際よくチェックイン手続きを進めるコウさんの背後で、ヒソヒソと囁き合っていた。
「はい、お待たせ。チェックインも済んだから部屋に行こうか。ジャイプールと同じで、三人で泊まれるファミリースイートにしたよ。大丈夫だった?」
「はい、もちろんです! ありがとうございます!」
「ええ、かまいません。ありがとうございます」
案内されたお部屋は、宮殿の重厚さとモダンな快適さが融合した素晴らしい空間だった。バルコニーからは悠々と流れる聖なる大河——ガンジス川が見下ろせる。
部屋に荷物を置き、一通り館内を探索したあと、私たちは午後三時のティータイムを楽しむため、川に面した開放的なテラス席へと向かった。
十八世紀の宮殿の面影を残す意匠に囲まれたテラスには、陶器のティーセットや色鮮やかなトラディショナルスイーツが綺麗に並べられている。
ここはバラナシでも指折りのヘリテージホテルということもあり、宿泊客だけでなく、この洗練された空間と絶景を目当てに外部からアフタヌーンティーに訪れている観光客の姿も多く見受けられた。
眼下には、日中の強い日差しを受けながら熱気と人々の喧騒に満ちているガンジス川。
その混沌とした世界を上から眺めながら、優雅に芳しい紅茶を味わう——そんななんとも贅沢で、不思議なコントラストがここにはあった。
「自分が宿泊するホテルでこんな素敵なティータイムが過ごせるなんて、なんだかすごく得した気分ですね!」
スコーン風の焼き菓子にクリームをたっぷり乗せながら、ナナちゃんが嬉しそうに頬を緩ませる。
「ふふふ。確かに、そうね。インドと言っても、行く場所や滞在するスタイルによって色々な雰囲気があるのね」
「ああ。下のカオスな熱気と、このテラスの静寂のギャップがすごいよね。アグラからの移動の疲れを癒やすには最高の場所じゃないかな」
コウさんも満足そうにカップを傾け、川面にキラキラと反射する光を見つめた。
心地よい風がテラスを吹き抜け、芳醇な紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。
外部からの客たちの楽しげな話し声と、川沿いからかすかに聞こえてくる生活の音。私たちは夕方のガート散策に向けて、心解ける穏やかなひとときをゆったりと堪能したのだった。
夕刻になり、日が傾いて暑さが和らぐと、私たちはガートの散策へと出かけることにした。
一歩ホテルの外へ出ると、そこは圧倒的な非日常の世界だった。
石段のあちこちで祈りを捧げる人、川で沐浴をする人、生活のために洗濯をする人が入り交じり、濃密な熱気が肌にまとわりついてくる。
川沿いを進めば、一日中、絶えることなく荼毘の煙と炎が立ち上る火葬場『Manikarnika Ghat マニカルニカー・ガート』があり、人の生と死、命の循環が目と鼻の先で淡々と営まれていた。
「私、前に聖者『Sadhu サドゥ』の特集番組を見たことがあるんですよ。彼らを題材にした動画もたくさんありますよね」
GoProで、あちこち動画を回しながら、ナナちゃんがふと思い出したように言った。
「『サドゥ』? 聖者って、お坊さんのような人たちのことかしら?」
「うーん、お坊さんというよりは、ヒンドゥー教の『苦行者』や『遊行者』らしいです。世俗を捨てて生きている人たちなんですって」
すると、前を歩いていたコウさんが振り返って教えてくれた。
「ああ、ガートを歩けばすぐに目に入るよ。長いドレッドヘアに、顔や体、全身に灰を纏って施した独特の白塗りと、『サフラン色』の布をまとった姿が特徴的だね。ただ……実態としては世俗を捨てた聖者だけど、このあたりの観光地にいるサドゥーは、写真を撮らせてチップを要求してくるビジネス目的の人もいるらしい。全員が本物の修行者ってわけじゃないからね」
「へえ、そうなんですね……。まあ、これだけ世界中から観光客が集まる場所なら、ビジネスになっちゃうのも分かる気はしますけど……。なんだか商魂たくましいというか、ちょっと複雑ですね。でも、どうして灰を纏うんでしょうか?」
ナナちゃんが少し苦笑いを浮かべながら尋ねると、コウさんは少し考えるように川沿いへ視線を向けた。
「俺も前に来た時、ガイドさんから聞いた話だけど……サドゥが灰を纏うのには、ちゃんと意味があるんだって」
コウさんは、ゆっくりと言葉を続けた。
「灰って、火葬のあとに残るものだろ? どんなに大切なものでも、最後にはすべて灰になる。だから、肉体や物質への執着を手放して、世俗的な欲望から離れるっていう意味があるらしい」
「ヒンドゥー教の最高神であるシヴァ神も、火葬場の灰を体に塗っている姿で描かれることがあるんだ。サドゥたちは、そのシヴァ神の姿にならって灰を纏っていると言われている。
俺たち日本人から見ると、灰ってどうしても寂しさや死を連想するものだけど……、彼らにとっては『すべては移ろいゆくものだと受け入れる』ための象徴なんだと思う」
コウさんの説明を聞きながら、私は改めて灰を纏ったサドゥたちへ視線を向けた。
初めて見た時は、正直なところ異様な姿に見えた。けれど、その姿の奥には、長い歴史の中で受け継がれてきた信仰と、私たちとは異なる価値観が存在しているのだと知ると、少しだけ見え方が変わった気がした。
「でも、そのカオスさも含めてバラナシの魅力なんだと思うよ」
コウさんは、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「今日の日没は十九時前後だから、十八時半頃からのボート遊覧では、川の上からガートの幻想的な灯りを見ることができると思う。昼間とは、きっと違ったバラナシの表情が見られるよ」
私は、コウさんの言葉を聞きながら、これから始まる夕暮れの景色に思いを馳せた。
強烈な匂いと、人々の熱気。生と死が隣り合わせに存在する独特の空気に圧倒されながらも、私たちは少しずつ、この街が放つ不思議な磁力に引き込まれていった。
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