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9/14

羽は、二人を包む星となって

 路地に足を踏み入れると、俺はもう一度、あの粘ついた気配を探した。


 ――いた。


 二本目の街灯の陰。


 グリフォンは、俺たちが逃げた方向を追って、まっすぐこちらへ向かってきていた。


 俺は月菜のほうを振り返って、こくりと頷く。


 月菜も真剣な表情で頷き返した。


「ルナちゃん! 信じてるからねっ!」


「うんっ!」


「絶対、あてるからねっ!」


「うんっ!」


「あたらなかったら、ごめんっ!」


「うぇっ」


 ジャージ姿の月菜が「あたらなかったらごめん」を残して、角の向こうへ消えていく。今、なんて言った。あて、あて、あてないと駄目なんだよ月菜おねえちゃん。


 しかしもう、重い虚しく月菜は行ってしまった。俺は、路地の中央へ、一人でぽつんと歩み出る。


 我ながら、なんて頼りない小さな体。


 震える膝。


 この足じゃ、逃げ切れない。


 だからこそ――おとりに、なれる。


「――グリフォンさん!こっちだよーっ!」


 精一杯の声を張り上げる。


 鈴を転がすような、俺のものじゃない少女の声が、夜の路地を貫いた。


 二本の街灯の向こうで、赤い瞳が、ぎらりと光る。


 ――来る。


 そう思った瞬間、グリフォンが跳んだ。


 翼を折りたたんで、狭い路地を一直線に切り裂く。爪がアスファルトを引っかいて、火花みたいな金属音が夜に散った。獣の巨体が近づくたびに、路地の空気そのものがびりびりと震える。


 速い。


 速い、速い、速い。


 こっちの想定より、ずっと速い。


 俺は路地の奥――月菜のいる方向を、目だけで確認した。


 あと数歩。


 もう少しだけ、引きつける。


 嘴の先の唾液まで見える距離まで。


「おねえちゃん!いまっ!」


 叫ぶと同時に、俺は壁際へ身を投げた。


 ほぼ同時に、路地の奥から月菜の声が響く。


「レイっ!」


 月菜の杖の先で、青い宝石がぱっと明滅する。

 横に跳びながら見る。


 ――光の粒が、生まれた。


 星屑みたいな金色の粒が、ぷつん、ぷつん、と夜の空気に浮かび上がって、一直線に並んでいく。ひと粒、ふた粒、そのまた向こうにみっつ、よっつ。粒の連なりは、夜の路地に、ほんの一瞬、点線を描いた。


 ――綺麗、と思ったのは、俺の頭の隅っこの、たぶんルナのほうの意識だった。


 そして次の瞬間、点と点の間が、ぶわっと繋がる。


 温かい光の線が、夜の路地を、一直線に貫いた。


 当たる、と思った。


 ――だが。


 グリフォンは、俺が飛び退く一瞬を見逃さなかった。翼をわずかに広げて、俺を追いかけるように、しなやかに体をひねる。獣の巨体が、信じられない柔らかさで軸をずらす。


 光は左脇をかすめ、羽根を数枚焦がしただけで、そのまま反対側の壁へ突き刺さった。


「うそっ……!?」


 月菜の悲鳴に近い声。


 俺も、息を呑む間もなかった。


 避けた勢いのまま、グリフォンはこちらへ向き直る。


 金色の瞳が、目前で見開かれた。


 鋭い嘴が、闇を裂いて、俺の胸めがけて、迫る。


 嘴の付け根の、湿った皮膚の質感まで見えた。呼気が、俺の前髪をぶわりと揺らす。獣の匂い。届かなかった気持ちが腐った、あの粘つく気配をこんなに近くで感じる。


 ――まずい。


 避けられない。

 嘴が、俺の胸を狙って、振り下ろされる。

 俺は反射的に目を閉じ、両腕で顔を覆った。


 しまった。


 おとりになるなら、防ぐ手段まで考えとけよ、ばかっ。


 ぱぁんっ、と澄んだ音が、夜に響いた。



 何も感じない。

 恐る恐る、目を開ける。


 俺の目の前に――青白い半球状のシールドが、展開されていた。


 星屑のような光が、内側で細かく瞬いている。グリフォンの嘴はそのドームの表面をずるりと滑って、耳障りな金属音と共に、火花のような光を散らした。


 シールドだ。


 月菜の、シールド。


 路地の奥を、はっと見る。


 月菜が、両手を突き出したまま、真っ青な顔で叫んでいた。杖を握る手が、ぶるぶる震えている。


「るなちゃんっ! るなちゃんっ! るなちゃぁんっ!」


 守ってくれた。

 あんなに遠くにいるのに、俺の前に正確にシールドを出している。

 「たすけたい」その気持ちだけで。


 シールドに弾かれたグリフォンが、大きくよろめく。翼を広げてバランスを取ろうとして、失敗する。獣の重い体が、街灯の真下でよろけて、体勢を崩した。


 俺の視界の端に、丸い光が映る。

 路地の角。

 夜の街灯を、ぼんやり映している――丸い、カーブミラー。


 ――そうだ。

 そうだよ。


 レイは、光。

 鏡なら、跳ね返せる。

 跳ね返せば、あいつが避けられない角度から、撃てる。


「月菜おねえちゃんっ!」


 俺は、精一杯の声で叫んだ。


「かがみーっ! かがみをねらってっ!」


「えっ……!?」


「かがみっ! そのっ、まるいっ、あそこのっ、まるいっ、みらーっ!」


「かがみ」しか出てこない自分の語彙力に泣きそうになる。それでも月菜の視線が、俺の指の先を追った。


「あっ……! あっ、あっ、あーっ! なるほどねっ!」


 月菜がぽん、と手を打った。今、この状況で「なるほどねっ」って落ち着いてる場合か、と思ったが、その顔にはもう、怯えが消えていた。覚悟が乗っている。


 杖を構え直して、狙いを鏡へ定める。


 頼む。


 真っすぐ、飛べ。


 あいつへ、跳ね返れ。


 グリフォンが、体勢を立て直す。地面を踏みしめて、こちらへ向き直る。金色の瞳が俺を捉えて、嘴が、再び、大きく開かれた。獣の喉の奥、真っ黒な穴。今まさに振り下ろそうとしている。


 ――間に合え。


「レイぃーっ!!」


 月菜の、渾身の叫び。


 これまでで、いちばん大きな声。

 まっすぐ飛んだその光が、丸い鏡面に、吸い込まれるように――当たった。


 眩い、閃光。

 カーブミラーが、まるで小さな月になったみたいに、路地全体を白く照らし出した。俺の影も、グリフォンの影も、ぐん、と長く伸びる。


 反射した光は、鋭く向きを変えて――


 ――グリフォンの、真横から、放たれた。


 鏡から獣まで、鼻先ほどの距離しかない。


 その狭い空間に、また、金色の粒がぷつぷつと連なって、線になる。あまりにも近すぎて、粒が線になる時間もない。


 嘴を開いたその、脇腹めがけて。

 グリフォンの金色の瞳が、大きく、大きく、見開かれた。何かに気づいたような、驚いたような、そんな目。


 光は、静かに、獣の体を貫いた。


 ――世界から音が消える。


 グリフォンは、叫ばなかった。


 ただ、大きな翼を、一度だけ、ゆっくりと広げる。


 まるで、最後にひとつ、大きく息を吸うみたいに。

 金色の瞳が、どこか安堵したように、細められた。


 そして、その体は、淡い光へと溶けていく。


 羽根が星屑のように舞い上がって、夜の路地いっぱいに、優しい輝きが降り注ぐ。


 その光は、俺と月菜を包み込む。


 路地の奥で、月菜がぺたん、と座り込むのが、視界の端に映った。杖を胸に抱えたまま、ぽかんと口を開けて、光の粒を見上げている。


「……あたった」


 月菜がぽつりと呟いた。


「……あたった!! るなちゃん、あたったぁーっ!!」


「うんっ、あたったよぉーっ!」


 路地の両端で、俺たちは、なぜか同じタイミングで、両手を上げて叫んでいた。撃破の余韻でも感動でもなく、ただ「あたった」ということだけで、二人でわーわー叫んでいた。


 その頬に、光の粒がひとつ、ふわりと触れる。


 ――光の奥から、誰かの想いが、流れ込んできた。


 悲しみ。

 寂しさ。

 そして――。

 後悔。


 その記憶が、まるで自分自身のもののように、俺の心の中へ、静かに溶け込んできた。


 気づけば、ここではないどこか別の風景が目の前にあった。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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次回も楽しんでいただけるよう頑張ります!

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