恋が魔法になった夜
ホテルへの帰り道。
舗道の街灯がぽつぽつと並んでいる。パークの余韻で、月菜はまだ俺の手を握って歩いていた。ルナの小さな手をぶらんぶらんと振りながら、鼻歌まで歌っていた。
その月菜の鼻歌が途中でぴたりと止まった。
「――」
「……おねえちゃん?」
月菜が立ち止まった。
全身の毛が逆立つみたいな感覚。
俺は振り返った。
パークを見上げた。
――城のいちばん上に、それはいた。
白い大きな影。
四つ足の獣がうずくまるように乗っていた。
背中に大きな翼。頭がひとつ、ふたつ、みっつ。獅子の頭、山羊の頭、そして尾のところに蛇の頭。
金色の目が六つ、こっちを見下ろしていた。
「……キマイラ」
俺は呟いた。
*
「みんな、ちょっと先にホテル戻ってて!」
月菜が翔たちのほうを振り返って言った。
「……月菜、なんかあった?」
「ルナちゃんのお母さんと連絡取れたの。わたし送っていくから!」
「西尾さん、大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫! 琴美ちゃん、翔くんと潤くんと先戻ってて?」
「……わかったわ」
琴美は少し不思議そうな顔をしたけれど、それ以上聞かなかった。翔と潤の腕を両側から引いてホテルのほうへ歩き出した。
三人の背中が通りの角を曲がった。
――ライラだけが少し離れた場所で足を止めていた。
月菜には見えない角度から、俺と目が合う。
――樹。
頭の中に、直接声が響いた。
――サポートできない。
「……え」
俺は思わず声を出しかけて、慌てて口を閉じた。
月菜が「ルナちゃん?」と、こっちを見た。
俺は「ううん、なんでもない」と首を振った。
――お祭りの時に使った魔力が戻ってない。だから、本当に見ているだけ。
――ごめん。
……わかった。ライラは遠くにいて。
――うん。
月菜が俺の手を、少しだけ強く握った。
「ルナちゃん、行こう」
「……うん」
俺は月菜に手を引かれて歩き出した。
ライラが街灯の陰から、じっと俺たちを見送っているのがわかった。
*
閉園後のパークは昼間とまるで違う場所だった。
街路樹の金色のイルミネーションは消されていて、地面の光の点滅だけがぽつぽつと残っていた。誰もいない大通りが闇の中に遠くまで真っ直ぐ伸びていた。
白い獣の近くまで来た。
「――ぐるるるるっ」
地面が震えるほどの唸り声。
青い鳥よりも強いプレッシャー。
「満月じゃないのに、なんでこんな……」
月菜が杖を掲げながら続ける。
「ルナちゃん、作戦は――」
――どんっ。
言葉の途中で、キマイラは城のてっぺんから真上に跳んだ。
翼を使って、白い巨体がもすごい速度でまっすぐこっちに落ちてくる。。
「シールドっ!」
月菜がとっさに杖を上に振った。
光のドームが、俺と月菜を包んだ。
――ぶつかった。
鈍い音が響いた。ものすごい質量。
シールドがあっという間に歪む。
――ぱりん。
ガラスが割れる音がした。
月菜のシールドが、たった一撃で粉々に弾け飛んだ。
破片が桃色の光になって、夜空に散った。
「え、」
その隙間から、月菜めがけて獅子の頭が突っ込んできた。
月菜の体が、ふっと宙に吹き飛んだ。
「――おねえちゃんっ!!」
空を、月菜の体が弧を描いて飛んだ。杖が月菜の手から離れて、くるくると回った。
月菜が地面に落ちる寸前、しゅん、と影が動いた。
ライラだった。
パークの外の街灯の下から走り出したライラが、両腕で月菜を受け止めた。二人まとめて地面をずるずると滑る。
「――ライラちゃん!」
俺は叫んだ。
ライラの腕の中で、月菜の頭ががくりと後ろに垂れた。目を閉じていた。
「……月菜」
「おねえちゃんっ、おねえちゃんっ!」
ライラが月菜の頬を軽く叩くが、月菜は目を開けなかった。
俺は月菜の杖を追いかけて、両手で拾う。ぶかぶかの手のひらの中で、杖がずしんと重かった。
「ルナ! 逃げる!」
ライラが叫んだ。
「こいつ、一人分のかけらじゃない。何人もの初恋が混ざって一つになってる!」
ーーそういうことか。
パークという場所。きっといくつものかけらが混ざり合ってできている。だからこの魔力なのか。
「うん!」
ライラが月菜を背中に負って立ち上がった。ずるり、と月菜の腕がライラの首から垂れ下がる。
走り出す。
しかし、その進路の正面に。
――どすん、とキマイラが降りた。
三つの頭が、六つの目が、まっすぐライラと月菜を見ていた。
「……」
ライラの足が止まった。月菜を背負ったまま後ずさりする。
獅子の口がゆっくり開いた。喉の奥にちりちりと青い光が集まっていく。何かを放とうとしている。ものすごい魔力の塊。あんなのぶつけられたら。
俺は走った。
ぶかぶかの服の裾を蹴って、ルナの短い足で必死に走った。ライラと月菜と獣の間に割り込み、両手を広げた。
ライラが何かを叫んでいる。
よく聞こえない。
――失いたくない。
この二人を。
そして、俺の奥底の願い。
ーー月菜と、ずっと一緒にいたい。
そう思った瞬間。
俺の中の深い深いところで、何かがほどける感覚。
ずっとずっと閉じ込められていた大きな何かが、鍵を回されて扉を開いた。
あたたかい光が俺の体の中でとめどなく溢れ出てくる。
すぐにわかった。これは俺の魔力。それも膨大な量だ。
――ああ、そうか。俺は、
魔力の源は恋。
俺は、月菜が好きなんだ。
この気持ちの名前がやっとわかった。
好きだ。
俺は、月菜が好きだ。
――ふわり。
金色のあたたかい光が、ライラと月菜をそっと包んだ。
金色のドームがふたりの周りに静かに生まれていた。
シャボン玉みたいに透明で、内側から金色に光る、大きな大きなシールドが。
ライラが目を見開いた。
「――樹、あなた」
「ライラちゃん、わたし、やっとわかったの。わたし、つきなおねえちゃんがすき」
「……そうだったのね。あなたも。そうか……だから女の子に」
「まもるから。ふたりとも。わたしにまかせて」
月菜の杖をそっと握り直した。
杖の宝石がふと色を変えた。
金色の月そのものみたいな、あたたかい光を内側から灯す。
獅子の口の中で、青い光が限界まで膨らんだ。
放たれる。
俺は杖を両手で握った。
「――レイッ!!」
金色の光が杖の先からあふれた。
俺の掲げた杖の先端から、極大の光の柱が放たれる。
獅子の口の中の青い塊を、まっすぐに貫いた。
貫かれた獅子の頭がゆっくり金色に染まっていく。次に山羊の頭。次に蛇の頭。三つの頭が順番にあたたかい光に塗り替えられていく。
金色の目、六つが静かに閉じられた。
翼が大きく広がった。氷みたいだった羽の一枚一枚が光の粒にほどけていく。
ほどけた光の粒が夜空にゆっくりのぼっていった。
その光の中から、小さな青白いかけらが一粒こぼれた。
風に乗り、ふわりふわりと揺れながら、真っ直ぐに地面へ降りてきた。
ライラの背中で目を閉じたままの、月菜の胸のあたりに。
すう、と吸い込まれるように消えた。
*
月菜は目を閉じたままだった。
夜のパークの中央に、俺は月菜の杖を握ったまま立っていた。
空を見上げる。
俺の中の魔力が少しずつ薄くなっていくのを感じる。
さっきまで感じた光は、俺の中でまた静かに眠りにつこうとしている。
それでももう迷わない。
俺は月菜が好きだ。
その答えだけは、消えなかった。




