月菜と樹5
俺は昔から人付き合いが苦手だった。
話そうとすると言葉が出てこない。相手が待っている数秒が怖くて、結局あたりさわりのないことしか言えない。翔と潤はそんな俺を気にかけて何かと声をかけてくれていたけれど、俺は正直ひとりのほうが気楽だった。誰かに合わせなくていいし失敗もしない。それでいいと思っていた。
入学式の日。
下駄箱の前で女の子がひとりおろおろしていた。
たぶん遅れて来たのだろう。周りの子たちは新しい友達と話しながら、その横を素通りしていく。誰も気づいていない。気づいていても声はかけない。
俺も通り過ぎようと思ったけど、足が止まった。
「……教室、わからない?」
自分でも驚くくらい、自然に口が動いていた。
女の子は顔を上げて、泣きそうな目で俺を見た。それから小さく名前を言った。
西尾月菜。
聞き覚えがあった。たしか同じクラスの名簿にあった名前だ。
「こっちだよ」
俺はそう言って教室まで一緒に歩いた。その間、彼女はずっと「ありがとうございます」を何度も繰り返していた。
その日から、彼女は俺を見つけるたびに挨拶をしてくるようになった。
「おはよう!」
廊下でも、教室でも、昇降口でも。
俺は毎回短く返すだけ。それでも彼女は、次の日もまた声をかけてきた。
律儀な人だなと思っていた。
それから、色んなことが起きた。
ライラに会って、ルナになって、月菜と過ごす夜が増えた。
その中で俺は知ってはいけない事実を知った。
月菜は俺のことが好きだったのだ。
ルナの姿でそれを聞いた時、俺はどんな顔をしていいかわからなかった。
でも。
それを抜きにしても。
月菜と過ごすうちに、俺は月菜に惹かれていった。
もっと話したいと思うようになった。俺が何か言うたびにころころ変わる表情を、もっと見たいと思うようになった。笑ってほしいと思うようになった。
そして遊園地の夜。
俺の中から魔法が生まれたあの瞬間。
俺の中で、ずっと名前のなかった気持ちに、ようやく名前がついた。
俺は、月菜が好きなんだ。
※
――気がつくと、私は白い場所に立っていた。
どこまでも白い場所。
わたしはそこに立っていた。
すぐ隣に樹くんがいた。
いつもの樹くんだった。
制服を着て、微笑んでいる。少しだけ髪が風に揺れていた。
「樹くん」
「うん」
「樹くん、なんだね」
「うん。俺だよ」
「ルナちゃんも、樹くんだったんだね」
「……ばれちゃったな」
樹くんは少しだけ笑った。困ったみたいに笑った。
「傷つけてごめん」
樹くんが言った。
「無視してごめん。ぜんぶ俺のせいだ」
「……ううん」
「言えなかった。……言ったら、月菜をもっと苦しめると思った」
「……うん」
「……月菜」
「うん」
「俺、月菜が好きなんだ」
樹くんの声がゆっくり届いた。
「ずっと好きだった。旅行のあの夜、はっきりわかった。遅くなってごめん」
「……わたしも」
「わたしも、ずっと、好きでした」
顔が熱い。樹くんは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに笑顔になって、それから。
それから、樹くんは少しうつむいた。
「たぶん、これでお別れだと思う」
「え……」
「……かけらを使ったら。俺、月菜のこと忘れるらしい」
「……うん」
「次に目を覚ましたら、俺、月菜のこと覚えてない」
「い、いや、いやだよ、樹くん」
「……ごめん」
「いやだよ、忘れないで」
「……ごめん」
樹くんはそっと、わたしの頬に手を伸ばした。
指先が涙を拭ってくれた。
あったかい指だった。
「新しい俺のこと、よろしくね」
樹くんは少しだけ笑った。
「そっけないかもしれないけど。挨拶されてる時、嬉しいはずだから」
「……」
「その時は、また話しかけてやって」
「……うん」
「弁当食べる時、誘ってやって。月菜の唐揚げ、本当に美味しかったから」
「……うん」
「また俺の名前、呼んで」
「……うん」
「いつかきっと。俺、月菜のこと好きになるから」
わたしはぽろぽろと涙をこぼした。
樹くんの手を両手で握った。
「約束して」
「うん」
「わたしのこと、また好きになって」
「うん」
「ぜったい」
「ぜったい」
わたしは涙を拭って、樹くんを見上げた。
「……ねえ、樹くん」
「うん」
「かけら、これで全部集まったんだよね」
「うん。五つ、揃った」
「どうやって使うの?」
樹くんは少し困った顔をして、頭をかいた。
「えっと。……俺の中に最後のかけらがあるから、なんとなくわかるんだけど」
「うん」
「おでことおでこをくっつけて、願い事を願えばいいんだって」
――あ。
覚えてる。
あの夜。ルナちゃんとおでこをくっつけて、わたしは魔法が使えるようになった。
あのときいたのは、ルナちゃんだった。
でも今は。
目の前にいるのは、樹くんだ。
「……うん」
わたしはうなずいた。
「やろう」
樹くんが一歩、近づいた。
少しだけ屈んで、わたしと目の高さを合わせる。
わたしも目を閉じて、少し背伸びをした。
こつん。
おでこが、触れた。
あったかかった。
樹くんの体温だった。
まぶたの裏が熱くなって、涙がまたこぼれた。
うっすら目を開けると、樹くんも泣いていた。閉じた瞳から、涙が一筋溢れていた。
わたしは震える声で、願った。
「――樹くんが、樹くんになって」
声が詰まった。
それでも、最後まで言った。
「――幸せに、過ごせますように」
金色の光が、わたしたちのまわりで、ふわりと開いた。
まぶたの裏まで、まっしろになった。
樹くんの姿が、白い場所に少しずつ溶けていった。
わたしはその手を最後まで握っていた。
最後の指先が、ほどけて、離れた。
白い場所に、わたしはひとりで立っていた。
でも、寂しくなかった。
まだ、おでこに、樹くんのあたたかさが残っていた。




