どきどきとドキドキ
旅行2日目の朝、パークに着いたのは開園と同時だった。
ゲートをくぐった瞬間、月菜が両手を上に伸ばした。
「わあああっ、来た! 来たよ! ほんとに来た!」
「月菜、落ち着いて」
「樹くん、落ち着けないよぉ! だってほら! お城あるもん!」
月菜はぴょんぴょん跳ねながら、正面に立つ白いお城を指さした。実際に近くで見ると、写真で知っていたよりずっと大きい。俺も少し圧倒される。
「潤くん、翔くん、なんに乗る?」
「琴美ちゃんは? 乗りたいのある?」
「私は、うん、なんでもいいかな。翔くんが乗りたいのでいいよ」
「……えっ」
「なに」
「い、いや、なんでも、いいのか、そうか、うん、なんでもいい、なんでも……」
「翔、深呼吸しろ」
「潤、俺いま、なんかすごい信頼された気がする」
「いや、それは気のせいだろ」
琴美は静かに笑いながら、パンフレットを開いていた。
その横で、ライラ琴美のパンフレットを覗き込んでいる。「ポップコーン」の印を指で追っていた。
「え、ライラさん、さっき朝食食べたばっかりだよ?」
「琴美。ポップコーン、味が七種類あるって」
「そんなに?じゃあどれか一つだけ……」
「もちろん全部買う」
琴美はもう何も言わずに、マップを畳んでライラに渡した。
*
「じゃあ改めてさ、最初、なににする?」
翔が伸びをしながら聞いた。
月菜が、ぱっと目を輝かせて、迷いなく指をさす。
「ジェットコースター!」
そう来ると思っていた。
空を飛んだり加速をしたりするのが好きな子だ。地上の乗り物で絶叫マシンを避ける理由がなかった。もはや遊園地の絶叫は、月菜にとって物足りないかもしれない。そんなことを考えた。
「月菜、ほんとに一発目それ?」
「一発目こそ、それ!」
できることなら絶叫系は乗りたくなかったんだけどなぁ。
よく見ると、俺とあと一人、固まっている人間がいた。
潤だった。
「……俺は、他ので」
「え、お前絶叫系だめなの?」
「まあ、好きではない」
「じゃあ好きになろう。旅の思い出だ」
「思い出はもっと穏やかなのでいい」
「潤くん、行こー? みんなで乗ったら、こわくないよ?」
「西尾さん……その理屈は、たぶん、俺にはあてはまらない」
結局、月菜の「みんなで! みんなで!」の合唱に、潤は根負けした。あきらめた顔で深いため息をつく。
「……行くか」
「潤くん、決めてくれてありがとう!」
「礼はいらない。……あとで静かなの、乗るからな」
*
ジェットコースターの列は思ったより短かった。
乗り場に着いて、係の人に案内された座席は、二人ずつ。
翔と琴美。潤とライラ。
俺と、月菜。
もはやこの旅行で固定化されてきたペアだ。
月菜が隣に座って、シートベルトを締めながら、こっちを見た。
見ればわかる。ワクワクしている顔。
「樹くん」
「うん」
「となり、いっしょだね」
「……うん」
「えへへ」
バーが降りてくる。がしゃん、と固定される。
月菜の腕と、俺の腕の間に、ほとんど隙間がなくなった。バーの手すりに置かれた月菜の手と、俺の手が触れそうな距離。
……近い。
思ったよりもずっと、近かった。
月菜が、ちらりと、俺の手を見た。
それから、ちらりと、俺の顔を見た。
もう一度、俺の手を見た。
……なんとなく、伝わってきた。
月菜は、握ってほしそうに、見つめていた。
どうする。
握るのか。お祭りの時はなんていうか必死だった。変な二人にナンパされてたし。俺もきっと変なテンションだったんだ。今も変なテンションになりつつあるが。絶叫系だし、握っても変じゃないのか?
俺の頭の中がぐるぐるしているあいだに、
「――っきゃああああああああっ!」
急降下した。
内臓ごと、下に落ちた。月菜の悲鳴と、翔の雄叫びと、後ろの席の潤の「なんで俺がああああ!!」という嘆きが、風と一緒に、まとめて空に飛ばされていった。
*
降りたとき、潤の顔は青かった。
「潤くん、大丈夫?」
「……ライラさん、俺、水」
「はい、水」
「……ありがとう」
「潤、次いくぞ次!」
「翔、今日わかった。お前とはしばらく距離を置く」
俺は少しふらつきながら、隣の月菜を見た。
月菜は、両手を上に伸ばして、目を輝かせていた。
「もう一回乗りたい!」
「月菜、まだ潤が」
「あっ、ごめん潤くん! ……もう一回乗りたい!」
「樹くん。こうなった月菜は誰も止められないわ」
結局そのあと、月菜のリクエストで急流下りに乗って、コーヒーカップに乗って(潤が回さないでくれと三回言った)、観覧車の隣にある高速回転系を(潤が拒否したので五人で)乗って、昼過ぎには、みんな少しずつ疲れが出てきていた。
*
休憩がてら、園内マップを広げた琴美が言った。
「あ、これ、行きたいかも」
写っている写真を見る。黒い屋根の館だった。窓が全部、暗い色でふさがれている。看板には、大きな字で「呪いの洋館」と書いてあった。
……お化け屋敷だった。
「……っ!こ、琴美ちゃんが行きたいなら、行く、けど」
「ええ、こういうの大好きなの」
「へえ、琴美ちゃん、こう言うの好きなんだ?」
翔が意外そうに聞く。
「ええ。ホラーは割と好きよ。このテーマパークにもあるって聞いていたけど、見つけられて良かったわ」
「よし!みんな、行こうぜ!」
入口に着くと、月菜の顔から血の気が、じわじわと引いていくのがわかった。
スピーカーから、ずずず、と低い音が漏れてくる。うめき声のようにも聞こえる。中から、時々、女の子の悲鳴が漏れてくる。それも、ふつうの悲鳴じゃなくて、心の底からの、本気の悲鳴だった。
「……ぐ、ぐ」
「月菜、すごい声が出てるよ?」
「い、樹くん、私は、げ、元気だよ! ぜんっぜん、こわく、ないよ! これぐらい、余裕、余裕」
「本当に大丈夫?」
いつもの様子と違いすぎて心配になる。
ちなみに俺はこういうのは平気な方だ。
係の人に案内された。
「二名様ずつ、順番に入っていただきます」
「二名ずつ?」
「一組ずつ、間を空けてご案内します」
*
入口の重い扉の前で、月菜が、俺の袖を、きゅっと掴んだ。
「月菜」
「うん」
「……手、繋ぐ?」
「……うん」
月菜の指が、そっと、俺の指に絡んだ。
冷たい手だった。緊張で、冷たくなっていた。俺は少しだけ、握り返した。月菜も少しだけ、握り返してきた。
係の人が、扉を開けた。
真っ黒な廊下が、口を開けていた。
「……い、樹くん、離さないでね」
「離さない」
「ぜったい?」
「うん。ぜったい」
二人で、暗闇の中に、一歩、踏み入った。
中は思っていたより、ずっと暗かった。
足元の床が軋む。壁のどこかから、ぼそぼそ、と誰かの声がする。前方の廊下の奥で、ぼんやり赤い光が揺れている。
「い、樹くん、あかり、あかり、あかりが、あかり」
「うん」
「なんて言えばいいかわかんないけど、あかり、こわい」
「うん」
「あかり、こわいって、へんだよね」
「こういう時はへんじゃないと思う」
次の角を、曲がった、瞬間。
――ばっ。
真横の壁から、白い顔が、ぬっと突き出した。
「きゃああああああっ!」
月菜の悲鳴が、廊下じゅうに響いた。
俺の腕に、ぎゅうっとしがみついてきた。
しがみつく、では、追いつかない強さだった。抱きつかれた、と言ったほうが正しい。月菜が両腕で俺の右腕を、胸に抱きかかえるようにして、ぎゅっと握っていた。
……何か、当たっている。やわらかい何かが。
考えるな、と、俺は自分に言い聞かせた。
考えるな。考えるな。ここは考えないほうがいい場所だ。いや、考えちゃいけない場所だ。考えたら負けだ。そうだ、幽霊のことを考えよう。俺は今、怖がっていることにしよう。うん。幽霊がこわい。俺は幽霊がこわい。すごくこわい。
「い、樹くっ、こわいよっ、こわいよぉ!」
「うん、うん、こわいよね、進もう」
「進めない! 進めないよぉ!」
「進めないよね、怖いよね、うん」
ぎゅうううううう。だめだ、幽霊なんかよりも右腕の未確認物体のことをどうしても考えてしまう。こんなに柔らかいなんて知らなかったんだ。未知のものには探究心が働くのは当然だ。
「……月菜、進もう!」
「わかったよぉ!もうやだぁ!」
月菜は俺の腕を抱いたまま、俺を盾みたいにして、後ろから押してくる。俺が進むたびに、その、あの、色々当たった。俺は目線を、天井の一点に固定した。天井の一点だけ見ていた。天井には、なにもなかった。無だった。俺は無を見ていた。
途中でもう三回、悲鳴が上がった。うち一回は俺だった。
出口の光が見えた瞬間、月菜が「あかりぃ!」と泣きそうな声を出した。
二人で転がるように、外に出た。
昼の光が眩しかった。
月菜は俺の腕を抱いたまま、へなへなと座り込みそうになって、「あ」と気づいて、ぱっと離れた。
「ご、ごめんっ、あの、あの、ごめん、その、あの」
「気にしないで」
「う、うっ、ばか、ばか、わたしのばか」
「月菜はばかじゃないよ。大丈夫」
「い、樹くんのばか!」
「なんで俺!?」
月菜は両手で顔を覆って、その場でしゃがみこんだ。耳まで真っ赤だった。
俺は少し離れて、深呼吸した。
……天井、天井を思い出せ。無を思い出せ。
出口の脇のベンチ。
そこに、潤が、座っていた。
……いや、座っていなかった。もたれかかっていた。ベンチの背もたれに、力なくもたれかかって、目を閉じていた。眼鏡がずり落ちている。顔は白い。というか、青い。
その隣に、ライラが立っていた。
両手を後ろで組んで、ぴくりとも表情を変えずに、潤を、真上から見下ろしていた。
「……ライラ」
「うん」
「潤、どうしたの」
「気を、失った」
「なんで」
「ずっと叫んでいたけど、途中で倒れた」
「うん」
「そしたら、動かなくなった」
「……そっか」
「わたしが背負って、出た」
「ありがとう」
「うん」
ライラはまた、静かに潤を見下ろした。
しばらくして、ぽつりと、付け足した。
「ちょっと、楽しかった」
「そうなの?」
「うん」
「それなら良かった」
「うん」
しばらくすると、翔と琴美も出てきた。二人とも満面の笑みだった。
ベンチの潤を見つけて、翔が「潤ー!?」と叫んで駆け寄る。
昼の光の下で、パークの音楽が、遠くから、のんびり聞こえていた。




