第10話 旅先で初めての友人
「……少し、美味しいかも」
「Told you so! Glad that worked. Hey, wanna hit a rooftop bar nearby? It’s my last night. let’s toast together.
(でしょ? 良かった。……ねえ、この後、近くのルーフトップバーに行かない? 最後の夜なの。一緒に乾杯しましょうよ) 」
ジュリアの誘いは、今の私には眩しすぎた。
四キロ痩せて、足元がまだふらついている身体。そして何より、今のボロボロの自分で、彼女のような輝く女性の隣に並ぶ勇気が出なかった。
「……ごめんなさい、ジュリア。すごく嬉しいんだけど、まだ、体調が万全じゃなくて。お酒を飲んだら、倒れちゃうかもしれない」
「Oh, yeah… you’re still really pale. Sorry, I shouldn’t have pushed you.
(ああ、そうね。顔色がまだ真っ白だわ。ごめん、無理を言ったわね)」
ジュリアは少しだけ残念そうに、でもすぐに明るい顔に戻って言った。
「It’s fine. Just don’t overdo it. But promise me. someday, when you can genuinely smile and say ‘this is good’ over a beer, come to Hong Kong. I’ll buy you the best dim sum.
(いいのよ。無理は禁物。その代わり、約束して。いつかあなたが、心から『美味しい!』って笑ってビールを飲めるようになったら、香港に遊びに来て。私が最高の飲茶を奢るから)」
「Hey, are you on WhatsApp? Let’s swap contacts.
(ねえ、WhatsAppは持ってる? 連絡先を交換しましょう)」
ジュリアはそう言うと、手慣れた動作で自分のスマートフォンの画面を差し出してきた。
私は、日本で仕事用に使っていたメッセージアプリとは違う、見慣れない緑色のアイコンをタップする。震える指で彼女が提示したQRコードを読み取ると、画面には「Julia」という名前と、ライブ会場で満面の笑みを浮かべる彼女のアイコンが表示された。
「Sumire, I’ve sent you a message. You’ve already started writing a new program for your life. If you get any errors, just send them my way anytime. You’re not alone.
(スミレ、メッセージを送っておいたわ。あなたはもう、新しい人生のプログラムを書き始めたの。エラーが出たら、いつでもここに投げて。……あなたは一人じゃないわ)」
画面に届いた『Welcome to the new world! 』という短いメッセージと
私の新しいスマホに、初めて「旅先での繋がり」としての新しいデータが書き込まれた瞬間だった。
嵐のような女性だった。
彼女が席を立ち、人混みの中に消えていくターコイズブルーのリュックを見送りながら、私は手元のチキンライスをもう一度見つめた。
熱気と喧騒の中、一人で食べる夕飯。けれど、さっきまでの「飲み込むための食事」とは、何かが決定的に違っていた。
私は、自分の手で選んだこの国で、初めて「自分以外の誰か」と心を通わせたのだ。
ホテルへの帰り道。
肌に絡みつく湿気は相変わらず重かったけれど、夜風が少しだけ、心地よく感じられた。
私は、また、笑える。
ジュリアという「友人」からもらった言葉を、お守りのように胸の中で反芻しながら、私は一歩一歩、確かな足取りで夜のシンガポールを歩き出した。
MRTプロムナード駅へと移動して、『Suntec City Mall ( サンテック・シティ・モール)』にある『Fountain of Wealth ( 富の噴水)』を訪れる。
この旅の軍資金には正直、不安が残る。気の持ちようだが、頼れるものは占いでも頼ろうと思い、風水で有名な金運スポットを訪れた。ショッピングやグルメを楽しみながら、強力な風水パワーを体感できる場所として観光客に非常に人気の場所だという。
噴水の周りにある小さな噴水から流れる水に、右手で触れたまま、願い事を唱えながら噴水の周りを3周していく。旅の安全と、できるだけ長く旅が続くことを願って周る。あの場所には帰りたくないから……。
ホテルに戻る前に、ブギスエリアにある『Kwan Im Thong Hood Cho Temple ( 観音堂)』に寄り道する。非常に当たることで有名なおみくじ筮竹体験ができるパワースポットだそうだ。
本当は、誰かにこの無謀な旅を肯定してほしかっただけなのかもしれない。
風水に占い。普段の私なら見向きもしないものに縋ろうとしている今の私は、客観的に見てもかなり危うい精神状態だ。今の私なら、得体の知れない偽サイトで「運気が上がる金の壺」なんて代物だって、二つ返事で買ってしまいそうだ。
――笑いたければ笑えばいい。
九年かけて築き上げた幸せの型紙が粉々に引き裂かれた今、私は、何にでもいいから「間違ってないよ」と背中を押してほしかった。たとえそれが、まやかしの言葉だったとしても。
周囲には、私のように観光客らしき挙動不審な人たちも多くて安心する。まずは、入口でお線香を購入し、3本火をつけて香台に立てる。周りの人たちを真似て本堂の観音様へお参りする。お寺の入り口上空の天の神様に向かって、自分の名前、住所、今回の教えてもらいたい事を心の中で唱えた。
「(安全に旅が続けられますように!少しでも長く、この旅を続けられますように!)」
堂内のカウンターで「おみくじの筒」と「勝杯」と呼ばれる『赤い三日月型の二つで一組の木片』を渡される。おみくじ棒を引き、勝杯を床に投げ、結果が正しいか確認するのだという。勝杯の『表と裏』がひとつずつ出たら、『その棒で合っている』という意味なんだそうだ。私は、一回で確定が出た。
出た番号の結果を紙でもらうと、漢字表記の裏面には英語訳が記載されていた。早速、Google先生の登場だ。翻訳結果を真剣に読む。
『A true aim invites both human and divine support
(成し遂げたい事には、まわりの人や神が手助けしてくれる)
Be thankful for each encounter, and go forward without wavering
(出会に感謝し、まっすぐ進むべし)』
神様から「進め」と背中を押されたような気がした。
私は肺の空気をすべて入れ替えるように、一度、大きく息を吐き出した。
「そうか。このまま、自分の人を見る目を信じて旅を続けよう……結婚相手を見極める目はなかったけどね」
卑屈になる自分を叱咤激励し、賑やかな喧騒を離れホテルへと戻る。
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