初詣に行く二人
最終話からの後日談です。
月菜と樹、結ばれてからのお話。
不定期に掲載していこうか、ちょっと迷い中です。
読んでいただけたら嬉しいです!
大晦日の夜、十一時ちょっと前。
俺は月菜の家の前に立ってインターホンを押した。
二回目のチャイムが鳴り終わる前に、玄関の明かりが灯った。ばたばたと廊下を駆けてくる音がして、ドアが勢いよく開く。
「お待たせっ、遅くなってごめんね!」
白いコートに赤いマフラー。マフラーは巻き終わってなくて、片方の端が肩から垂れたままだった。
「こんばんは。俺こそ早くてごめん」
「ううん! いいのいいの。えへへ」
月菜は照れ笑いをしながらマフラーを巻き直した。玄関の奥から「気をつけてね」とお母さんらしき声が飛んでくる。「はーい」と返事をして、月菜はドアを閉めた。
「行こっ!」
*
月城神社への道は、いつもより人が多かった。
石段の下まで来ると、上のほうから話し声と屋台の呼び込みが降ってきた。
「わ、けっこう並んでる」
「まあ、この時間だし」
「石段、滑らないようにね」
言った直後に月菜がつるっと足を滑らせた。
「わっ」
「ほら」
「いま言われたばっかりなのに!」
俺は思わず腕を掴んで支えた。「ごめんごめん」と、月菜は顔を赤くして笑っていた。
空からちらちらと雪が舞い降りてきた。
積もるほどじゃない。街灯の光の中を横切って地面に届く前に消えていく、そんな雪だった。
「雪だ!」
月菜が両手を空に向けて広げた。手のひらに乗った雪がすぐに消える。
「消えちゃった」
「そりゃ、あったかいから」
「わたしの手があったかいってこと?」
「……そういうことになるかな」
「えへへ、あったかいってさ」
自分の手に向かって話しかけている。
なんでそこで嬉しそうなんだと思ったけれど、口には出さなかった。
境内の隅に、甘酒を配っている屋台があった。
白い湯気が寒さの中でもうもうと立ちのぼっている。俺たちは列に並んで紙コップをふたつ受け取った。手のひらがじんわり熱くなる。
「あちちっ」
「気をつけて」
月菜は紙コップを両手で包んで、鼻を近づけて、ふうっと息を吐いた。それからそっとひとくち飲んだ。
「甘酒、おいしいねえ」
「うん。そうだね」
喉から体の芯へ熱が落ちていく。指先までじわじわ熱が戻ってくる感じがした。
「月菜は甘いの好きなの?」
「うん! 大好き。でもしょっぱいのも好きだよ」
「ポテトチップスとか?」
「うん! あとね、おせんべい。あとフライドポテト。あと、あと」
指を折りながら数えている。三本目あたりから指と品目が合わなくなっていた。
「結局、食べられるものなら好きなんじゃない?」
「そうかも!」
あっさり認めた。楽しそうに笑うその横顔を、俺は少しのあいだ見ていた。
あのクリスマスの日から、俺と月菜は付き合うことになった。
急に好きになったとしか言えない感覚だった。
あの夜、コンビニに向かう途中の公園の脇で見た金色の光。あれがなんだったのか、いまだによくわからない。手を伸ばして触れた瞬間、体が勝手に走り出した。あの感覚を俺は今も説明できない。
考えても仕方ないと思うことにしている。
月菜を好きだというこの気持ちは本物だ。
でも、付き合い始めてからの俺はやっぱり不安だった。
月菜だって驚いたはずだ。それまでろくに話したこともなかったクラスメイトが、大晦日の何日か前の夜中、急に家まで走ってきてベランダの下から名前を叫んで告白してきたんだ。
あのとき月菜は泣きながら「うん」と言ってくれたけれど。
もしかしたら勢いに押されて頷かせてしまったのかもしれない。断る隙を与えなかっただけかもしれない。
ぎゅ。
月菜が手をつないできた。
いつのまにか月菜が甘酒のコップを片手に持ち替えていた。
指と指を絡めながら握る。
「へへへ」
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、月菜がこちらを見上げてくる。
手のひらがじんわりあたたかかった。甘酒の熱が移ったのか、それとも元からあったかいのか、わからなかった。
……月菜も、俺のことをちゃんと好きでいてくれるのかもしれない。
そう思ったら、なんだかうまく声が出せなかった。
境内のざわめきが少しずつ大きくなってきた。
「あ、そろそろ十二時になるね」
「え!? もう!?」
「ほら、周りの人たちもスマホで確認してるよ」
月菜が背伸びしてあたりを見回した。あちこちで小さな光る画面が浮かんでいて、確かに時計を見ている人が多い。
「あーほんとだ」
納得したように頷いて、それからこっちに向き直った。
繋いだ手はそのままで、月菜はぺこりと頭を下げた。
「今年もお世話になりました」
「……こちらこそ、お世話になりました」
つられて頭を下げてしまった。
「付き合ってまだちょっとだけどね」
「いいの! 樹くんにはお世話になったの!」
むきになってくる。繋いだ手にもなぜか力が入っていた。
話すようになって数日なのに、お世話してない気がするんだけどな。
でも、月菜がそう言うならそういうことにしておこうと思った。
――どん。
遠くで腹に響く音がした。
新年を告げる花火だった。
境内の人たちがいっせいに夜空を見上げる。
夏の花火みたいに大きく彩られるわけじゃない。三発、四発、ぽつぽつと打ち上がるだけのささやかなものだった。それでもついつい見てしまうのだろう。誰かが「おー」と声を上げて、小さな子が親の腕の中で指をさしていた。
同じ頃、山の上から低い音が響いてきた。除夜の鐘だった。
ごうん、と長く尾を引いて、空気そのものが震える。
雪がその音の中をゆっくり降りていく。花火の光を一瞬だけ反射して、また闇に紛れる。
俺と月菜は繋いだまま空を見上げていた。
「「あけましておめでとうございます」」
声がきれいに揃った。
二人で顔を見合わせて、それから同時に噴き出した。
「揃っちゃったね」
「うん」
「なんか、いいね」
「うん」
そのまま拝殿の列に並んだ。
列はゆっくり進んで、俺たちの番が来た。
賽銭を投げて鈴を鳴らす。がらがら、と乾いた音が頭の上で鳴った。
二礼、二拍手。
俺は目を閉じて少し考えた。
……何を願おう。
特に思いつかなかった。困ったので、隣にいる子が元気でいますようにとだけ願った。
目を開けると、月菜はまだ手を合わせたままだった。
ずいぶん長い。眉を寄せて真剣な顔をしている。何かを一生懸命、頼み込んでいるみたいだった。
しばらくしてようやく目を開けた。
「長くない?」
「いっぱいお願いしたの」
「いっぱいって」
「一年分だから!」
「まとめ払いか」
「そう! まとめ払い!」
なんの話だと思いながら、俺たちは拝殿を離れた。
※
帰り道はあっという間だった。
月菜の家の近くまで来た。
雪はまだ降っている。
街灯の下で月菜が足を止めた。
名残惜しそうに手を離した。指がゆっくりほどけていく。最後に指先だけが少し引っかかって、それも離れた。
「樹くん。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
なんとなく二人でお辞儀をした。
自分でやっておいて、なんだこれと思った。
月菜が少し下を向いた。
白い息が足元のほうへ流れていく。
しばらく黙っていたが、そっと口を開いた。
「樹くんは、その」
言葉を探している。指がコートの裾をきゅっと握っていた。
「いなく、ならないよね?」
「え?」
俺は聞き返した。
「……」
月菜は答えなかった。うつむいたまま返事を待っている。
「急にどうしたの?」
質問の意味がよくわからなかった。
いなくなるって何がだ。転校の予定もないし引っ越しもしない。俺は明日も明後日も、たぶんこの街にいる。
でも。
月菜の指が震えていた。
きっとこれは寒さのせいじゃない。
だから俺は、なるべくはっきり言った。
「うん。ずっと一緒にいるよ」
月菜が顔を上げた。
目が少し潤んでいた。
「……うん!」
精一杯明るい声を出そうとしたのがわかった。
元気づけてやりたい。
そう思った瞬間、頭に浮かんだ。
自分でもなんでかわからない。手を繋ぐでも抱きしめるでもなく、それが浮かんだ。
なんでか、それしか思い浮かばなかった。
俺は正面から月菜の肩を掴んだ。
「え、え? 樹くん?」
驚いて目がまん丸になっている。
俺の顔が近づくと、月菜は一瞬だけ息を止めて、それから意を決したようにぎゅっと目を閉じた。
おでこに口づけた。
やわらかくて少し冷たくて、頭が真っ白になる。
離れると、月菜は目を閉じたままだった。
それからゆっくり目を開けて、
「あ」
と小さく声を漏らした。
自分のおでこにそっと手をやった。
その顔を見て、俺は急に我に返った。
「ごめん!急に!」
慌てて肩から手を離した。
「なんか、月菜を元気づけたくて。そうしたら、おでこが思い浮かんできて」
言いながら自分でも意味がわからなかった。なんでおでこなんだ。もっとちゃんとした方法があっただろう。
「咄嗟に。……ごめん」
月菜は動かなかった。
おでこに手を当てたまま、じっと俺を見ている。
その目にみるみる涙がたまっていった。
「あ、やっぱり嫌だったよな。引いたよな」
俺は焦った。
「ごめん、ほんとに、なんかもう、俺」
「ううん」
月菜が首を横に振った。
「嬉しいの」
こぼれた涙が頬を伝った。
それでも月菜は泣きながら笑っていた。おでこに当てた手をそのまま離さずに。
「樹くんは、ここにいるんだね」
どういう意味なのか、俺にはわからなかった。
俺はここにいる。当たり前のことだ。
でも月菜にとってはそうじゃないみたいだった。
雲の切れ間から月が白く覗いていた。
どこか懐かしい光。なぜそう思ったのかは、やっぱりわからなかった。




