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やだ <ライラと潤>

「ライラちゃん、最近元気ない?」


 昼休み、月菜がそう言った。


「別に、変わらないと思う」

「ううん。絶対元気ない」

「そう、なのかもしれない」

「どうしたの?」


 わたしは黙った。

 自分でもわからないことを月菜に言っても、困らせるだけだと思う。

 でも、わたしは思っていたより追い詰められていたらしい。

 気づいたら口が動いていた。


「潤を、買い食いに誘えないの」

「買い食い?」

「うん。この前、クレープを買ってもらった」

「うんうん」

「わたし、お金が足りなくて。潤が払ってくれた」

「へえ! 優しいね」

「理由を聞いたら」

「うん」


 わたしは、あの日の潤を思い出しながら言った。


「食べてる顔が、好きだって」


「ふぐっ」


 月菜が慌てて両手で口を押さえた。


「月菜?」

「え、潤くんとライラさん、あ、そう、なんだ?」

「続けて」


 月菜が顔を赤くして促す。


「そのあと、顔が見られなくなって」

「う、うん」

「クレープで隠したの」

「……っ、ぐ」


「月菜、苦しそう」

「苦しい! いま、すごく苦しい!」


 月菜は机に伏せてしまった。


 ……やっぱり、困らせた。


「ごめんなさい」

「違うの! 嫌なんじゃなくて、むしろ逆なの!」

「逆?」

「栄養補給……じゃなくて!」


 月菜が勢いよく顔を上げる。


「それで、潤くんとはどうなったの?」

「どうもなってない」

「えっ」

「それで終わり」

「終わっちゃったの?」

「うん」


 月菜は残念そうに肩を落とした。

 どうして月菜が落ち込むのだろう。


「それでね、話せなくなったの」

「話せなく?」

「うん。顔を見ると声が出ない。だから一人で買い食いしてる」

「……おいしい?」

「おいしいけど……おいしくない」


「んぐっ」


「また苦しくなった?」

「ちょっとだけ」


 月菜が机から顔を上げた。

 意を決したような顔でわたしを見た。


「あの、ライラちゃん」

「うん」

「わたしが言えること、あんまりないと思うんだけど」

「うん」


 月菜は胸の前で両手を握った。


「潤くんと、お話しするべきだと思う」

「そう」

「うん。絶対そう」

「でも、話せない」

「最初から上手に話さなくてもいいと思うよ」

「そうなの?」

「うん。わたしも、樹くんの前では失敗ばっかりだったから」


 そう言って、月菜は恥ずかしそうに笑った。


「それでも、話さないより話したほうが、絶対にいいと思うよ。 ライラちゃん。私、応援する!」


   *


 放課後、わたしはメッセージで潤を呼び出した。


 ――話がある。


 送信したあと、すぐに後悔した。

 取り消そうと思ったら返事が来た。


 ――わかった。どこに行けばいい?


   *


 待ち合わせたのは、学校の近くにある公園だった。

 テーブルと一体になったベンチで、家族連れがお弁当を食べているのをよく見る。

 わたしが座って待っていると、潤が来た。


「悪い、待たせた」

「ううん。大丈夫」


 潤は少し黙って、それからわたしの隣に腰を下ろした。


 ……何を話せばいいのだろう。


「ライラさん」

「……ん」

「話って」

「ある」

「うん」

「……」


 言葉が、まったく出てこない。

 心臓がうるさい。

 わたしはテーブルを見ていた。


 風が吹いて、髪を揺らす。

 どこかで子どもの声がする。


「……ライラさん」


 潤がわたしの名前を呼んだときだった。


「あれ、潤くんだ」


 声がして、わたしは顔を上げた。

 すぐ向かいに、女子が二人立っていた。

 同じ学校の制服。

 おしゃれで、明るそうな子たちだった。


「やっぱりそうだ! こんなところで何してるの?」

「え、ああ。ちょっと」


 二人は、目を輝かせて潤を見ていた。

 わたしなんか、まるでいないみたいに。


「あ、そうだ! ねえねえ、潤くん。連絡先教えてよ」

「今度、みんなで遊ぼうって話しててさ」

「潤くんが来てくれたら、絶対盛り上がるし」


 潤が口を開きかけた。


「あ、いや、俺は」

「日にちはまだ決まってないから、潤くんに合わせるよ」

「それなら来られるでしょ?」


 わかっていた。

 潤は一年生の男子の中で人気があること。

 見た目よりも性格がいいから、どの女の子にも優しくすること。

 それがさらに潤の人気に拍車をかけていること。


 でも。

 いやだ。

 この子たちが潤と連絡先を交換するのも。

 次に会う約束をするのも。

 潤が、この子たちと並んで歩くのも。


 胸が苦しくて、うまく呼吸できない。


「ねえ、いいでしょ?」


 女子の一人が、潤の返事を待ちながら身を乗り出した。

 潤が口を開く。


「俺は――」


 そのとき。

 わたしの手が勝手に動いた。

 テーブルの下。二人のベンチで。

 向かいの女子たちには見えない場所で、わたしは潤の手を探した。


 指先が触れる。


 一瞬だけ迷ってから、指を絡めた。


 潤の肩が、大きく跳ねた。


「――っ」

「潤くん?」

「え、どうしたの?」


 わたしは必死に何もしていないような顔で、テーブルを見つめた。

 けれど、顔が熱い。

 頬だけではない。耳まで熱くなっている。


 自分が何をしているのか、遅れて理解する。

 それでも、絡めた指は離さなかった。


 潤を、この子たちのところへ行かせたくない。

 胸の奥に広がる嫌な気持ちを押し込めるように、ほんの少しだけ握る力を強くした。


「いや。なんでもない」


 潤の声は上擦っていた。


「潤くん、顔赤くない?」

「ほんとだ。どうしたの?」


 潤はうつむいたまま、耳まで真っ赤にしていた。

 たぶん、わたしも同じくらい赤い。


 顔を上げたら、女子たちにも気づかれてしまう。


 テーブルの下で、潤の指がわずかに動く。

 離されると思って、反射的に強く握った。


「……っ」


 潤が息を呑む。

 けれど、その手は離れなかった。


「潤くん、本当に大丈夫?」

「……大丈夫」


 潤は一度だけ、繋がった手元へ視線を落とした。


「ごめん。今はライラさんと話してるから」

「あ、そっか。邪魔しちゃってごめんね」

「じゃあ、また学校で!」


 二人は手を振って、公園を出ていった。


 足音が遠ざかる。

 姿が見えなくなった途端、胸の奥が軽くなるのを感じる。

 それでも、わたしは手を離さなかった。

 潤も何も言わなかった。


 どのくらい、そうしていただろう。

 空が赤くなり始めていた。


「……そろそろ帰るか」

「うん」


 潤が立ち上がるために、空いている手で鞄を持った。

 それから、繋いでいた手を離そうとした。


 指が、ゆっくりとほどけていく。


 それが嫌で、わたしは反射的に潤の手を強く握った。


「……やだ」


 潤の動きが止まった。


「え?」


 顔がもっと熱くなる。

 それでも、指に込めた力は抜けなかった。


「離すの……やだ」


 自分でも驚くくらい、小さな声。


 恥ずかしくて、潤の顔を見られない。

 潤も何も言わなかった。

 ただ、離れかけていた指が、もう一度わたしの指の間に戻ってきた。

 今度は、潤のほうから握り返してくれた。


 潤はしばらく黙っていた。

 それから、空いているほうの手で鞄を持ち直した。


「……わかった」

「うん」


 わたしたちは手を繋いだまま、ゆっくり立ち上がった。


   *


 公園を出ても、手は繋がったままだった。


「潤」

「ん」

「明日も」

「明日も?」


「……いっしょに、帰りたい」


 潤は、すぐには返事をしなかった。

 代わりに、繋いだ手を少しだけ握り返した。


「……ああ」


 短い返事だった。


「ライラさん」

「なに」

「明日、コロッケ食べないか」

「……行く」

「今度は、俺も食べたい」


 顔は、最後まで上げられなかった。

 わからないことばかりだ。

 どうして潤の顔が見られないのか。

 どうして一人の買い食いはおいしくないのか。


 でも、はっきりしたことがある。


 この手を、ほかの誰にも渡したくないこと。

 わたしは、潤と一緒にご飯が食べたいこと。


 夕方の道を、わたしたちは並んで歩いた。

 繋いだ手は、最後まで離れなかった。

読んでくださりありがとうございます!

後日譚はここまで……かな?

たくさんの方に読んでいただき、第2部を書こうという気持ちができました。

構想は終えたので、近々書いていこうと思います。

月菜と樹たちの物語をこれからもどうぞよろしくお願い致します。

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