初着替えと、恋の力で放つ光
「行かなきゃ、だめかも」
「うん、いく! ……あっ、でもわたし、パジャマだ!」
月菜は自分の格好を見下ろして、ぱっと顔を赤くした。慌てて部屋の中に飛び込む。
「ちょっと待ってて、着替えるから! ルナちゃん、こっちきて中入って!」
俺は宙を漂ったまま、あたふたしながら靴を脱いだ。そろりとベランダを越えて部屋の中に降り立つ。カーテンが夜風でふわりと膨らんで、そして閉まった。
月菜がクローゼットの扉に手をかけたところで、俺は反射的に両手で目を覆った。ぎゅっ、と隙間もないくらい強く。
「……あれ? ルナちゃん、どうしたの?」
「な、なんでもない。きがえおわるまで、こうしてる」
「え、ええ? 別に、女の子同士なのに」
女の子同士じゃないんだよ!と喉まで出かかった言葉を必死で飲み込む。中身は健全な男子高校生なのだ。さっきから部屋がいい匂いをしているし、一秒だって目を開けるわけにはいかない。
「きにしないでっ。ルナ、そういうきまりだから」
「決まり?」
「うん。まほうつかいの、きまり」
我ながら苦しい嘘だった。目を覆った指の隙間から、何も見えないはずなのに、月菜の気配だけがやたらとくっきり伝わってくる。衣擦れの音、引き出しを開ける音、パジャマがすべり落ちる小さな音。俺はさらに強く目を閉じた。すぐ近くで月菜は着替えをしているんだ。ついに俺は素数を数え始めた。
「ふふ、ルナちゃん、真面目さんだねえ」
背中の方から、くすくす笑う声が聞こえてくる。学校で見る大人しい月菜からは想像もつかない、明るくて弾んだ声。着替えは置いといて、素の月菜って、こんな感じなのか。俺は目を覆ったまま、少しだけ意外に思っていた。
「……よし、着替えた! もういいよ!」
声に釣られて、俺はおそるおそる指を開いた。振り返った先で、月菜は両手を広げて笑っていた。
――ジャージだった。
中学の名前が入った、ちょっと色褪せた紺色の上下。さっきまで杖を持って漂わせていた神秘的な空気は完全に霧散していた。
「動きやすいの、これしかなかったの!」
「……うん。にあってる」
似合ってる、というより、これから戦うっていう感じは、全然しなかった。でも月菜は嬉しそうに杖を持ち直したので、俺は何も言わないことにした。
「あのね、つきなおねえちゃん」
「うん」
「なんか、まほう、つかえそうなかんじする?」
俺の質問に、月菜は不思議そうな顔をして、それから杖を胸の前に構え、目を閉じた。しばらく黙って、頭の中で何かを探すみたいに首を傾げる。
「なんとなく……シールド? と、レイ? っていうのが、使える気がする」
「ためしてみて」
「え、ここで?」
「そっち。まどのそとにむけて」
月菜はこくりと頷いて、開けたままのカーテンの向こう、夜空に向かって杖を掲げた。少し腰が引けている。
「えっと……レイ?」
半信半疑の呟き。だが、杖の先端の青い宝石は、ちら、と小さく瞬いただけで、そのまま静かに沈んだ。何も出ない。
「あれ……?」
月菜が困ったような顔で杖を見つめる。もう一度、今度は少し力を込めて、杖をぐっと突き出した。
「レイ!」
やっぱり、うんともすんとも言わない。
「……出ない」
「なんでだろ……」
月菜がしゅん、と肩を落とす。杖のせいだろうか、それとも自分に才能がないんじゃないだろうか、みたいな顔だ。
俺は少し考えて、それから、ライラの言葉を思い出した。魔法の源は、恋。
「あ、あのね、つきなおねえちゃん」
「うん?」
「まほうのね、みなもとって、こい、なんだって。ライ……えっと、きいたはなしだけど」
「恋……?」
「うん。だから……その、す、すきなひと、とか、そういうのを、おもいうかべてみて」
言いながら、俺は変に照れてしまった。この小さな体でこんな台詞を言うと、自分の中身とのギャップが激しくて、耳の先まで熱くなる。
月菜のほうも、ぼんっと顔が赤くなった。
「え、ええっ、す、好きな人?」
「うん」
「な、なんで……」
「おもいうかべると、でるはずだから」
「そんな、いきなり……」
月菜は杖の柄をぎゅっと握りしめて、視線を泳がせた。頬がだんだん赤くなっていく。それでも、彼女は覚悟を決めたみたいに、ぎゅっと目を閉じた。
しばらく、静かな時間が流れた。月菜がまぶたを閉じたまま、じっと動かない。何を思い浮かべているのか、俺にはわからない。ただ、少しずつ頬が桃色に染まっていくのを見ていると、俺のほうがいたたまれなくなって、視線をそっと窓の外にずらした。
「……レイ」
小さな、囁くような声だった。
杖の先端が、ぽう、と柔らかく発光した。次の瞬間、細い光の筋が夜空に向かって伸びていく。それは、さっき期待していたよりもずっと繊細で、優しい光だった。青と銀の中に、ほのかに桃色のような、金色のような、温かい色味が混ざっている。放たれたあとも、光の余韻が空気の中にほんのりと残って、頬のあたりにふわりと温かい風が触れた気がした。
「わぁ……!」
二人で同時に声を漏らした。しゅるるる、と夜空を切り裂いたその光は、遠くの雲のあたりでふわりと霧散して、消える瞬間まで、暖かな粒を撒いていた。
「あったかい……」
月菜が、自分の頬に手を当てて呟いた。目には少し、涙が滲んでいる。
「おねえちゃん、すごいっ!」
「わたしのー! 出たー!」
月菜が両手で杖を握りしめて、飛び跳ねている。ジャージ姿でぴょんぴょん跳ねる魔法少女という、なかなか見ない絵面だった。それでも、なんだか俺までつられて頬が緩んでしまう。
「行こう、ルナちゃん!」
「わわ、おねえちゃんっ」
月菜は俺の手を取ると、そのままベランダから飛び出そうとして、慌てて玄関に方向転換した。
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