パレードの決意
夕方の空に、月がうっすら浮かび始めた。
俺は自分の腕を軽くさすった。指先の感覚が、少しずついつもと違うものに変わっていくのがわかる。
時間だ、と思った。
みんなが休憩所のテーブルを囲んで、飲み物を分け合っている。そろそろパレードの時間らしい。どこの場所を取るか話し合っていた。
「みんなごめん。ちょっと体調悪くて」
俺が言うと、月菜がぱっと顔を上げた。
「え、樹くん!? だいじょうぶ?」
「ちょっと疲れが出たみたいで。近くに休憩できるとこあるって係の人が」
「わたしもついてくよ!」
「いい、いい。ほんとにちょっとだから」
「でも、」
「みんなでせっかく来たんだから、楽しんできて。少し休んだら合流するからさ」
「……ほんとに?」
「うん。ほんとに」
俺は苦笑して、休憩所の裏手のほうへ歩き出した。
*
パークの奥、木立の陰に人気のない小道があった。ベンチが一つと街灯が一本。
その脇の木の後ろに身を隠した。
空を見上げる。
ほとんど満月に近い月が、夕暮れの藍色の空に白く浮かんでいた。
体の芯が、ふわ、と熱くなる。
いつも通りルナになった。
スマホをぎゅっと握って、指先で月菜あてにメッセージを打つ。
『ごめん、思ったより疲れてたみたい。近くの病院に行ってくる。無理に合流はしないから、みんなでパレード見てきて。ほんとに、大丈夫だから』
送信。
既読がすぐについた。
少しして返信。
『ぜったい無理しないで。終わったら連絡して。心配するから』
うさぎのスタンプが二回続けて送られる。
俺はスマホをポケットにしまった。ぶかぶかの服の裾を引きずりながら、木立の外に出る。
……そう、ここまではいつもどおりだった。
まさか木立を抜けた瞬間、真正面から五人とばったり出くわすとは、思っていなかった。
「あっ!」
月菜だった。
俺を見つけた瞬間、月菜が目をまん丸にした。
その隣で翔と潤が「あれ?前に学校にいた子?」と首をかしげ、琴美が「わあ」と両手を口に当て、ライラが──ライラだけが、微妙に、口の端を上げた。
……いや、あいつ、笑ってた。
俺は硬直した。
月菜も硬直した。
「――親戚の子なのっ!」
月菜が叫んだ。
「え?」
「西尾さんの親戚?」
「そうなの! 昨日、実家に泊まってて、今日パーク一緒に来る予定だったんだけど、家の人が急に用事ができちゃって、それで、あの、待ち合わせがずれちゃって、今、合流したところで!ね、ルナちゃん、そうだよね!?」
「……うん」
「ルナちゃんっていうの! うちのおばさんの、あの、」
「西尾、いったん落ち着け」
吸い寄せられるように、琴美がしゃがみこんだ。
目線を俺と合わせた。
……あ。
目が輝いていた。見たことない笑顔になっている。少し怖い。
「はじめまして。ルナちゃん、っていうの?」
「……うん」
「かわいい……」
「あ、ありがと」
「かわいい! 月菜、この子めちゃくちゃかわいい!」
「でしょ!? ルナちゃん、天使なの!」
「天使、天使だわ。文句なしの一位よ」
「ね!? ね!?」
……何が始まっているんだ、と思った。
琴美が俺の頬にそっと手を伸ばしかけて、我に返って引っ込めた。「ご、ごめんね、いきなり。でもほんとにかわいくて」と、恥ずかしそうに笑っていた。
翔は「西尾ちゃんの親戚、ぜんぜん似てなくない?」と言いかけて、潤に脇腹を肘でつつかれた。
ライラは俺のほうをちらりと見た。
目が合った。
ニヤニヤしている。どうやら楽しんでいるようだ。
……あとで覚えとけよと、俺は目で返した。
*
「じゃあ、ルナちゃんも一緒にパレード見よ?」
琴美がそう提案した。
「ぱれーど?」
「そう、キラキラして綺麗なのがたくさん出てくるよ」
「ルナ、行きたい!」
俺の中のルナは楽しそうなものには逆らえない。
結局六人で、パレードの通り道のいい場所を目指した。
夜のパークが少しずつ光を灯し始めていた。
メインストリートの中央が、両側から人で埋まっていく。子供が親の肩の上ではしゃいで、カップルが手を繋いで場所を選んで、家族連れが荷物を足元に置く。空気が、少しずつ、ざわめきに変わっていく。
俺は、月菜に手を引かれて人の隙間を縫って進んだ。
ルナの小さな手のひらが、月菜の大きな手のひらにすっぽり包まれていた。あったかい。月菜の手はいつもあったかい。
通りの中ほどでいい場所を見つけた。歩道の縁石。俺は、月菜と一緒にぺたんと座った。
その隣に翔と琴美、潤とライラが立った。琴美は俺のうしろから時々、そわそわとこっちを覗き込んでくる。
「ルナちゃん見えてる? 抱っこしよっか?」
「琴美ちゃん、順番! わたしが先!」
「え、順番あるの!?」
「あるの! この子はわたしが今日一日責任を持って……!」
「琴美、月菜、大きい声出すとルナが怖がる」
ライラが淡々と言うと、二人がはっと我に返って、「ご、ごめんルナちゃん」と揃って謝った。ライラは俺の隣にしゃがんで、耳打ちしてきた。
「……大変そうだね」
「……ライラおねえちゃん、ありがと」
「私が抱っこしてあげようか?」
「ルナ、だいじょうぶだもん」
「ふふふ、わかった」
「むー」
ライラは、ふ、と鼻で笑ってまた立ち上がった。
*
――ぽう、と通りの明かりが一斉に落ちた。
「あっ」
「はじまる!」
子供の歓声があちこちで上がった。
闇に沈んだ通りの向こうから、静かに音楽が流れ始めた。
――光の船だった。
白と金の花で飾られた大きな山車が、道の真ん中をゆっくり進んできていた。舷側からは金色のリボンのような光がいくつも、ふわ、ふわ、と垂れ下がって風にゆれている。船の帆にあたる部分は透ける布で作られていて、その内側から柔らかい光が、ぼう、と滲んでいた。
船の上に大きなドレスの女の人が立っていた。
両手を空に伸ばしている。手の先から金の粒がぱらぱらと空にこぼれて、通りの上に光の雨みたいに散っていく。
「わあ……」
月菜が両手を口に当てて見上げていた。
その次は大きな月の山車。
銀色の丸い月そのものみたいな山車が、後ろからゆっくり近づいてきた。表面が内側から光っている。月の下から、シャボン玉がぷつぷつと無数に湧いて、通りの空をふわふわと埋めていく。シャボン玉のひとつひとつに、街灯の光が小さく閉じ込められていた。
「きれい……」
横を見ると、月菜がそう呟いていた。
月菜がふいに俺のほうへ少し身を屈めた。
俺の耳元に、口を寄せる。
「ルナちゃん」
「うん」
「……ちょっと、聞いてくれる?」
月菜の声はいつもより少しだけ静かだった。
俺は頷いた。
「……わたしね」
月菜が光を見ながら続けた。
「今日ね、いっぱいドキドキしたの」
「……うん」
「ジェットコースターで、隣が樹くんだったの。手を繋ぎたかったんだけど、勇気が出なかったなあ」
「うん」
「二人で入ったお化け屋敷で、腕を抱きしめちゃった」
「うん」
「すっごく、ドキドキした」
月菜は笑っていた。恥ずかしそうに。でも、隠さずに笑っていた。
「パレードも素敵だね。ルナちゃん」
「うん」
「なんかね、見てて思ったの」
「うん?」
月菜は、通りをゆっくり進んでいく光の列を目で追った。
「ここにあるの、ぜんぶ、誰かの『大好き』が詰まってるんだって」
「……」
「これ作った人も、動かしてる人も、乗ってる人もみんな。見てる人を笑わせたくて、こんなに一生懸命なんだよね」
「うん」
「とっても素敵なことだと思うの」
「……うん」
「大好きって気持ちって、たぶんこういうことなんだ」
月菜が俺のほうを見た。
金色の粒と青い光とシャボン玉の光が、その頬にいっぺんに映っていた。
「大好きな人には、笑っててほしいって思うんだよね」
――胸の真ん中が。
どく、と鳴った。
「わたしね、ルナちゃん」
月菜が俺の手をそっと両手で包んだ。
「わたし、やっぱり樹くんが好き」
シャボン玉がまた、頬の横を上へのぼっていった。
「今日ね、はっきりわかった」
「……うん」
「ずっとね、こわかったの。伝えて樹くんが困っちゃったらどうしようって。今の距離がこわれちゃったらどうしようって」
「うん」
「でも」
月菜は笑った。今夜見たどの光より明るい笑い方だった。
「大好きな人に笑っててほしいって思うなら。まず、わたしがちゃんと言わなきゃいけないんだよね」
「……うん」
「わたし、告白する」
月菜は通りの光の中でそう言い切った。
「ちゃんと樹くんに、好きって伝える」
「……そっか」
「うん」
「おねえちゃんなら、だいじょうぶ」
「……うん。ありがと、ルナちゃん」
月菜は俺の手を握ったまま、通りの光の方へ顔を向けた。
その横顔が、金色に青に白に、いろんな光に、順番に照らされた。
俺は月菜の隣で通りを見ていた。
でも、頭の中はずっと違うことを考えていた。
――この気持ちに答えを出さないといけない。
そう思った。
今まで俺は、この気持ちが「なんなのか」ばかりを考えていた。名前をつけかねて後回しにしていた。ルナのままで、月菜の隣にいる時間の中に答えを保留していた。
でも。
月菜は決意したのだ。俺に伝えると決めたのだ。
それに俺が保留のままで返していいはずがなかった。
――俺も、答えを出す。
月菜が伝えてくれるまでに、俺は、俺の中のこの気持ちの名前をちゃんと掴む。
そして、月菜が言ってくれた「好き」に、俺の言葉で返す。
パレードの最後の光が、頭の上を通り過ぎていった。




