樹に戻れた?
クロエとの特訓を終え、家に帰る。
今夜はカルボナーラだった。
フォークを刺して持ち上げると、麺がとろりと持ち上がって、間から湯気が上がる。
クリームが絡んだ黄色の中に、こんがりしたベーコンが埋まっていた。
一口。
濃厚な味。あとから黒胡椒がぴりっと来る。
こってりしてるのに、それがあるから次の一口が欲しくなる。
「ルナ、これまいにちでもいい」
「毎日じゃ飽きちゃうよぉ」
言いながら、月菜は嬉しそうだった。
俺の皿にベーコンを一枚追加してくれる。
「それで、クロエと特訓したのね」
お母さんがワイングラスを傾けながら言った。
「うん! コントロール、できるようになったよ」
「そう」
お母さんが微笑む。
「じゃあ、ご飯を食べたら、封印を一つ解きましょうか」
「いいんですか?」
月菜のフォークが止まった。
「ええ。ルナちゃんの魔力が落ち着いているのがわかるし、問題ないわ」
そうなのだ。
クロエとの特訓のあと、俺は魔力を感じられるようになった。
自分の中に、小さな春を感じる。
「ルナ、がんばります!」
フンッ、とやる気ポーズを見せる。
「カルボナーラいらないの? もらっていい?」
ライラのフォークが俺の皿に伸びていた。
「食べるもん!」
俺は皿を抱え込んだ。
※
「じゃあ、外すわ」
お母さんが俺の後ろに立った。
肩に、両手が置かれる。
「怖くなったら言いなさい。すぐ止めるから」
「うん」
魔力が流れ込んでくる。
春が駆け巡る。
今までで一番強い。肩から入って、あっという間に全身へ。
――大丈夫。
俺は目を閉じた。
力を抜く。
押さえようとしない。ただ、一緒にいる。
何度も体を駆け回り、ゆっくりと落ち着いていく。
やがて、それは俺に馴染んだ。
――そして。
記憶が流れてきた。
ルナになった夜のこと。月菜が魔法を使えるようになった理由。グリフォンを倒した時のこと。
そして、「はつこいのかけら」のこと。
「はい、終わり」
肩から手が離れた。
目を開ける。
お母さんの手のひらの上で、青い光が小さく瞬いていた。
拳ほどの大きさもない、頼りない光だ。
こんなものが、俺の中に入っていたのか。
「ルナちゃん、どう?」
月菜が恐る恐る聞いてくる。
テーブルに手をついて、身を乗り出していた。
俺は自分の胸に手を当てた。
思い出した。
全部じゃない。でも、確かに思い出した。
「……うん。だいじょうぶだよ」
「そう。よかった」
お母さんが青い光を透明な瓶に入れる。
それから、何かを思いついたように俺を見た。
「そうだ、樹さん」
「なあに?」
「元に戻りたいと、強く思ってみなさい」
「え」
「今なら、できるかもしれないわ」
言われた通りに考える。
戻りたい。
樹に戻りたい。
――月菜と、樹として話したい。
その瞬間、俺の体が光り始めた。
「わっ」
視界が、下から上へ、ぐんと押し上げられる。
床が遠くなって、テーブルが低くなっていく。
手が大きくなる。
足が伸びる。
体を包んでいた服まで、光の中で形を変えていった。
やがて、光が消える。
「あれ……?」
口から出た声に、自分で驚いた。
高くて幼いルナの声じゃない。
ずっと聞き慣れていた、俺の声だ。
「俺……戻れた?」
両手を見る。
大きい。
指が長い。
握って、開く。
もう一度、握る。
間違いない。
これは俺の手だ。
服も、この世界に来る前に着ていたものに戻っている。
胸に手を当てる。
肩に触れる。
自分の頬をつまんでみる。
「いてっ」
本当に俺だ。
なんだろう。
たった数日だったはずなのに、ものすごく久しぶりな気がする。
「樹くん!」
月菜が椅子を倒す勢いで立ち上がった。
そのまま俺の正面まで駆けてくる。
「あ……」
思わず声が漏れた。
月菜が、小さい。
いや、違う。
俺が大きくなったんだ。
さっきまで見上げていた月菜が、今は俺を見上げている。
その当たり前のことが、妙に懐かしかった。
月菜の目が潤んでいる。
「久しぶり……で、いいのかな?」
言った瞬間、自分でおかしくなった。
ルナとして、ずっと同じ家にいた。
毎日顔を合わせて、一緒にご飯を食べて、話だってしていた。
なのに。
「うん!」
月菜が大きく頷く。
「会いたかった」
胸の奥が、きゅっとなった。
「……俺も」
どちらからともなく、手を取り合う。
ルナのときには何度も握ってもらった手。
だけど今は、俺の手の中に月菜の手がある。
それだけで、全然違った。
「……手、あったかい」
「月菜のほうが、あったかいよ」
「そうかも。嬉しくて」
「俺もだよ」
見つめ合う。
近い。
さっきまでなら何とも思わなかった距離なのに、今は月菜の顔をまともに見ていられない。
月菜の頬が、少しずつ赤くなっていく。
たぶん、俺も同じだ。
「月菜」
「うん」
「思い出したんだ」
「え?」
「まだちょっとだけどさ」
俺は言葉を選んだ。
「月菜が魔法を使えるようになったの、俺のせいだったんだな」
あの夜、巻き込んだのは俺だったんだ。
月菜の目が丸くなって、それから、ふっとゆるんだ。
「いいの」
「でも」
「私がルナちゃんを助けたいと思ったんだもん」
そうやって笑う。
ああ。
俺はやっぱり、月菜が好きだ。
「あ、あの」
月菜が急に目を泳がせた。
「着替えとかって……」
「え? 着替え?」
「ジャージとか。何か、思い出してたりする……?」
「いや、それは思い出してないけど。え、着替え?」
「いいの! 忘れて!」
じわり。
また体が熱くなった。
繋いでいた手が、するりと抜ける。
「わ」
視界が下がった。
そしてわかった。ルナに戻ってしまったようだ。
※
「わわわ」
立っていられない。クラクラする。
「五分ってとこね」
お母さんが腕時計を見ていた。
「ルナちゃん、横になりましょう」
「うん。そうするぅ」
返事をした時にはもう、月菜に持ち上げられていた。
軽々と運ばれてソファに寝かされる。
さっきまで見下ろしていたのに。
「お母さん。ルナ、大丈夫なの?」
「ええ。魔力切れね。ゆっくり休めば大丈夫よ」
月菜が俺の髪を撫でてくれている。
指が気持ちいい。
だんだん眠くなってきた。
「もうねるぅ」
「ルナ、お風呂入った?」
ライラの声がする。
「きょうは、はいらなくていいの」
「ダメだよルナちゃん! 私が洗ってあげる!」
「月菜。ルナは樹」
「ううう」
月菜は諦められないらしい。
「あ、そうだ! 私が水着で入れば問題ない!?」
「樹の裸、見るの?」
「る、ルナちゃんならセーフなんじゃ」
「ルナでもだめ。ルナ、明日シャワー浴びれる?」
「はあい」
お母さんが笑いながら見ている。
ワイングラスを置いて、ふと思い出したように言った。
「そういえばライラ、好きな人できたの?」
「……別に」
「昨日は逃したけど、今日はそうはいかないわよ。ねー、月菜ちゃん」
「あ、私は何も知らないです、よ?」
「ふふふ。さ、どっちから攻めようかしらね」
「私、部屋に戻る」
「逃がさないわよ」
騒がしい声を聞きながら、俺は眠りに落ちていった。
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