夕食を君と
新幹線が東京駅に到着し、俺たちは電車を乗り継いで目的地であるホテルを目指した。
のんびり移動したこともあり、バスがホテルの前に停まったのはちょうど陽が落ちかけた頃だった。
今日は新月。日が落ちても俺は樹でいられる。
白い建物が夕焼けを浴びて、正面の玄関に淡い橙が差している。噴水の水しぶきが金色に光っていた。
真っ先に降りた翔が、口を開けたまま立ち尽くした。
「……あの、これ、俺たちの泊まる場所で合ってる?」
「合ってるよ。翔くん」
「琴美ちゃん、俺、くじ引き当てて良かった」
月菜も両手を口に当てて、噴水を見上げていた。
「こんな綺麗なホテル、初めてかも……」
「西尾さん、まだロビーにも入ってないよ」
ライラは噴水の縁に張りついたまま動かなかった。流石のライラも、感動しているのだろうか。
「ライラ、行くよ」
「樹、魚がいない」
「うん、いないね。噴水に普通魚はいないよ」
「がっかり。非常食がない」
「ほら、ライラさん。中に入るよ。中には美味しいものがたくさんあるみたい」
「うん、行く。琴美についてく」
琴美さん。今日でライラとの付き合い方を学んだな。
*
部屋に着いた瞬間、翔がまた叫んだ。壁一面の窓から、明日行くパークの観覧車が丸ごと見えていたのだ。潤が窓の前で腕を組んで、しばらく声を出さずに見ていた。わかりにくいが、きっと感動しているんだろう。
荷物をベッドの脇に置いて、シャツを着替えて、髪を軽く直す。そんなことをしているうちに時間が過ぎていく。レストラン前での集合時刻になった。
入口で店の人に人数を伝えると、なぜか少し困った顔をされた。
「申し訳ありません。この時間帯、二名様のテーブルしか空いておらず……三卓に分かれてお座りいただく形になります」
六人で顔を見合わせた。
「二人ずつってこと?」
「そうなりますね」
「じゃあ、組み合わせ、どうす……」
翔が言いかけた瞬間、月菜が急に話し始めた。
「翔くん、琴美ちゃんと座って!私たちはジャンケンするから」
「へっ? あ、いや、俺は別に」
察する俺。
「うん。翔は琴美さんと行ってきて。ほら、後ろに他のお客さんが待ってるから早く」
「え、ええ、わかったわ。翔くん、行きましょう」
ライラが俺の袖と月菜の袖を引く。
「樹は月菜と座るべき。ほら、行ってきて」
「ラ、ライラ?」
「ああ、そうだな。樹、行ってこい」
潤とライラに押されるがままに、月菜と同じテーブルになった。
振り返ると、ライラがぐっと親指を立てて、こっちに向けていた。何のサインだ、それは。
*
窓際の二人席についた。
テーブルには、二人分のグラスと、皿と、ナプキン。窓の外は、庭のライトアップが始まりかけていて、木の影がゆらゆら伸びていた。
メニュー表を月菜が両手で開く。前菜、メイン、デザート。コース仕立てで、それぞれから一品ずつ選ぶかたちだった。
「わ、ちゃんとしたやつだ」
「そうだね」
「樹くん、なに頼む?」
「……うーん、どうしよう。そっちは?」
「わたし? わたしはねー」
月菜は真剣な顔でページを行ったり来たりしていた。
「むー、決められない。ぜんぶおいしそう」
「俺は肉系にしようかな」
「わ、男の子だねえ」
「そうかな」
「私も、樹くんと同じお肉にしようかな」
結局、月菜は前菜にサラダ、メインに「小さいステーキ」、デザートにアイスを選んだ。俺は前菜にスープ、メインにステーキ、デザートに、目についたのでミニパフェを頼んだ。
少し離れた席が目に入る。
翔と琴美の席では、翔が身振り手振りで何か喋っていた。琴美は口元を押さえて、笑っていた。翔がその笑いに気を良くして、さらに何かを喋っている。うまくいっているようだ。
その隣のテーブルでは、潤が自分の前菜の皿を、無言でライラに渡していた。うん。ライラは相変わらずだ。
「翔くん、頑張ってるね」
「うん」
「琴美ちゃん楽しそう」
「うん」
「わたしたち、いい仕事したね」
「……そうだね」
月菜がそっとハイタッチの手を出してきた。俺は少しためらってから、手を合わせた。
*
注文を終えて、ふう、と息をついた。
すると、テーブルの脇に店員さんが来た。
白いエプロンをつけた二十代くらいの女性で、手には大きなカゴを持っていた。
カゴの中にパンが山盛りになっていた。バターロール、クロワッサン、フォカッチャみたいなの、ゴマのついた丸いの、艶々の茶色いの。
「本日のパンでございます。お好きなものをお選びください」
月菜の目がぱっと輝いた。
「わ、どうしよう。ぜんぶおいしそう」
「ゆっくり選んでくださいね」
店員さんはにこにこと待ってくれた。
月菜はカゴを覗き込んで真剣な顔で唸っていた。
「じゃあこれにします!」
月菜が選んだのはクロワッサンだった。店員さんがトングでお皿に置いてくれた。それから俺の方に体を向けた。
「――そちらの彼氏様はいかがしますか」
「……っ!」
俺と月菜は二人揃ってフリーズした。
パンを指さそうとした俺の手が宙で止まった。月菜もクロワッサンを見つめたまま耳がじわじわと赤くなっていく。
店員さんはまだにこにこしていた。ただ当たり前のようにそう呼んだだけというふうだった。二人席で若い男女でこういう店で夕食で、と考えれば、それはまあ自然な判断だった。自然な判断なんだけど。
「え、あ、あの」
「ち、ちが、あの、その」
俺と月菜が同時に口を開いた。同時に閉じた。同時にまた開いた。
「あの、俺」
「ちがうんです、あの」
「そういう関係じゃ」
「まだそういう」
月菜が「まだ」って言った。
月菜も自分で言ってから、はっと口を押さえた、目がめちゃくちゃ動揺していた。
俺の顔もたぶん真っ赤だった。
店員さんは少し目をしばたたかせる。
それから口元に手を当てて、あら、と微笑んだ。
「まあ、失礼しました。てっきり、と思って」
「い、いえ」
「あの、その」
店員さんは俺の方にカゴを寄せてくれた。
「では、ご一緒のお客様、いかがしますか」
「……あ、じゃあこれで」
俺はいちばん近くにあったバターロールを選んだ。選ぶも何もなかった。ただの反射だった。カゴの中の距離でいちばん近いやつだっただけだ。
店員さんはまたにこりと笑ってカゴを持って離れていった。
*
食事の終わりに、俺の頼んだパフェが運ばれてきた。
小さいグラスに、生クリームと、ベリーと、下の方にアイスが見えている。上のミントの葉がちょこんと立っていた。
月菜が身を乗り出してきた。
「わあ……」
「……」
「……」
「……食べる?」
「え、いいのっ?」
「うん。お腹いっぱいになってきたから、一人じゃ食べきれないと思う」
「じゃあ、食べる!」
月菜が目を輝かせる。俺はスプーンにパフェをひとくちすくって、目の前の月菜に差し出した。
……あ。
月菜が目を丸くした。でも、すぐに身を乗り出して上目遣いでこちらを見てくる。
「……あーん、してくれるの?」
「う、うん。嫌なら、」
「嫌じゃないよ!い、いただきます」
「……どうぞ」
月菜は目を閉じて、口を小さく開けた。まつげが少し震えている。頬はもう真っ赤になっている。な、なんか変な気分になってくる。
パフェをのせたスプーンの先が、月菜の口に、ふれた。
ぱく、と口が閉じる。
スプーンを引き抜くと、月菜はまだ目を閉じたまま、ゆっくり味わっていた。それから、目を開けた。
「……おいしい」
「……よかった」
「……」
「……」
「……はずかしい、ね、これ」
「……うん」
月菜が両手で顔を覆った。指の隙間から、真っ赤な耳がのぞいていた。
俺は残りのパフェをひとくちだけ食べて、あとは月菜にお皿ごと譲った。
月菜は「ええっ」と言いながら、うれしそうに、ちいさく食べていた。
俺はその様子を眺めていた。
さっきの月菜の顔が頭から離れない。
今日、俺は眠れるんだろうか。




