あと三十秒あれば
ハロウィンの日になった。
ミロとマロとの待ち合わせは夕方だ。
昼間は暇なので、月菜とお菓子作りをすることになった。
「お友達に配るんでしょ? なら手作りだよ!」
キッチンに立った月菜が、エプロンの紐を結び直す。
俺はというと、踏み台の上だ。
これがないと調理台に手が届かない。
「じゃあ、バターを混ぜていこうね」
「はーい!」
ボウルの中の黄色い塊を、木べらで押しつぶしていく。
最初は固い。
全然動かない。
「うぐぐ」
「もうちょっと力を入れて」
「ううう〜。はいってるのに〜!」
「ふふっ。がんばれ、ルナちゃん」
ぐいぐい押していると、あるところから急に軽くなった。
「あ、やわらかくなった!」
「うん。じゃあ次はお砂糖ね」
砂糖を入れると、今度はざらざらした手応えに変わる。結構楽しい。
次は卵だ。
「ルナ、ひとりでできる!」
「ほんとに?」
「まかせてー!」
月菜の真似をして、片手で割ってみる。
ぱかっ。
殻が入った。
「あー!」
「いいのいいの。取ればいいから」
月菜が笑いながら、スプーンで器用に取り出してくれる。
「むぅ……」
「お菓子作るの、初めてなんだから十分上手だよ」
粉をふるうと、白い雪みたいにさらさらと落ちていった。
ボウルの中でまとまってきた生地を、今度はめん棒で伸ばしていく。
これがまた、楽しい。
ぐいぐい伸びる。
「型抜き、やる?」
「やるー!」
星、月、コウモリ、猫。
ぽん、ぽん、と抜いていく。
抜いた後の生地を集めて、また伸ばして、また抜く。
これ、無限にできるんじゃないだろうか。
「ルナちゃん、上手だね」
「ありがとう!」
月菜が笑った。
型抜きした生地を並べて、オーブンに入れる。
しばらくすると、キッチンに甘い匂いが漂ってきた。
焼き上がりを覗き込む。
少しふくらんで、ふちがきつね色になっている。
「うん! そろそろ出来たみたい!」
※
「んー! おいしい!」
月菜が焼き上がったクッキーを口に入れて、両手で頬を押さえた。
目を閉じて、ゆっくり味わっている。
……かわいい。
そういえば。
ふと、ライラから聞いた話を思い出した。
月菜は最近、魔法学校で人気が出てきているらしい。
高等部に可愛い転校生が来た、と。
大丈夫だとは思う。
月菜のことは信じている。
信じているけど。
俺だって男だ。
――こういう話を聞けば、ちょっとくらい気になる。
腹の底が、じわっと熱くなった。
……ん?
違う。
これ、嫉妬じゃない。
魔力だ。
胸の奥に、小さな春が大きくなっていく。
あたたかいものが胸から肩へ、腕へ、そして指先まで広がっていく。
樹に戻る予兆。
だが、いつもより強い。
ふっと、視界が高くなる。
声を出す。
「……勝手に、戻った?」
樹の声だ。
「あれ?」
月菜が顔を上げた。
さっきまで同じくらいだった目線が、今は下にある。
俺を見上げる月菜と目が合った。
「樹くん!」
ぱっと顔が明るくなる。
「どうしたの? 自分で戻ったの?」
「いや……違うと思うけど」
戻ろうとはしていなかった。
ただ、月菜がモテると聞いて。
ちょっとだけ気になって。
それだけだったはずなのに。
「まあ、いいや」
「いいんだ」
「それよりさ」
「うん?」
「月菜、モテるって聞いたんだけど」
「えっ」
月菜の肩がぴくっと動いた。
「そんなことないよお」
「ライラが言ってた」
「ライラちゃん!」
月菜が慌てて両手を振る。
「ほんとに違うの! ちょっと声かけられたくらいで」
「声、かけられたんだ」
「あ」
月菜が口を押さえた。
「……い、樹くん。もしかして」
「なに」
「妬いてる?」
「……」
「妬いてるよね?」
「違うよ」
「ふーん?」
月菜がにこにこし始めた。
まずい。
月菜、楽しくなってきているな。
「じゃあ私も言っていい?」
「なにを?」
月菜の唇が、わずかに尖る。
「マロくんと手、繋いでたよね」
「……え?」
「昨日。グラウンドの授業でさ」
「なんで知ってるの」
「教室の窓から見てました」
見られてたのか。
「あれは暗かったから。はぐれても危なかったし」
「ふーん」
「ほんとだって」
「マロくんの手、引いて走ってた。楽しそうだったもん」
「そこまで見てたの?」
「見てました」
月菜がぷいっと横を向いた。
あれ。
もしかして。
「……月菜、妬いてる?」
「妬いてないもん」
口調まで少し子供っぽくなっている。
これは完全に拗ねてる。
「相手、小学生だよ?」
「小学生でも男の子です」
「いや、でも――」
「じゃあ」
月菜がちらっと俺を見る。
「私も、男子と手、繋いじゃおっかなあ」
「え?」
思わず声が出た。
「学校で声かけてくれる男の子、いるし」
「…………」
「手くらいなら、いいよね?」
「よくないよ」
考えるより先に、声が出ていた。
月菜が目を丸くする。
「どうして?」
「……月菜が他のやつと手繋ぐの、嫌だから」
「…………」
月菜が黙った。
さっきまで尖っていた口元が、少しずつ緩んでいく。
「ふーん?」
「なに」
「やっぱり妬いてる」
「……月菜」
「ふふっ」
今度は完全に笑っている。
くそ。
やられた。
「そんなことしないよ」
「え?」
「他の男の子と手、繋いだりしない」
月菜が俺を見上げる。
「樹くん、だけだもん」
「…………」
そんなこと言われたら、何も返せないじゃないか。
でも。
月菜は笑っていたけれど、どこかいつもと違って見えた。
しばらく待っていると、月菜が小さく息を吐いた。
「……覚悟してたけど、寂しいの」
「え?」
「最近、樹くんに全然会えないんだもん」
月菜が俯く。
「ルナちゃんと一緒にいるの、楽しいよ。お菓子作ったり、ご飯食べたり、一緒に寝たり」
「うん」
「ルナちゃんも大好き」
そこで一度、言葉が止まった。
「でも……樹くんに、もっと、会いたいよ」
胸の奥が、少し痛くなった。
俺にとっては、どっちも俺だ。
ルナでいる間だって、ずっと月菜と一緒にいる。
だけど、月菜にとっては違うんだ。
隣にいるのに。
彼氏には、なかなか会えない。
一日に五分だけなんだ。
「ごめん」
「謝らないで」
月菜が顔を上げる。
「樹くんのせいじゃないもん」
「でも」
「だから、さっきのも甘えちゃった」
「さっきの?」
「男の子と手を繋ぐってやつ」
「ああ」
「ちょっと、妬いてほしかっただけ」
「十分妬いたよ」
「ほんとに?」
「うん。ほんとだよ」
「そっか」
月菜が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もうちょっと妬かせればよかったかな?」
「やめて……」
「ふふっ」
やっぱり、ちょっと意地悪だ。
でも、いつもの月菜に戻っていた。
月菜がクッキーを一枚つまむ。
星の形のやつだ。
「はい」
「……なに?」
「食べさせてあげます」
「自分で食べられるよ」
「だめです」
「なんで」
「樹くんに、あーんさせたいの」
「…………」
俺は観念して口を開けた。
さくっ。
クッキーが口の中に入ってくる。
うまい。
――うまいのだが。
月菜がこっちを見ている。
クッキーを差し出した手を引っ込めることもなく、じっと俺を見ている。
俺も見返す。
「……」
「……」
目が合ったまま、しばらく動けなくなった。
月菜の頬が、だんだん赤くなっていく。
近い。
さっきまでルナだった時とは違う。
今なら、手が届く。
月菜も動かない。
俺はゆっくり手を伸ばした。
――その時だった。
体の奥が、急に熱くなる。
「あ」
嫌な予感がした。
次の瞬間。
視界が、すとんと下がった。
伸ばしかけていた手も、小さくなっていた。
「……もどっちゃった」
「あー!」
月菜が天を仰いだ。
「もう! いつもこうなっちゃう……」
「えっと……」
なんでそんなに悔しそうなんだろう。
俺は壁の時計を見上げた。
「あ」
そういえば、そろそろだ。
「もう、じかんかも」
「あ、そうだね! 待ち合わせだっけ?」
月菜も時計を見て、慌ててクッキーを袋に詰め始める。
星に、月に、コウモリ。
何枚かずつ入れてくれる。
その間も、月菜は何かぶつぶつ言っていた。
「……あと三十秒あればなあ」
「なにが?」
「あ、な、なんでもない!」
「?」
「はい! できた!」
袋を渡される。
綺麗にリボンまで結んであった。
「ありがと!」
「ミロくんとマロくんにもよろしくね」
「うん!」
袋を大事に抱えて、玄関へ向かう。
「いってらっしゃい、ルナちゃん」
「いってきます!」
玄関を出る時、振り返った。
月菜がもう一度、俺に手を振っている。
その顔は――まだちょっと赤かった。




