こんなの、本当に倒せるの?
夜の住宅街を、二人で駆けた。俺のちっちゃい足は月菜に追いつくのが精一杯で、途中からは半分手を引かれる形になった。
問題の場所は、すぐにわかった。
街灯が二本、根元から折れて倒れていた。誰かの家の物置の屋根が、大きな爪でひっかかれたみたいに、ぐしゃりと変形している。近所の犬が、遠くで狂ったように吠えていた。
路地の奥、月明かりの落ちる小さな空き地に、そいつはいた。
そいつは、グリフォンだった。鷲のような大きな翼、獅子のような胴体、鋭い嘴。尻尾が二本に枝分かれしていて、その先が両方とも、蛇のようにうごめいている。
ただし、翼の付け根も左右非対称でどこか歪だった。
「ぐりふぉん……?」
「本物、なの……?」
月菜が声を潜めた。グリフォンは俺たちに気づいていない様子で、傍らのポリバケツを爪でひっくり返し、中身をぶちまけて、大暴れしている。人を探す素振りは見えない。ただ、物にだけ、ひたすら八つ当たりしているみたいに見えた。
「……かなしんでる、みたい」
言葉が勝手にこぼれた。ライラの言った、初恋のかけらの気配。俺の中で、それが確かに、あのグリフォンから漂ってくるのを感じていた。誰かの、行き場を失った気持ち。
そしてーー
グリフォンが、ふと、こちらを振り向いた。
目が、合ってしまう。
瞬間、獣の全身がぶわりと膨らんだ。二本の尻尾が鎌首をもたげて、翼が大きく広がる。金色の瞳孔が、まっすぐ俺たちに向いていた。
――襲ってくる。
先程までとは明らかに違う。グリフォンは低く唸って、身をかがめる。俺たちに向かって、跳躍する体勢だ。
「つきなおねえちゃん、にげ――」
振り返って、俺は絶句した。
月菜が、その場にへたり込んでいた。杖を握った手が震えている。
「あ、あし……こし、が……」
腰が抜けている。声も出ていない。
まずい。俺は月菜の前に立とうとして、足がもつれた。俺のこの小さな体で、あんなのを止められるわけがない。それでも、と手を伸ばしかけた、その瞬間。
月菜の握る杖の宝石が、勝手にぶわりと光った。
二人を包むように、淡い青色のドーム状の光の壁が、ふわりと展開する。
跳躍したグリフォンの爪が、そのドームに激突した。がぎん、と鈍い音が響いて、獣の巨体が弾き飛ばされる。低い唸り声を上げて、グリフォンはたたらを踏んで後退した。
「……シ、シールド?」
「勝手に、出た……」
月菜が、震える声で呟いた。俺は月菜の腕を掴んで、力いっぱい引っ張った。
「いまのうち! にげる!」
「え、あ、うん、うん!」
月菜は杖を胸に抱いて、俺の手をぎゅっと握り返した。腰の抜けかけた体を無理やり立たせて、二人で路地を駆け出す。
背中で、グリフォンの怒りに満ちた咆哮が響いた。
「あ、足があ、ふるえるぅ!」
「ふるえててもいいから、はしってー!」
月菜が半泣きで走る。
「みぎ! みぎ!」
「みぎー!」
適当に曲がる。行き止まり。
「ひだり! ひだり!」
「ひだりー!」
適当に曲がる。またしても、行き止まり。
「なんで住宅街ってこんな迷路なの!?」
「たてたひとに、もんくいおう!」
背後で、ばさばさ、と大きな翼の音が聞こえた。あいつ、追ってきている。近づいてくる。
「ルナちゃん、隠れよう! かくれんぼ!」
「すぐ、かくれんぼ、しよう!」
俺たちは目についた家の塀の陰に、身を投げ出すみたいに転がり込んだ。
ばさっ、ばさっ、と翼の音が近づいてくる。上、だ。空を、飛んでいる。
……見つかるな。見つかるな。
俺は必死で祈った。月菜も両手で口を押さえて、目をぎゅっと閉じている。ジャージの背中が、大げさなくらい上下に揺れていた。
ふ、と、翼の音が止まった。
俺と月菜は、二人で同時に、そーっと空を見上げた。
――目の前に、金色の瞳孔があった。
塀の上から、ぬっと、グリフォンが顔を覗かせていた。
「「――――!!」」
二人分の絶叫が、住宅街に響き渡った。
「ルナちゃん、走ってー!!」
「こわいいいいい!!」
俺たちはまた駆け出した。もう作戦もなにもない。とにかく、まっすぐ! なんとなくまっすぐ!
もう一度、グリフォンが背後で咆哮する。翼を広げて突っ込んでくる。
「ルナちゃん、そこ、そこの路地!」
「ろじろじろじ!」
細い路地に飛び込む。大きな翼のグリフォンは、そこには入ってこられない。
「た、助かった……!」
「あぶなかった……!」
息を切らせながら、狭い路地の途中でしゃがみ込んだ。心臓が、耳の奥で信じられない速さで鳴っている。
しばらくして、ばさばさ、という翼の音が、少しずつ遠ざかっていった。俺たちを見失ったらしい。あるいは、また後で来ようと思ったのかもしれない。
「……いった、みたい」
「よ、よかった……」
月菜がへなへなと壁にもたれる。
「……ルナちゃん」
「ん?」
「……い、いまのうちに、逃げなおそ」
「うん。にげなおそ」
二人でしばらく走って、街灯の下、小さな公園の入り口までたどり着いたところで、月菜が息を切らせて立ち止まった。俺も、この小さな体では、これ以上走れそうになかった。
ライラさん。あいつ、本当に倒せるの?




