月菜と樹1
旅行から帰ったのは日曜の夕方だった。
自分の部屋に着いて、荷物も解かず、俺はベッドに腰を下ろした。
窓の外はもう暗い。
あの夜、ホテルのロビーでライラから聞いた話を、頭の中で並べ直す。
俺は魔法使いと人間のハーフ。
あの決戦で眠っていた魔力が目覚めた。
このままでは体の中の魔力を制御できない。今の変身の関係もいつまで続くかわからない。壊れるかもしれない。固まってしまうかもしれない。人格が混ざり合っていくかもしれない。俺の中身が少しずつルナに飲まれていく。
止める方法はひとつだけ。
初恋のかけらを全部集めることだ。
そうすれば俺の魔力は鎮まる。ただし鎮まる瞬間に暴走する。抑え込もうとした体と脳が、代わりに記憶を消すらしい。
消えるのは魔法、恋に関する記憶。
……月菜のことを忘れる。
どちらを選んでも月菜を失う。
かけらを集めなければ、俺の心がルナに溶けて、樹としての俺が消える。集めれば月菜の記憶が消える。
考えても同じ場所に戻ってくる。
答えはもう出ていた。
部屋に帰るまでの新幹線の中で、ずっと同じことを考えていた。窓の外の景色を見ながら、隣の月菜の寝顔を見ながら、頭の中ではずっと。
――月菜と距離を置く。
告白しなし、告白させない。五つ目のかけらを集める。ただそれだけをやる。
この気持ちに名前がついたことは、俺の中にしまっておく。仕方がないことなんだと言い聞かせる。もともとライラの魔法の失敗がなかったら、俺は月菜と話すことすらなかったんだ。俺の人生に月菜がいる時間のほうが、おかしかったんだ。
だから戻すだけだ。
元の場所に戻すだけだ。
*
枕元のスマホがちかりと光った。
『樹くん、無事着いた?』
うさぎのスタンプ。
少しして、もうひとつ。
『今日、たのしかったね』
『わたし、樹くんに伝えたいことがあるの』
『明日会ったら、聞いてほしいな』
俺はスマホをじっと見た。
既読の通知はまだつけていない。
返信の言葉を探したが、何を書いても月菜を傷つけないで済ませる言葉がなかった。
結局、スマホを伏せる。
既読をつけないまま、部屋の明かりを消した。
*
次の日、学校に着くと声をかけられる。
「樹くん」
下駄箱のところで月菜が待っていた。
俺の顔を見つけると、ぱっと笑って駆け寄ってきた。
「昨日、返事なかったから、心配してたの。体調は良くなった?」
「……うん、よくなったよ」
「そっか、疲れたよね。ぐっすり眠れた?」
「うん」
「ふふ、よかった」
月菜は俺の斜め後ろに並んで、教室まで歩き出した。旅行前と同じ距離で。
俺は少し歩幅を広くし、早歩きをする。
月菜が慌ててついてくる。
「ね樹くん、今日の放課後、ちょっとだけ時間ある?」
「……悪い、今日、用事ある」
「あ、そうなんだ。じゃあ明日は?」
「明日も、たぶん」
「あ……そっか、じゃあさ、その次」
「ごめん。多分ずっと忙しいと思う」
「え……」
月菜の声がうまく聞き取れない。
俺は前を見て歩き続けた。
月菜の顔は見ない。
「じゃあまた、時間できたら教えて?」
「……うん」
教室に入るまで、月菜はそれ以上話しかけてこなかった。
*
あれから休み時間のたびに、月菜は俺の席に来た。
その度、俺は月菜を無視した。
月菜の顔は、最後まで見れなかった。
昼休みになった。
いつもなら月菜が「一緒に食べよ」と、俺の机の横に来る時間。
今日は来なかった。
俺の机から少し離れた月菜のいつもの席で、月菜は琴美と二人で弁当を食べていた。時々こっちをちらりと見ていた。目が合いそうになるたびに、俺は下を向いた。
弁当の味はしなかった。
*
放課後、俺はまっすぐ教室を出た。
用事なんてなかった。
昇降口を抜けて校門を出て、家までいちばん遠回りをする道を歩いた。歩きながら頭の中で五つ目のかけらのことを考えた。考えていないと月菜のことばかり考えてしまうから。
月菜を傷つけている自分から目を逸らして。
胸の辺りがずっと痛かった。
*
<月菜>
樹くんが教室を出ていった。
振り返らずに早足。
わたしは机の上で両手をぎゅっと握った。
「……月菜」
琴美ちゃんが机の横に立っていた。
わたしの顔をじっと見ている。
「琴美ちゃん、あのね」
「うん」
「わたし、樹くんに、なにかしちゃったのかな」
言った瞬間、涙がぼろっとこぼれた。
自分でもびっくりした。ずっと我慢していたつもりだったのに、琴美ちゃんの顔を見たら蓋が外れてしまった。
「あ、あれ、な、なんで……」
「月菜」
「ごめっ、ごめん琴美ちゃん、なんか涙、勝手に……」
琴美ちゃんは何も言わずに、わたしの隣の席に座ってくれた。それから、そっとわたしの背中に手を置いた。あったかい手だった。
「昨日まで、あんなに楽しそうだったのに」
「うん」
「今日、朝、話しかけたら、いつもとちがくて」
「うん」
「わたし、旅行で、なにかまちがえちゃったのかな」
「月菜」
「お化け屋敷で、バカって言っちゃったからかな。それとも抱きついちゃったから、引かれちゃったのかな」
「月菜」
「わたし、樹くんに、伝えたいことあったのに」
「うん」
「す、すきですって、う……つたえようって」
琴美ちゃんはしばらく何も言わずに、わたしの背中を、ぽん、ぽん、とそっと叩いてくれた。
「……月菜」
「うん」
「まだ、わからないよ」
「うん」
「明日、もう一回、話しかけてみよ」
「……うん」
わたしは琴美ちゃんの肩に頭を預けた。
窓の外の空が少し赤くなり始めていた。
教室にはもう、わたしたちしかいなかった。




