新幹線と壁ドン
旅行当日になった。
俺が駅に着いたのは、集合の五分前。待ち合わせ場所である銅の時計台の下には、もうみんな揃っていた。
「お、樹だ」
「樹くん、おはよう」
翔と琴美が俺を見つけて声をかけてくる。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「大丈夫よ。私たちもついさっき来たもの」
琴美はグレーのニットに、黒のロングスカート。首元に細いマフラーを巻いていた。
周りを見回す。
ライラは、潤と話しており、紙袋を両手に提げていた。中身は全部お菓子だった。
ライラは白いコートを着ていた。膝下のスカートから黒いタイツの足がのぞいている。
「ライラさん、それ、いつ買ったの?」
潤が聞くと、ライラは当たり前のように話す。
「三十分前に着いたから、その時。新幹線の中はお菓子って決めてたの」
「買いすぎじゃないか……?」
潤は衝撃を受けた顔をしている。きっと今までのライラのイメージが一気に崩れたのだろう。わかるよ、その気持ち。
買い込んだ袋を、少しだけ持ち上げてみせる。
「必要最低限」
「え、最低限でそれなの?」
「そう。車内販売に期待」
聞かなかったことにしよう。
もう一人、月菜と目が合う。
薄いベージュのコートに、下はチェックのスカート。髪をいつもより少しだけ、丁寧に整えているのがわかった。いつもより、なんていうか女の子っぽいというか……うん。旅行って、すごい。
「樹くん、おはよう」
「うん、おはよう」
お互いに目をそらす。だめだ、正面から見ていられない。
頬が、赤くなっていく。朝の空気が冷たいせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「よし、全員そろったな。行くぞ」
潤が時計を確認して、先に歩き出した。翔が「旅行だー!」と叫んで、琴美に「声大きいわよ」と注意されている。
改札を抜けて、ホームへ上がる。
銀色の車体が、静かに滑り込んできた。
※
三列がけの座席を、向かい合わせに回した。窓側から月菜、琴美、ライラ。向かい合って樹、翔、潤。
それぞれ買ってきたお菓子が膝の上に乗っている。
「ライラさん、これ、食べる?」
琴美がライラにお菓子を差し出す。チョコレートが染み込んだラスクのお菓子。
「食べる。琴美はいい人」
「え、ライラさん。俺のスナックも食べる?」
「食べる。翔もいい人」
差し出されるがままに食べているライラ。なんて言うか、
「なんか俺、餌付けしてるみたいなんだけど」
「私も。ライラさん、可愛い」
「琴美ちゃん、可愛い女の子好きだもんね」
「ええ。ライラさんは私の可愛い女の子ランキングの上位に入るわ」
琴美が微笑みながら、ライラの前に袋を寄せた。ライラは真顔でチョコを摘まむ。
「西尾さん、それは?」
潤が月菜の持ってきたお菓子を指差しながら聞く。確かに、あまり見たことがない形をしている。なんだろう。雪だるま?みたいな形。
「これね、ラムネ味のグミなんだけど、形が可愛いからつい買っちゃうの」
「へえ、確かに可愛らしい形をしてるな」
「うんっ、みんなも食べて食べて」
月菜がみんなにグミを渡す。
確かに美味しい。
「うま」
「でしょ!?」
「西尾さん、やるなあ」
「えへへ、よかったあ」
褒められた月菜が、両手を頬に当ててふにゃっと笑った。
*
しばらくしてから、月菜がすっと立ち上がった。
「あ、ちょっと、お手洗い」
「月菜、気をつけてね」
「大丈夫だよぉ、すぐそばにあるもん」
月菜が席を離れる。
それを目で追ってから、しばらくして。
……俺も今のうちに行っておこう
「俺もトイレ行ってくる」
通路を進む。前方の車両と車両のあいだ、洗面所のあるスペースに出た。
月菜と会う。用を済ませて出てきた直後らしい。俺と目が合って、ぱっと表情が明るくなる。
「あ、樹くん」
「うん、俺も、今から」
「ふふ、待ってるね」
「いいよ、先戻ってて」
「ううん。ひとりで戻るより、二人の方が楽しいもん」
そう言われると、断れなかった。
俺が男性用を出た頃には、月菜は洗面所の鏡の前で、髪をちょっと整えていた。俺に気づいて、鏡越しにこっちを見て、はにかむ。
「お待たせ」
「うん、じゃあ戻ろっか」
二人並んで車両と車両を繋ぐ狭いスペースを歩き出そうとした、その時だった。
ぐらり、と車両が横に揺れた。
カーブに入ったのか、思ったより大きな揺れだった。月菜のバランスが後ろに崩れる。
「危ないっ」
「わっ、」
反射的に手が出た。
月菜の手首を掴んで、引き寄せる。しかし俺の体勢も崩れているため、うまくいかない。
こつ、と、月菜の背中が壁にあたった。
俺は、月菜の手を掴んだまま、その顔のすぐ横に、もう片方の手をついていた。
……これって、壁ドン、というやつでは。
自分でやっておいて、状況が理解できなかった。
月菜の顔が、すぐ目の前にある。
驚きに見開かれた目が、そのまま俺を見上げている。まつげの一本一本まで見えて、頬がゆっくり、じわ、と赤くなっていく過程まで見えてしまった。
どちらも、動けなかった。
手を離せばいいのに、離せなかった。壁についた手を引けばいいのに、引けなかった。月菜も、俺の手首を掴めば振りほどけるはずなのに、その手はゆるく開かれたまま、俺の袖のあたりに、ちょんと触れていた。
月菜の唇が、小さく動いた。
「……いつき、く」
声にならなかった。
俺の口も動きかけて、何も出なかった。
俺が顔をちょっと前に出せば、唇が触れる距離。
頭がくらくらする。
外を景色が流れていく音だけが、ごう、と遠くに聞こえる。
「なにしてるの?」
真横から声がした。
俺と月菜が、揃って首を横に向ける。
ライラが両手を後ろで組んでこっちを見ていた。
ぴくりとも表情を変えていない、いつもの顔で。
「あ、」
「あ、」
俺と月菜は同時にぱっと離れた。
距離を、一メートル。念のため、もう一メートル。
「ち、違うの、ライラちゃん、これは、揺れて、それで、樹くんが、支えて」
「そ、そうだよ。危ないと思って、それで」
「ふーん」
本当のことを言っているのに、なんかそわそわする。
月菜は両手をぱたぱた動かしながら、耳まで真っ赤だった。
ライラは俺と月菜を交互に見て、それから、
「ごめん」
「え?」
「二人の邪魔、した?」
「「してない!!」」
「そう」
ライラは、それだけ言って、す、とトイレの扉のほうへ歩いていった。
「……行こう」
「う、うん」
月菜は俺の隣を、うつむいたまま歩いた。まだ耳が赤い。
「……あの」
「うん」
「ありがと。……支えてくれて」
「……うん」
それきり、席に戻るまで、二人とも何も話さなかった。
*
席に戻ると、翔がにやっとした。
「遅かったな」
「……別に」
「西尾さん、なんか顔赤い?」
潤が聞く。こいつは本当に人をよく見ている。
「あ、あついの! 新幹線、あついの!」
「そ、そうそう。ちょっと暑いよね!」
月菜が咄嗟に答える。俺もそれに便乗した。
琴美が月菜を見て、何かを察したのか静かに言葉を添える。
「あついよね、今日、なんだか」
「琴美ちゃん……!」
「うん、あついよ、ほんとに」
「琴美ちゃん、大好き」
「私も月菜のこと、大好きよ」
月菜が琴美の肩に、ぽすん、と頭を預けた。琴美は月菜の頭をぽんぽんと撫でている。
そのあと戻ってきたライラは、席につく前に、ちらりと俺を見た。
目が合った。
ライラは何も言わずに、自分の席にすとんと収まって、袋のクッキーに手を伸ばした。
その一連が、いちばん怖かった。




